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雲南の書記と副書記17 山西省の出身

2017-07-22 12:14:07 | Weblog
山西省大同市郊外の大地。春まだ遠い3月末で農閑期だが、大地にはためく白い紙の破片と思って、よく見たら、わずかな水分が飛ばないように農繁期に大地を覆うビニール製のマルチだった。ジャガイモを取った後、大地にビニールごと鍬ですき込んでしまったようだ。

【雲南出身者の壁】
 副書記は一人だったり、複数だったりするのですが、和の副書記の最終期にあたる1993年から1997年に同時期に副書記を務めた他省出身で漢民族の令狐安が、和志強を飛び越して1997年から高厳の後任として書記に昇格してしまいました。これが少数民族出身者、さらには雲南出身者が感じる雲南のガラスの天井なのかもしれません。

 令狐安は1997年、山西省の人で北京工業学院を卒業した人物です。しかし理系出身の政治家が中国では多いですね。たしかな技術が行政に必要との合理的な考えなのでしょうか。

 彼は前に指摘しましたが海外逃亡した高厳の後。令の次は、死刑判決を受けた白恩培。彼自身は雲南で省書記を務めたあと、全人代の列席代表をとなり、三峡ダム建設委員などを務めるなど順調な出世を一時、遂げました。

ちなみに長らく党総書記の胡錦濤の秘書を務め、党中央書記処書記、党中央統一戦線部長などを務めたものの昨年、収賄と国家機密違法取得罪などで無期懲役を受けた人物に「令計画」がいます。

 彼も山西省出身な上、本来の姓が「令狐」であったために、令狐安は令計画の親族との風評が流れ、
「彼は私の子でもなんでもない」
 と表明することに彼はかなりの労力を費やさざる得ない立場となりました。
 
 珍しい姓で目立つゆえの誤解。しかし、雲南の党書記を務めた人で近年、失脚の波をかぶらない人を探すほうがたいへん、というのも恐ろしい話です。
(                            つづく)
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