未熟なカメラマン さてものひとりごと

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あこがれの奈良に行ってきました。一日目その2 明日香村・石舞台古墳と稲渕の棚田を訪ねて

2022-11-04 22:55:20 | 奈良
訪問日: 令和4年10月23日(日)
前回の法隆寺につづく
(石舞台古墳)所在地 奈良県高市郡明日香村島庄133

法隆寺を出て次に向かったのが明日香村・石舞台古墳です。日本史には必ず登場する超有名な横穴式石室です。周辺は公園になっていて多くの観光客でにぎわっていました。駐車場にガードマンの方が立っていたので有料かと思いましたが、ありがたいことに無料でした。入場料は、一般が300円ですがJAFの割引が効きました。


石舞台古墳は、飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保護、活用を図る一環として、国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園の一角をなしている。画像は周囲のなだらかな棚田地形を活かした芝生広場。


ススキが色どりを添える


丘の上に姿を現す石舞台古墳


墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈している独特の形状。天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれている。


入り口 30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量である。

丘の上に鎮座する古墳、教科書で習ったそのままです。最初に見た印象は、意外にも“小さい”でした。しかし上部のすきまから石室内をのぞき込むと、想像以上に深く、この時点であらためてその大きさを実感しました。このあたりが曽我馬子(そがのうまこ)の領地であったことから、多くの説が曽我馬子の墓と伝えられ、その大きさは国内最大級といわれています。
ぐるりと廻ったところで、地下の石室内に通じる階段がありました。



7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれている。


玄室に光が差し込む


玄室から入り口方面を見る


どこか国の天然記念物”オオサンショウウオ”に似ている


空堀手前から古墳を見たところ


熱心に話を聞く女子高生

降りてみると、改めてその大きさを確認することができます。石棺は失われていましたが、とても広い空間です。ここで思いだすのが、吉備路(岡山県総社市)のこうもり塚古墳です。前方後円墳で全国第4位の横穴室石室ですが、訪れたとき、これより大きいといわれる石舞台古墳はどのような大きさなのだろうと、非常に興味持っていました。

修学旅行の女子生徒が一列に並び、ガイドの方の説明を聞いている姿がなぜか印象に残りました。


(参考:こうもり塚古墳 岡山県総社市上林)


入り口 吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳 6世紀に築造された全長約100mの前方後円墳で、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室がある。


石棺が残っている


玄室の巨石群

ところで飛鳥と明日香どう違うのでしょう?
昭和31年に飛鳥村、高市村、阪合村が合併して明日香村となったことから、一般的には自治体や地名には「明日香」を、時代や地域などを指すときは「飛鳥」が使われるが、明確に区別されているわけではないようです。


(日本棚田百選:稲渕の棚田)
続いて稲渕の棚田を訪ねました。初秋には、彼岸花が畔に咲き実に絵になる風景がひろがるのだとか、さて今は実りの秋、いかにも明日香村という風景を見たかったのです。石舞台古墳の駐車場のガードマンの方から道を聞いていたので迷うことはありません。ほどなく走ると、眼下に棚田の美しい風景が広がっていました。


中世(平安~室町時代)に開墾され、日本の棚田百選にも選ばれた稲渕の棚田は、300枚あまりの水田と畑により形作られ、明日香村の美しい歴史的景観の一部となっている。


稲渕の棚田には春には菜の花が、秋に掛かれば黄金の稲穂と赤黄と色づく彼岸花が咲き誇り、それは美しい景観となる。


まだ稲刈りの終わっていない田んぼもある


少し降りてみた


自転車も坂道は大変


ススキが景観に風情を添える



サイクリングで移動する、カップルや、ファミリーに出会いましたが、起伏のある道に相当お疲れのようでした。
時間があれば、高松塚古墳やキトラ古墳も巡りかったのですが、明日もあるので無理をせず、ホテル(橿原ダイワロイヤルホテル)に向かいました。


“藤原宮跡のコスモス畑”につづく
コメント
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