大勢の参拝者で賑う最上稲荷
参道(門前町)が途切れ、いきなりという感じでインド式の仁王門が出現します。仁王門がどうしてこのような様式になったのか不思議です。老朽化のため、平成25年に改修工事が行われ、2体の金色仁王尊像もこのたび改修されましたが、びっくりしたのがそのお姿、まさに黄金の像でした。京都や奈良のそれとは一線を画し、まさに現代風の像ではありませんか。おまけに足元にちりばめられているのは、ガラス製の黄金のわらじです。
我々が考えるよりもずっと割り切ったものの考え方をされる最上稲荷教です。仁王門を抜け、御水舎で手と口を清めて最初に向かったのが祈祷の申込所です。さすがにこの時期、1時間待ちとなっていました。先ほど、門前町の出口付近で買った線香にローソクで火をつけて、先に七十七末社参りをすることにしました。
1本ずつ線香をあげて一回りすると、ちょうど無くなるのでうまいことできています。そして旧本殿横で、恒例のおみくじを引きました。実は、ここのおみくじ、かなりの確率で「凶」が出ます。はたして今年はどうかと期待しましたが、今年も夫婦そろって「凶」でした。いつものことなので特に悲観はしませんが、今年も1年間を慎重に生きなければいけないと、少し身が引き締まる程度には感じます。
今年も凶だったおみくじ
今年も破魔矢が必要だなと、おみくじを所定の場所の紐に結んでいると、ひとりのご老人が声を掛けてきました。
「おたくは何が出ましたか?」と訊かれたので、
「凶でした」と答えると、
「やっぱりそうでしたか」と納得したご様子。
お孫さんも一緒だったようですが、皆さん凶だったようです。
ご老人曰く
「凶にして、何回も引かせようとしとるんでしょうかな」と。
私はさすがにそこまでは考えませんでしたが、ここのおみくじ、金属製の箱をガラガラと振って廻し、小さな穴から番号の入った竹の棒が出るというものですが、物理的にうまく混ざらない結果だと思います。
おみくじを引き、鐘楼で勢いよく鐘をついたあと広い境内に戻ると、もう少し時間があったので、山の上に見えた展望台らしき場所まで登ってみることにしました。
もう数十年、毎年この最上稲荷にお参りしていますが、今回初めてその存在に気が付きました。山道を登ること約10分。登り切ったところは広場になっていて、巨大な像がありました。日蓮上人だそうです。そして、その向こうに広がるのが、黒田官兵衛が策を練り成功させた、あの水攻めの備中高松城跡と平野です。ここは、秀吉が高松城を攻めるため最初に陣を引いた場所だそうです。(つづく)
展望台は秀吉が最初に高松城水攻めの陣を敷いたところ