未熟なカメラマン さてものひとりごと

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1000年の時を繋ぎ国宝の文書を支えた手漉きのわざ 岡山県新見市夢すき公園 神代(こうじろ)和紙

2024-08-14 17:27:49 | 公園
訪問日 令和6(2024)年8月5日(月)

岡山県の名瀑を訪ねて 新見市鳴滝(なるたき)につづく

新見市鳴滝から次の目的地「新見夢すき公園」を目指しました。所要時間は20分ほどでした。たまたま、今朝の地元新聞朝刊に、「短冊、風鈴 涼しげ」と題して夢すき公園が紹介されていました。せっかく新見市に来たならぜひ寄ってみたいと思ったのです。

新聞の紹介では、地元に伝わる神代和紙で作られた短冊を風鈴とともに飾る「かみさま夢風鈴」が今年も開催され、来場者にひとときの“涼”を届けているというものでした。短冊は冬場に手すきして淡い黄色や緑色に染めてあり、公園内の藤棚などに約2千枚をつるし、その間に鉄製・備前焼の風鈴計130個が取り付けられているとのことでした。



駐車場に高く掲げられた「日本一の親子孫水車」の看板


「かみさま夢風鈴」の幟 かみさまは、神代和紙の「紙」と「神」が掛けられています。


周辺の様子

駐車場からまず向かったのが、藤棚です。藤の花ならぬ淡い色のついた短冊が藤の花のようにびっしり吊り下げられています。風鈴はその間のところどころに取り付けられていました。風鈴というと「チリーン、チリーン」という音を連想しますが、こちらでは、高音で「キン・キン」と聞こえました。わずかな風でも一斉に短冊がたなびき、それに伴い風鈴が共鳴してまるでメロディーを奏でているように聞こえました。とても風情があります。公園の水車と相まって十分に涼を感じることができました。
こちらの公園、人生二度目ですが、改めてその大きさを確認することができました。園内には、奥備中神代和紙の歴史を紹介する「紙の館」などがあります。




水車小屋と親水車 一番大きい親水車は、直径13.6m 全国7位の大きさ 完成1991年6月 材質はマツ 下掛け方式
最初、親子水車(子は6m)でしたが、日本一の称号を取り戻すため、平成11年に孫(4m)を加えて三世代水車になりました。


藤棚に吊り下げられたパステルカラーの短冊


風鈴は、鉄製と備前焼で、130個が取り付けられています


風が吹くと短冊は一斉にたなびきます


風鈴は、キン・キンと鳴り響きメロディーを奏でます


きれいに影が映り込んでいます


茅葺き屋根の軒先にも取り付けられています


水車は鉄骨で補強されているようです


下掛け方式と言うそうです


子水車


紙すき体験館


孫水車 


下手から園内を一望する


東屋の短冊 風に揺れています


取り付けられた風鈴


池のコイ


紅白の大きなコイ


紙の館 和紙の原料が天井の梁に吊り下げられています

神代は平安時代に伊勢神宮の神領でしたが、中世室町時代になると、東寺の荘園になり神代和紙は東寺に献上されるようになりました。東寺百合文書(*1)が現在まで残っているのは、手すき和紙が非常に長持ちすることの証明に他なりません。

公園内を一巡し、最後にもう一度、藤棚の下のベンチで、音色を楽しんだ後、本日最後の目的地「済渡寺(さいどうじ)」に向かいました。



日本で一番大きい水車は、埼玉県立川の博物館の24.2mだそうです


大木の木陰から見る水車

(*1)東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)は、京都の東寺に伝えられた日本中世の古文書で、現在は京都府立京都学・歴彩館(旧京都府立総合資料館)が所蔵しています。8世紀から18世紀までの約1千年間にわたる膨大な量の古文書群で、その数はおよそ2万5千通に及びます。中でも、もっとも充実しているのが、14世紀から16世紀あたりの文書です。名前の由来は、江戸時代に遡ります。加賀藩の第5代藩主だった前田綱紀が百個の桐箱を文書の保存容器として東寺に寄附し、その後はこの箱に納められて伝えられてきたことから、「東寺百合文書」と呼ばれるようになりました。
東寺百合文書は、1967年(昭和42年)に京都府が東寺から購入。史料的価値がとても高いということで、1997年(平成9年)には国宝に指定されました。
(参考:京都府立京都学・歴彩館HPより)
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岡山県の名瀑を訪ねる 新見市「鳴滝(なるたき)」

2024-08-10 18:43:18 | 
訪問日:令和6(2024)年8月5日(月)

猛暑が続く日本列島、今年も涼を求めて岡山県内の名瀑を訪ねることにしました。今回訪問するのは、新見市の「鳴滝(なるたき)」です。私は初めての訪問でした。午前中に帰りたいと思い、早朝午前6時半に自宅を出発しました。
それにしても、新見市の何と広いこと。市の中心部を過ぎても目的地まではさらに30分要しました。
ナビは、「別所アウトドアスポーツセンター」にセットしました。このあと、このまま進めば鳴滝に着くことはわかっていましたが、途中道が狭くなり、合っているのか少々不安になったこともありました。
野生の猿の集団に二度ほど遭遇しました。目の前をを我が物顔で横切っていきます。そして何とか目的地に到着。事前の情報では、駐車場5台とありましたが、スペース的には10台は可能のようです。
立派な外観のトイレの横に案内板が設置してありました。最近設置されたものでしょうか、色も鮮明で、わかりやすいものになっていました。



山小屋スタイルのトイレ


分かりやすい案内板です


いよいよ出発です


渓流沿いの遊歩道を300mほど歩きます


渓流にも癒されます

(土木学会選奨土木遺産 用郷林道・七曲がり)


明治45年に建造されました


あちこちに咲いていたキツネノカミソリ(狐の剃刀)はヒガンバナ科の多年草


用郷林道(ようごりんどう)・七曲がり

(下段の滝)

案内板に従って、渓流沿いの遊歩道を進みます。道幅は広くてとても歩きやすく、暑い日差しは樹々の緑に遮られて、いい感じで森林浴を味わうことができました。
数百メートル歩くと、滝の音が聞こえ、鳴滝が姿を見せてくれました。スケール的にはそれほどでもありませんが、水量は予想以上でした。渓流の石を飛び越えて向かい側からも撮影を試みました。

鳴滝は、大河ドラマ「武蔵・MUSASHI」でのロケ地となったそうです。主人公が滝に打たれるシーンはここだったかと思いましたが、あとで確認すると、こちらで撮影されたのは、「奈良への道中、柳生兵庫助(高嶋政伸)が、お通(米倉涼子)に道中を共にしないかと誘った」シーンだったそうです。滝に打たれるシーンは、山乗渓谷で撮影されたようです。



遠目から見る鳴滝


水量はかなりのものです


岩を飛び越えて向こう側に回ってみました。上にもう一つの滝を発見しました。


美しい滝です(スローシャッターで)




近くからアップで

上段の滝



渓流の反対側から撮影している時、上にもう一つ滝があることに気づきました。よく見るとそこに通じる遊歩道もあるようです。上の滝は、さらに大きく水量も相当なものでした。滝つぼも広く、スケール的には下段の滝をはるかにしのぎます。一般に鳴滝と言われているのはこの滝のことでしょう。撮影は手前側からのみでしたが、黄色い花「キツネノカミソリ」が一輪滝の手前に咲いていて印象的でした。


上段の滝 下段をはるかに上回るスケールです


一輪のキツネノカミソリと滝


広い滝つぼです


マイナスイオンが漂っています


小さな女滝もありました


キツネノカミソリ


帰りの遊歩道 ブヨが顔の廻りにたくさん寄ってきたのでハンカチで払いながら歩きました


もうすぐ駐車場です

後でわかったことですが、鳴滝は3段ありその長さは30mもあるそうです。近くに小さな
女滝と称する滝もありました。
そして、滝の横には、もう一つの観光スポット・土木遺産の「用郷林道・七曲がり」があります。急な斜面に、つづら折りに六曲がりの石垣が積み上げられています。六より語呂がいいので七曲がりになったとか。説明版によると、作られたのは明治の終わりごろ、旧新見営林署が国有林から木炭や材木などを搬出するため作ったそうですが、難工事だったに違いありません。

本日、一番目の目的を終え、このあと、当日の朝刊に掲載されていた、短冊に風鈴の「新見夢すき公園」に向かいました。
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2024 広島県のハスの名所を巡る 広島県東部編

2024-07-28 12:50:24 | 花の名所
訪問日:令和6(2024)年7月22日(日)

ハスの開花の季節、今年も広島県の名所を巡りたいと思いました。
目的地は、①三原市の棲眞寺(せいしんじ)、②尾道市瀬戸田 耕三寺の花蓮祭(はなはすさい)、③府中市の府中公園の大賀ハスの3か所で、花が閉じる前の午前中に見終える予定です。


(棲眞寺)三原市大和町平坂2033 山陽花の寺二十四か寺

自宅を5時50分ごろ出発し最初に向かったのが三原市の棲眞寺です。3年ぶりの訪問でした。山陽道を経由し所要時間は1時間10分、現地には7時前に到着しました。
この日は、前回と同じく棲眞寺公園一帯の清掃日になっていたようで、作業車が終結、7時から草刈り機を持った人が一斉に作業を始めました。一帯にエンジン音が響き渡ります。
肝心のハス池ですが、何と全体が雑草に覆われており、実に残念な状態でした。一度に撮影意欲がなくなってしまいました。
咲いていたのは、ごく一部のエリアだけ、おまけに朝の強烈な日差しで撮影には不向きでした。最後に展望台から広島空港大橋(広島スカイアーチ)を数枚撮影し、次の目的地、耕三寺に向かうことにしました。滞在時間はわずか20分ほどでした。



棲真寺境内


池のコイ


ハス池の様子


池の一部に咲くハス




陽射しを受けて輝く


透けるハス


散った後


スカイアーチ展望台に続く遊歩道


展望台から見るスカイアーチ 展望台といっても林の間から覗き見る感じです


地区の方々か一斉に草刈りを始めました。

(耕三寺)尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2 浄土真宗本願寺派寺院

耕三寺に到着したのは、開館20分前の8時40分ごろでした。正門前で1時間前から待っているカメラマンに出会いました。栃木県?の胡瓜の専業農家の方で、農閑期を利用し各地の名所を巡っているとのことでした。寝泊りは車の中、食事はコンビニで、洗濯はコインランドリーで、費用はそんなに掛かっていないとか。奥様に「いってらっしゃい」と見送られて出発したそうです。“亭主元気で留守がよい”ということでしょう。うらやましい夢のような生活をされている方だと思いました。
観光客がいない「未来心の丘」を一番に撮りたいと意気込んでおられました。

開門と同時に館内に入ると、受付での丁寧で要領のよい職員の方の対応に感心しました
さてハスですが、受付の左手前に大きな鉢が整然と並べられていました。境内全体で、その数50品種、300鉢とか。絶好の被写体となりました。ハスはおよそ20年前から育て始められたそうです。特に、博物館の建物とのセットは絵になりますね。
ただ全体的に見ごろは過ぎているようでした。この日、8時から希望者にハスの撮影についてワークショップがあったようです。
こちらの滞在も30分ほどで切り上げ、最後の目的地、府中公園に向かいました。



正門 9時開館でした


整然と並ぶハス鉢


まるでハス畑のようです


中門とのコラボ 実に優雅です


五重塔と一輪のハス


実に美しい


濃いピンクのつぼみ


上から撮ってみました


実に華やか


透ける


ピンクと白


咲き始めか閉じ始めか


重なるピンク


本日一番のお気に入り


こちらは別の種類でしょうか


花弁を落としたハスの花


境内の様子 夏空に浮かぶ雲が印象的でした


本堂前に咲くハス一輪

(府中公園)広島県府中市出口町38-1

府中公園のナビのセットには苦労しました。なかなか住所だけでは特定できません。首無地蔵の近くと分かっていましたが、周辺をぐるぐる回遊しました。府中公園と書かれた看板を目にすることはなかったように思われます。

それでも何とか到着。庄ノ池の周りをぐるりと取り囲むようにハスが植栽されていました。東京の府中市(武蔵府中)から、名前が同じことが縁で、この広島の府中市(備後府中)に平成3年(1991)に大賀ハスを譲り受けたそうです。それからもう33年も経ちました。

種類は大賀ハスのみですが、想像以上の規模に正直うれしくなりました。広島県のハスの名所といっても過言ではないでしょう。同時刻に数人のカメラマンを目にしました。
時刻は11時ごろ、この日の最高気温は36度にもなり汗が自然と流れてきます。
棲真寺は残念でしたが、耕三寺は想定通り、最後に想像以上の規模の府中公園のハスを見ることができて、満足した一日となりました。
こうして本日の日程を終え、帰途につくことにしました。



庄の池 池の周りをぐるりと大賀ハスが植えられています。池に映る白い雲


ところどころにハスが花を咲かせています


池とのコントラストがきれいです


もう少し低い位置から


こちらもお気に入りです


見ごろはもう少し続きそうです


下の方にこっそり咲くハスの花


コイの姿が見えました


咲く前は、濃いピンク


ほんとうに美しい


もう一枚


清楚な一枚


散り際も美しい


ボリュームもあります


水辺は落ち着きます


透かして見ました


大賀ハスには清楚な美しさがあります


何とも美しい。心が洗われれうようです。



もう一枚


最後の一枚

最後までご覧いただきありがとうございました。
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2024 森の宝石・ブッポウソウ撮影日記  岡山県吉備中央町・横山様

2024-07-23 20:59:58 | 野鳥の撮影
訪問日:2024(令和6)年7月19日(金)

昨年に続き、今年もブッポウソウの撮影に吉備中央町に行ってきました。5時40分に自宅を出発。目的地の「腰痛の地蔵尊・横山様」に到着したのが6時50分ごろでした。駐車場はすでに満車に近く15台ほどが停まっていました。
天気予報では、曇り、午後から降水確率40%の予報でしたが、青空の広がるとても気持ちのよい天気となりました。



腰痛の地蔵尊 横山様 個人宅ではありません


棚田の広がる里山 夏の雲が印象的です


横山様から駐車場を見る

横山様は、町内で最も大きな観察所で、ブッポウソウ撮影の聖地ともいわれています。全国から多くの写真愛好家がやってきます。この日は、奈良から3台ほど、滋賀、徳島、なにわ、大阪、神戸ナンバーなど県外の車が目立ちました。
観察小屋は3棟あり、40人ほど受け入れ可能です。山裾にあり、前方には緑の棚田状の水田が広がっています。まさに山里の風景です。このような環境をブッポウソウは好むようです。小屋には屋根があり日差しが直接当たることもなく、不思議なことに蚊もいません。ということで撮影には恵まれた環境です。



巣の中がライブ中継されています。4羽が確認できます


冷えた飲み物は百円均一、水は50円と書いてあります。


横山様の格天井に天井絵 

撮影スポットは、左側の山裾にある桐の木の小枝、そして高い木のてっぺん付近と、正面の巣箱、そして近くの電線に集約されます。
ここを管理されている中山良二さんの話によると、今年は300個の巣箱を設置し、内200個にひなが生まれたとのことです。
単純計算すると、親鳥が計400羽、ひなを平均3羽とすると600羽、合計1000羽が故郷のボルネオに帰っていくことになります。


電線にとまる


休んでいるようです


羽繕いをしています


電線を飛び立つ 餌を獲りに行ったのでしょうか

桐の小枝にとまる


桐の小枝がお気に入りです。


休んでいます


動きません 頭だけキョロキョロ


エサを咥えています。まもなく巣箱に向かいます

木のてっぺんで様子をうかがう


この場所もお気に入りです


飛び立ちました。私のレンズではなかなか追えません

巣箱に戻る


巣箱に戻ってきました


ブレーキ作動中


はい!着地


中を覗いて


しっかり入ります

撮影者の様子を横から見ると、まるでレンズの品評会のようです。
お隣さんとの会話も特にありません。ボーっと前方を眺めとんでくるのをただ待ちます。「ゲー」とブッポウソウの独特な鳴き声も撮影に入る動作の有難いタイミングです。
飛び立つ瞬間を撮ろうと思っても、ずっと同じ場所にとどまり、何か意地悪をされているような気分の時もあります。
中山さんによると、1回エサを与えると、ひなが消化するのに20分ほどかかるため、その間は来ないそうです。今年は昨年と比べ成長が5日ほど遅いそうです。巣立ちは今月の末ごろだとか。
最後の撮影にもう一度来ようかどうしようかと悩ましいところです。


巣箱を飛び立つ


ため息の出るような美しさです


青と白のグラデーションが素晴らしい


滑降しているようです


ほんとに美しい


シャッタースピードは3200分の1秒


追うのが至難の技です


空気を漕いでいる感じです
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青い空とレトロで美しい港町を撮りたくて  広島県福山市鞆の浦 王道の観光コースを行く

2024-07-14 10:00:18 | 古い町並み
訪問日 2024(令和6)年7月5日(金)

梅雨の晴れ間、朝から青い空が広がっていました。前回、吹屋ふるさと村を訪ね気をよくしたので、今回は鞆の浦を訪ねることにしました。
自宅からの所要時間は50分ほど。どうか青い空が雲に隠れませんようにと願いながら車を走らせると、鞆の浦は願ってもないよい天気でした。
平日の早い時間とあって、福山市営渡船場横の第1駐車場に停まっていたのはわずかでした。観光パンフレットを入手しようと思いましたが、残っているのは外国語のパンフレットのみ。まずは、渡船(平成いろは丸)で久しぶりに仙酔島を訪ねてみようと思いました。



第1駐車場は、渡船乗り場のとなり


駐車場の西となりは、汀邸 遠音近音(みぎわてい をちこち)


岸壁で釣り糸を垂れる人


平成いろは丸のマスト


総トン数は19トン 海援隊の坂本龍馬が乗っていた伊呂波丸は160トン、マスト3本、45馬力


船上から見る遠音近音


旅情を感じさせる船の波


空も海も青一色


弁天島


四つ星ホテル 鷗風亭

(仙酔島)

渡船はこの時間20分ごとに出港し、仙酔島までの所要時間は5分ほどでした。船着き場から小山を超えると、国民宿舎仙酔島があるのですが、2021年3月に営業を終了し残念ながら解体中でした。昔の面影はみじんもありません。それでも目の前の砂浜、それは美しいものでした。
それではと、遊歩道を散策しようと思いましたが、がけ崩れで通行止めになっていました。見たところ開業しているのは、江戸風呂と称する温浴施設を有する旅館1軒だけでした。滞在時間は、結局15分ほど、次の便で引き返すことにしました。



到着後すぐに引き返す渡船


岩のトンネル


解体工事中の旧国民宿舎仙酔島


解体は今年いっぱいかかるようです

在りし日の国民宿舎仙酔島

(2019.1.7撮影)

遊歩道(五色岩はパワースポット)(2019.1.7撮影)


美しい砂浜 市営の海水浴場ですが、今年は解体のがれき撤去の船が入りネットが設置できないため中止となりました。


走島汽船のフェリーが鞆港に向かう


瀬戸内海国立公園は日本で最初の国立公園


江戸風呂の案内看板


仙酔島桟橋から見る穏やかな海


鞆港まで帰ってきました

(福禅寺・対潮楼)

渡船で戻ると、次に訪ねたのが目の前に見上げるようにある対潮楼です。ちょうど先客のご夫婦と入れ違いになり、見事な景色を一人占め状態でした。開け離れた窓からは、かつて朝鮮通信使が「日東第一景勝」と称した瀬戸内海国立公園の景観が目の前に広がり見事という他ありません。筝曲の作曲家・宮城道雄の「春の海」は、この鞆の浦をイメージして作曲されたのは有名な話です。この景観の視角内に、余計なものが入らずに後世まで守られるよう祈念し、寺をあとにしました。


坂道の小路は福禅寺への参道


境内に咲いていた花・アガパンサス


まるで一幅の絵画のよう 

鞆の浦は瀬戸内海の中心に位置し、万葉の時代より「潮待ち港」として栄えました。東西から流れてきた潮がぶつかる瀬戸内海の交通の要所となっていました。


朝鮮通信使により、日本一と評価された景色。手前に弁天島、その向こうに仙酔島が重なる。


覗き込むと渡船が出るところでした


対潮楼の扁額


菊の紋章


(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)


路地にあったプランターの花


鞆の津商家の折り紙の飾り


お化けがかわいいと思いました

小路を抜け、鞆の津の商家前から正面に見えるのが、鞆城あとに立つ鞆の浦歴史民俗資料館です。息を切らしながら石段を上ると、周囲にバラが植栽された白い建物が見えてきます。一番のお勧めは、何と言ってもここからの眺望。眼下に鞆港を見下ろし、その解放感は半端ではありません。ただ残念なことに、常夜灯は建物の陰に隠れてみることはできません。
資料館を訪問するのは本当に久しぶりでした。一番感心したのが、江戸時代の北前船が入港するころの港町の賑わいを再現した見事なセットです。日が暮れ各民家に灯が徐々にともっていく様子はとても趣があり実によくできていると思いました。



見上げると鞆の浦歴史民俗資料館


資料館前からの開放感あふれる展望。かつて鞆城は毛利氏の支配下にありました。


正面入り口


鯛網は380年続く伝統行事、観光鯛網は毎年5月にお祭りとして開催されています


よくできています

(重伝建の町並みとシンボル常夜灯)

急な石段を下り、重伝建の町並みを散策することにしました。太田家住宅の前の通りが一番なのですが、現在工事中につき撮影範囲は限られます。太田家住宅の裏側に回ると、かつての船板を使用した板壁がありなかなか趣があります。
この頃になると日差しは徐々に強くなり平日ともあって観光客はまばら。鞆のシンボル常夜灯前の広場のお店の主人も暇そうにしていました。常夜灯と鞆港、実に絵になる景色です。雁木(がんぎ)下の海中をのぞき込むと、何とゆうに30cmはあろうかと思われるクロダイがゆっくり泳いでいました。これは珍しいことなのか、当たり前の光景なのか釣りにはまったくの素人の私にはわかりません。



レトロ感あふれる澤村船具店


美しい町並み 右のお店は松右衛門帆(雑貨店)


鞆は、「崖の上のポニョ」の舞台と言われています。宮崎駿監督は、この町を気に入り3か月間も滞在したそうです。


杉玉・保命酒屋 現在保命酒を製造販売する会社は、4社のみ


美しい町並み


重要文化財 太田家住宅 

鞆のシンボル 常夜灯と雁木


右に、いろは丸展示館、正面に常夜灯 鞆を代表する景観です。


雁木(がんぎ)と常夜灯 江戸時代からの遺構です


太田家住宅の裏道 船板壁がぐるりと取り囲む


補修の跡も美しい


こちらも美しい通り


四つ角の洋館の建物・友光軒 昭和初期に建築された大正モダン溢れる佇まい。理髪店と銭湯で鞆の浦の憩いの場でした。1991年に理髪店は店じまい。以降、喫茶店、キャンドルの店、オムライスの店、ハヤシライスの店など続きましたが、現在は閉店しています。


銭湯跡の天井が今も残されています

(医王寺)

鞆に来たら欠かせないのが医王寺からの絶景です。町筋を抜け500mの坂道を息を切らしながら上った先にあり、そこから鞆港が一望できます。鐘楼前のベンチは特等席。この時間、境内には誰もいませんでした。はるか向こうには、四国の山々、条件的には最高でした。しかし何といっても一番の眺望はさらに583段の石段を上った先にある太子殿です。夏場はきつく、もう10年ほど登っていません。


医王寺への入り口付近、道の両側に吊るされた紙細工の飾り


誰もいない医王寺境内。医王寺は826年空海によって開基され、あのシーボルトも訪ねたそうです。


鐘楼前のベンチは、展望の特等席


左側から見る鞆港


少し右から見る鞆港


遠くに四国も見渡せます


帰りに訪ねたのが、鞆の浦景観茶房セレーナ 残念ながらまだ開店前でした。

最後に保命酒の岡本亀太郎本店で、保命酒のジェラートに舌鼓したあと鞆の浦をあとにしました。


岡本亀太郎本店


龍に守られた保命酒の大看板 右側の仏外和尚拳骨床柱が気になります。 この建物は福山城の長屋門を移築したもので、市の重要文化財に指定されています。


保命酒入りのジェラート アルコールは飛ばしてあるそうです


反対側の駐車場に近い雁木付近で撮影した鞆港


絵になります


漁船が並んでいます


最後までご覧いただきありがとうございました。
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