今日は南房総を一周してきた。
久しぶりに、ごんぞ~さん運転のドライブ。
23日から24日にかけての真夜中零時
娘の夫のお父様が天国へと旅立った。
ホスピスに移れて、個室でゆったり音楽も聞けて良かったね、って。
それからほんの数日だった。
ホスピスに移ってからも娘はお義父さんのところへ毎日詰めていた。
ホスピスは完全介護だし、詰めている必要はなかったのだろうけれど
娘はそうしてあげたかったのだと思う。
夜、11時半頃「今帰ってきたから朝早くラインを鳴らさないでね」と注意が入っていたりした。
23日は朝からなんだか心がざわざわしていて
娘に「年老いて死ぬことは悪いことじゃない」
「自然と身体を閉じて、閉じ終わった時魂が自由になる」なんて
メッセージを送ったりしていた。
あれはもしかしたら
お義父さんが私にもお別れに来ていてくれたからかもしれないね。
故人の遺志で、お葬式はほんとうに家族だけでするのだそうだ。
娘たち夫婦とお義母さんとお義姉さんだけで見送る。
私もお別れをしたかったけど、それは後ほど落ち着いてから
どこかでお線香を上げさせていただこうと思う。
いろいろ考えた。
今までそこまで自分の先のことを考えたことがなかったけど
去年から今年にかけて身近な人が数人亡くなったりして
お葬式のこととか、お墓のこととか、残された子供たちの行く末とか
いろいろ考えさせられた。
うーーーん。。。
考え始めたばかりだから
そう簡単には答えは出ないけど
なんだろう、生きてる間は一生懸命生きよう!
そのために努力しよう。
娘に「よくがんばったね、えらかったね」と声をかけたら
「がんばったのはお義父さんだよ」
「本当にえらかったよ」
と、こたえが返ってきた。
今頃、お義父さんはどの辺を飛んでいるかな。
翼をはためかせて自由にしているんだろうな。
いつかまた会いましょう。
その時は飲み明かしましょうね^^
お嬢様、本当に素敵なお嬢様でずね。
しみじみ、心に響きました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
いなくなってしまった直後はとても悲しいのだけど、きっとしばらくすれば「解放されたんだ」と思えるように...
きっと奥様とあちらで手を取り合ってらっしゃるかも(ご存命だったらごめんなさい)。
milkyさんの温かい文章と海の写真がとても素敵。
むすめさまも、「夜中に緊急の連絡があるかも」って緊張もなくなって。
これからちょっとゆっくりして疲れを癒して...
お葬式とかお墓とか。
うちは都営霊園を何度も申し込んでいるのだけど、全然当たらない〜!
お葬式は夫に任せるとしても、お墓の手配は無理だからなんとかしなくちゃなのだわ。
きっとお義父さまもご主人も感謝していると思います。
静かに時を過ごされることも供養かと思います。
milkyさんも陰ながらお参り・・・
それできっと気持ちは通じると思いますよ。
いくつであっても悲しいものですが…
本人にとってへ…もぅ苦しいことや
辛いことから解放されて楽になれて
るのかも…と最近は思います。
きっとお義父様もご家族に見守られて
旅立たれて幸せだったんじゃないですか。
「がんばったのはお義父さんだよ」
「本当にえらかったよ」
そう言える娘さんホントにすてきな
優しい人ですね。何か感動しました。
どうぞ今までの疲れがでません様に…
ご自愛なさってください。
私も高齢の父と義母が健在ですが、時々考えます。
年の順で仕方のない事ですが、いつかはやってくる別れ。
想像するだけで涙が出てきます。
娘さん、お疲れさまでした。
御家族とのお別れ・・・辛いですね。
みんな年老いて散って行くのはわかります。
娘さんも今は辛いでしょう。
お察しいたします。
お疲れさまでした。
明日は我が身、いつお迎えが来るのか
わかりませんがお迎えが来るまで精一杯
生きたいですね。
ほんと、こないだホスピスに移れたと聞いて
それだけでどんなにか良かったと思っていたので
もっともっとホスピスでゆったりとした時間を過ごしてほしかったと思っています。
一気に悪くなってしまったようで。
今回病院に入院するまでは、自分で歩いてお風呂にも入れたようなので
動けなくなってからはあっという間だったようです。
頑張ったんだなぁ、と私も思っています。
立派なお父様でした。
>きっと奥様とあちらで手を取り合ってらっしゃるかも(ご存命だったらごめんなさい)。
うふふ(^m^) ご存命でゴザイマス。
しかも・・・手を取り合って、なんて世界からは程遠いらしいです(笑)。
いろんな夫婦がいますから・・・仲良しとばかりはいかないのよね。
かくいう私も離婚経験者だし~^^;
妻さんご夫婦のような仲良しさんは本当にお幸せよ^^
お通夜やお葬式に伺うつもりで、もちろんいたので
本当の身内だけでの家族葬で兄弟も呼ばないと聞き
なんかびっくりして、ちょっと寂しい気がしました。
でもきっと男の美学で、抜け殻となった体を見られるのも良しとしなかったのかもしれませんね。
確かにそうすると元気な時の姿だけが脳裏に浮かびますもの。
私の時もそれがいいかな~ってちょっと考えなおしました。
これからはそういうお葬式の仕方が増えていくのかもしれませんね。
うん、そうよね~
残された者は寂しいけど、自由の利かなくなった身体や
さまざまな枷から解放されて、実はとっても良かったのかもしれないものね。
私もいつもそう思います。
事故や事件で死ぬのは困るけど、死ぬべき時が来たらそれはそれでいいんだなって。
身体が弱っていけば、自然に心もそれを受け容れられるようになるのかな。
いろいろ考えますね~