訪問日 令和6(2024)年8月5日(月)
岡山県の名瀑を訪ねて 新見市鳴滝(なるたき)につづく
新見市鳴滝から次の目的地「新見夢すき公園」を目指しました。所要時間は20分ほどでした。たまたま、今朝の地元新聞朝刊に、「短冊、風鈴 涼しげ」と題して夢すき公園が紹介されていました。せっかく新見市に来たならぜひ寄ってみたいと思ったのです。
新聞の紹介では、地元に伝わる神代和紙で作られた短冊を風鈴とともに飾る「かみさま夢風鈴」が今年も開催され、来場者にひとときの“涼”を届けているというものでした。短冊は冬場に手すきして淡い黄色や緑色に染めてあり、公園内の藤棚などに約2千枚をつるし、その間に鉄製・備前焼の風鈴計130個が取り付けられているとのことでした。
駐車場に高く掲げられた「日本一の親子孫水車」の看板
「かみさま夢風鈴」の幟 かみさまは、神代和紙の「紙」と「神」が掛けられています。
周辺の様子
駐車場からまず向かったのが、藤棚です。藤の花ならぬ淡い色のついた短冊が藤の花のようにびっしり吊り下げられています。風鈴はその間のところどころに取り付けられていました。風鈴というと「チリーン、チリーン」という音を連想しますが、こちらでは、高音で「キン・キン」と聞こえました。わずかな風でも一斉に短冊がたなびき、それに伴い風鈴が共鳴してまるでメロディーを奏でているように聞こえました。とても風情があります。公園の水車と相まって十分に涼を感じることができました。
こちらの公園、人生二度目ですが、改めてその大きさを確認することができました。園内には、奥備中神代和紙の歴史を紹介する「紙の館」などがあります。
水車小屋と親水車 一番大きい親水車は、直径13.6m 全国7位の大きさ 完成1991年6月 材質はマツ 下掛け方式
最初、親子水車(子は6m)でしたが、日本一の称号を取り戻すため、平成11年に孫(4m)を加えて三世代水車になりました。
藤棚に吊り下げられたパステルカラーの短冊
風鈴は、鉄製と備前焼で、130個が取り付けられています
風が吹くと短冊は一斉にたなびきます
風鈴は、キン・キンと鳴り響きメロディーを奏でます
きれいに影が映り込んでいます
茅葺き屋根の軒先にも取り付けられています
水車は鉄骨で補強されているようです
下掛け方式と言うそうです
子水車
紙すき体験館
孫水車
下手から園内を一望する
東屋の短冊 風に揺れています
取り付けられた風鈴
池のコイ
紅白の大きなコイ
紙の館 和紙の原料が天井の梁に吊り下げられています
神代は平安時代に伊勢神宮の神領でしたが、中世室町時代になると、東寺の荘園になり神代和紙は東寺に献上されるようになりました。東寺百合文書(*1)が現在まで残っているのは、手すき和紙が非常に長持ちすることの証明に他なりません。
公園内を一巡し、最後にもう一度、藤棚の下のベンチで、音色を楽しんだ後、本日最後の目的地「済渡寺(さいどうじ)」に向かいました。
日本で一番大きい水車は、埼玉県立川の博物館の24.2mだそうです
大木の木陰から見る水車
(*1)東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)は、京都の東寺に伝えられた日本中世の古文書で、現在は京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館)が所蔵しています。8世紀から18世紀までの約1千年間にわたる膨大な量の古文書群で、その数はおよそ2万5千通に及びます。中でも、もっとも充実しているのが、14世紀から16世紀あたりの文書です。名前の由来は、江戸時代に遡ります。加賀藩の第5代藩主だった前田綱紀が百個の桐箱を文書の保存容器として東寺に寄附し、その後はこの箱に納められて伝えられてきたことから、「東寺百合文書」と呼ばれるようになりました。
東寺百合文書は、1967年(昭和42年)に京都府が東寺から購入。史料的価値がとても高いということで、1997年(平成9年)には国宝に指定されました。(参考:京都府立京都学・歴彩館HPより)
岡山県の名瀑を訪ねて 新見市鳴滝(なるたき)につづく
新見市鳴滝から次の目的地「新見夢すき公園」を目指しました。所要時間は20分ほどでした。たまたま、今朝の地元新聞朝刊に、「短冊、風鈴 涼しげ」と題して夢すき公園が紹介されていました。せっかく新見市に来たならぜひ寄ってみたいと思ったのです。
新聞の紹介では、地元に伝わる神代和紙で作られた短冊を風鈴とともに飾る「かみさま夢風鈴」が今年も開催され、来場者にひとときの“涼”を届けているというものでした。短冊は冬場に手すきして淡い黄色や緑色に染めてあり、公園内の藤棚などに約2千枚をつるし、その間に鉄製・備前焼の風鈴計130個が取り付けられているとのことでした。
駐車場に高く掲げられた「日本一の親子孫水車」の看板
「かみさま夢風鈴」の幟 かみさまは、神代和紙の「紙」と「神」が掛けられています。
周辺の様子
駐車場からまず向かったのが、藤棚です。藤の花ならぬ淡い色のついた短冊が藤の花のようにびっしり吊り下げられています。風鈴はその間のところどころに取り付けられていました。風鈴というと「チリーン、チリーン」という音を連想しますが、こちらでは、高音で「キン・キン」と聞こえました。わずかな風でも一斉に短冊がたなびき、それに伴い風鈴が共鳴してまるでメロディーを奏でているように聞こえました。とても風情があります。公園の水車と相まって十分に涼を感じることができました。
こちらの公園、人生二度目ですが、改めてその大きさを確認することができました。園内には、奥備中神代和紙の歴史を紹介する「紙の館」などがあります。
水車小屋と親水車 一番大きい親水車は、直径13.6m 全国7位の大きさ 完成1991年6月 材質はマツ 下掛け方式
最初、親子水車(子は6m)でしたが、日本一の称号を取り戻すため、平成11年に孫(4m)を加えて三世代水車になりました。
藤棚に吊り下げられたパステルカラーの短冊
風鈴は、鉄製と備前焼で、130個が取り付けられています
風が吹くと短冊は一斉にたなびきます
風鈴は、キン・キンと鳴り響きメロディーを奏でます
きれいに影が映り込んでいます
茅葺き屋根の軒先にも取り付けられています
水車は鉄骨で補強されているようです
下掛け方式と言うそうです
子水車
紙すき体験館
孫水車
下手から園内を一望する
東屋の短冊 風に揺れています
取り付けられた風鈴
池のコイ
紅白の大きなコイ
紙の館 和紙の原料が天井の梁に吊り下げられています
神代は平安時代に伊勢神宮の神領でしたが、中世室町時代になると、東寺の荘園になり神代和紙は東寺に献上されるようになりました。東寺百合文書(*1)が現在まで残っているのは、手すき和紙が非常に長持ちすることの証明に他なりません。
公園内を一巡し、最後にもう一度、藤棚の下のベンチで、音色を楽しんだ後、本日最後の目的地「済渡寺(さいどうじ)」に向かいました。
日本で一番大きい水車は、埼玉県立川の博物館の24.2mだそうです
大木の木陰から見る水車
(*1)東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)は、京都の東寺に伝えられた日本中世の古文書で、現在は京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館)が所蔵しています。8世紀から18世紀までの約1千年間にわたる膨大な量の古文書群で、その数はおよそ2万5千通に及びます。中でも、もっとも充実しているのが、14世紀から16世紀あたりの文書です。名前の由来は、江戸時代に遡ります。加賀藩の第5代藩主だった前田綱紀が百個の桐箱を文書の保存容器として東寺に寄附し、その後はこの箱に納められて伝えられてきたことから、「東寺百合文書」と呼ばれるようになりました。
東寺百合文書は、1967年(昭和42年)に京都府が東寺から購入。史料的価値がとても高いということで、1997年(平成9年)には国宝に指定されました。(参考:京都府立京都学・歴彩館HPより)