未熟なカメラマン さてものひとりごと

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あこがれの奈良に行ってきました。一日目その3 藤原宮跡のコスモスを訪ねて

2022-11-06 09:27:45 | 花の名所
訪問日: 令和4年10月23日(日)

前回の石舞台古墳・稲渕の棚田につづく

(藤原宮跡のコスモス)

石舞台古墳・稲渕の棚田を訪問し、ホテルに向かう途中、橿原市内に入ったところで、はるか遠くに華やかな色のコスモス畑を見つけました。多くの人の姿も見えました。
岡山ではどこも終わったコスモスですが、今盛りとは驚きです。種をまいた時期が遅かったのでしょうか。あとで旅行ガイドを確認すると、鑑賞期間は10月初旬から末までとありました。

周辺には、多くの駐車場が見受けられましたが、どこも満車のようでした。近くの駐車場内に入り、とりあえず空くのを待っていると、10分ほどで入れることができました。
歩くこと10分弱、藤原宮跡に到着です。まずその広さに驚きます。山の麓まで続いているように見えます。コスモス畑の広さは、サッカー場2面分は十分にあるそうです。



藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところ。


藤原京の規模は東西5.3km、南北4.8kmで、平城京(奈良)に移るまでの16年間、奈良盆地の南、今の橿原市と明日香村にまたがる地域に都がありその中心部あったのが藤原宮。一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあった。


30000㎡に300万本のコスモス。藤原宮跡のまわりは、四季を彩る花々が植えられ、来る人を楽しませています




熱心に撮影する女性カメラマン






一輪だけ、こちらを見つめているような?


満開見ごろ過ぎでしょうか。夏期は10月初旬~下旬




古くから多くの歌人に愛された大和三山(畝傍山、耳成山、香久山)に囲まれた中心地にある。






大勢の人で賑わう


ファミリーも大喜び




幸せな気分になります。平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが、「重要眺望景観」に指定されました。


インパクトのある赤い柱の列。天皇が仕事を行った大極殿の南門と、役人たちの仕事場だった朝堂院の東西南の門が復元されている。

多くのカップルや、ファミリーが写真を撮り合っています。愛犬を連れた人を多く見かけました。
陽はすでに西に傾き、逆光になるため東方面しか撮影できません。
大きな赤くて太いポールが建っているエリアがありました。ここが藤原宮の建物があった場所なのでしょう。ここも撮影の絶好の被写体になります。
こうして40分ほど滞在し、コスモス畑を十分に楽しんだ後、いったんホテルに向かうことにしました。実は、チェックインしたあと、橿原神宮にお参りしようと思ったのです。
(ホテルから歩いて5分の距離)
ホテルまで3㎞、10分程度で着く予定でしたが、大渋滞で30分以上かかり止む無く、神宮参拝を翌日、早朝に訪ねることにしました。

ホテルの予約は、全国旅行割が開始される前にしていましたが、割引の対象になるということで、宿泊費が5000円の割引、しかもクーポン3000円が付いてとてもラッキーでした。

「夜明けの橿原神宮参拝」につづく

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あこがれの奈良に行ってきました。一日目その2 明日香村・石舞台古墳と稲渕の棚田を訪ねて

2022-11-04 22:55:20 | 奈良
訪問日: 令和4年10月23日(日)
前回の法隆寺につづく
(石舞台古墳)所在地 奈良県高市郡明日香村島庄133

法隆寺を出て次に向かったのが明日香村・石舞台古墳です。日本史には必ず登場する超有名な横穴式石室です。周辺は公園になっていて多くの観光客でにぎわっていました。駐車場にガードマンの方が立っていたので有料かと思いましたが、ありがたいことに無料でした。入場料は、一般が300円ですがJAFの割引が効きました。


石舞台古墳は、飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保護、活用を図る一環として、国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園の一角をなしている。画像は周囲のなだらかな棚田地形を活かした芝生広場。


ススキが色どりを添える


丘の上に姿を現す石舞台古墳


墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈している独特の形状。天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれている。


入り口 30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量である。

丘の上に鎮座する古墳、教科書で習ったそのままです。最初に見た印象は、意外にも“小さい”でした。しかし上部のすきまから石室内をのぞき込むと、想像以上に深く、この時点であらためてその大きさを実感しました。このあたりが曽我馬子(そがのうまこ)の領地であったことから、多くの説が曽我馬子の墓と伝えられ、その大きさは国内最大級といわれています。
ぐるりと廻ったところで、地下の石室内に通じる階段がありました。



7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれている。


玄室に光が差し込む


玄室から入り口方面を見る


どこか国の天然記念物”オオサンショウウオ”に似ている


空堀手前から古墳を見たところ


熱心に話を聞く女子高生

降りてみると、改めてその大きさを確認することができます。石棺は失われていましたが、とても広い空間です。ここで思いだすのが、吉備路(岡山県総社市)のこうもり塚古墳です。前方後円墳で全国第4位の横穴室石室ですが、訪れたとき、これより大きいといわれる石舞台古墳はどのような大きさなのだろうと、非常に興味持っていました。

修学旅行の女子生徒が一列に並び、ガイドの方の説明を聞いている姿がなぜか印象に残りました。


(参考:こうもり塚古墳 岡山県総社市上林)


入り口 吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳 6世紀に築造された全長約100mの前方後円墳で、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室がある。


石棺が残っている


玄室の巨石群

ところで飛鳥と明日香どう違うのでしょう?
昭和31年に飛鳥村、高市村、阪合村が合併して明日香村となったことから、一般的には自治体や地名には「明日香」を、時代や地域などを指すときは「飛鳥」が使われるが、明確に区別されているわけではないようです。


(日本棚田百選:稲渕の棚田)
続いて稲渕の棚田を訪ねました。初秋には、彼岸花が畔に咲き実に絵になる風景がひろがるのだとか、さて今は実りの秋、いかにも明日香村という風景を見たかったのです。石舞台古墳の駐車場のガードマンの方から道を聞いていたので迷うことはありません。ほどなく走ると、眼下に棚田の美しい風景が広がっていました。


中世(平安~室町時代)に開墾され、日本の棚田百選にも選ばれた稲渕の棚田は、300枚あまりの水田と畑により形作られ、明日香村の美しい歴史的景観の一部となっている。


稲渕の棚田には春には菜の花が、秋に掛かれば黄金の稲穂と赤黄と色づく彼岸花が咲き誇り、それは美しい景観となる。


まだ稲刈りの終わっていない田んぼもある


少し降りてみた


自転車も坂道は大変


ススキが景観に風情を添える



サイクリングで移動する、カップルや、ファミリーに出会いましたが、起伏のある道に相当お疲れのようでした。
時間があれば、高松塚古墳やキトラ古墳も巡りかったのですが、明日もあるので無理をせず、ホテル(橿原ダイワロイヤルホテル)に向かいました。


“藤原宮跡のコスモス畑”につづく
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