たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

フェルメールの16作品目「天文学者」を観賞できました

2015-03-30 08:20:22 | 展覧会・美術展

東京・乃木坂の国立新美術館で『ルーヴル美術館展 』
日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄――
が開かれています。2015年2月21日(土)~6月1日(月)
ヨハネス・フェルメールの「天文学者」を観て来ました。



展覧会はパリのルーヴル美術館のコレクションの中から、
16世紀から19世紀半ばまでのヨーロッパ風俗画83点が出展されています。



「風俗画」とは、人々の日常生活の情景を描いた絵画で、
家事にいそしむ召使い、つましい食卓につく農民の家族、
身分や職業を異にする様々な人々の日常を描くものです。



展示品にはフェルメールの《天文学者》が初来日しました。
ティツィアーノ「鏡の前の女」、クエンティン・マセイス「両替商とその妻」など、
目を引く作品もありましたが、たにしの爺が一番、良かったと思ったのはスペインの画家、
ムリーリョの「乞食の少年<蚤をとる少年>」でした。



ぼろを纏い、ノミを取りながら物乞いする少年。
悲惨な情景であるはずが、なんとも言えない明るさが醸しだされています。
あの優しい聖母像や子どもらを描いてきたムリーリョの筆によると、
こういう雰囲気になるのだろうか。不思議な明るさに満ちています。



風俗画の多彩なテーマは当時のヨーロッパが身分や貧富の差もリアルに、
農作業、食卓、女性の家事労働など各階層の生活ぶりが描かれています。
中世ヨーロッパ絵画の占める宗教を題材にした大型作品や自画像などに比べ、
比較的小型作品が多いです。
絵を飾る場所が教会、宮殿、お城から一般家庭にも広がったことが分かります。



これまで、フェルメール絵画は、
2007年の秋にこの美術館で「牛乳を注ぐ女」を観賞して以来、
32点しかない世界の至宝「フェルメール」の絵画のうち、
半分の16点と東京で対面できたことになります。

2008年秋、東京都美術館で「マリアとマルタの家のキリスト」
「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」
「リュートを調弦する女」「手紙を書く婦人と召使」
「ヴァージナルの前に座る若い女」の7点。
2009年夏、国立西洋美術館で「レースを編む女」
2011年春、渋谷のBunkamuraで「地理学者」
2012年春、渋谷のBunkamuraで「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」
2012年夏、東京美術館で「真珠の耳飾りの少女」「ディアナとニンフたち」
2012年夏、国立西洋美術館で「真珠の首飾りの少女」を観賞してきました。
そして今回の2015年春、国立新美術館で「天文学者」で16作品になりました。



これまで対面した作品でイチオシは、やはり初めて対面した「牛乳を注ぐ女」でしょうか。
キラキラ輝く光あふれる絵画を、何度も並び直して見つめていました。
今回の「天文学者」はこれまでのフェルメール絵画の光が少なく、キラキラもブルーも乏しく地味なものでした。





この美術館の空間に浸ると、来る度に転地療法の気分になりますね。





国立新美術館はちょうどサクラがほころび始めた26日でした。
美術館の外は咲き始めたサクラに彩られ、
とても心地よい美術館めぐりになりました。





ミッドタウンを散策し日比谷線・六本木駅まで歩きました。

国立新美術館でフェルメールの天文学者を見てきました

2015-03-28 16:38:49 | 展覧会・美術展

いま、東京・乃木坂の国立新美術館で『ルーヴル美術館展 』
日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄――
が開かれています。2015年2月21日(土)~6月1日(月)
国立新美術館はちょうどサクラがほころび始めた日・26日で、
とても心地よい美術鑑賞の日になりました。

フェルメールの《天文学者》など、展覧会の詳細は後日アップしますが、
国立新美術館とサクラのをフォトチャンネルにまとめました。





点描のマジック「新印象派―光と色のドラマ」展を観ました

2015-02-16 10:51:40 | 展覧会・美術展
正月以来、ご近所道野辺の徘徊ばかり続いていましたので、
久しぶりに上京、3館めぐりのひとつ美術館に行ってきました。



東京都美術館(東京都・上野公園)で展開されている
<新印象派-光と色のドラマ>展を見てきました。
<会期=2015年1月24日(土)~2015年3月29日(日)>



パンフレットの表紙、ジョルジュ・スーラの代表作「セーヌ川、クールブヴォワにて」です。

<新印象派>とは1880年代半ばから1900年代始めにかけて活躍した、
点描技法を用いた画家たちです。
<印象派>を継承しながらも、最新の光学や色彩理論を参照し、
光と色の効果を探求した画家たちということです。



同2ページ目に採用されている、
ポール・シニャック「クリシーのガスタンク」と
カミーユ・ピサロ「」エラニーの農家です。





展覧会は印象派のモネの作品から始まり、
スーラ、シニャックによる新印象派初期の作品、
その後フランスやベルギーで次々と生み出された多様な新印象派の作品、
さらにマティス、ドランの色彩溢れる作品を紹介している。
スーラの描いた静かで小さな点が、
マティスのダイナミックで強い色彩の表現へ至るまでの変化の軌跡を、
世界各国の美術館から選抜した約100点の作品で辿ることが出来る。
以上、公式パンフ等による解説です。



同3ページ目には、ポール・シニャックの「髪を結う女」「サン=トロベの松林」など4作品が載っています。

会場は比較的空いていましたが、点数の多さに圧倒され疲れ果てました。
2月18日の毎日新聞夕刊に高階秀爾さんの分かり易い解説が載っていましたので、
記録させていただきました。



細かな点のタッチで色彩理論によって描き出す新印象派の技法は、
現代カラー印刷の原理・色分解プリントに繋がる事を知りました。
「一知半解」です。あまり本気にしないでください。



好天の土曜日とあって上野公園は人出で賑わっていました。
サクラの樹などは未だ固い蕾の枝のままでした。



動物園の前を抜けて東照宮の門前道にいきました。
ちょうど「ボタン園」が見ごろとなっていました。
チケット売り場には人の列、入場料700円です。



写真撮影はOKですかと、伺うと構いませんという。
しかし三脚を立てたりは出来ませんという。
見物人が多くて一株一株の撮影は難儀しそうで、
入らずに看板だけ撮って引き上げました。
開園一番に行っていないと、思うようには撮影できないようです。



上野公園イラストマップを載せておきます。
3月サクラの季節になったらぜひ、
足を運んでみてください。
「あぁ、上野駅」は心の故郷です。

ウフィツィ美術館展と夢見るフランス絵画展の一日・後編

2014-11-25 21:17:46 | 展覧会・美術展
芸術の秋ですね。19日に2つの美術展をハシゴして、上野・東京都美術館で、
ウフィツィ美術館展「黄金のルネサンス ・ボッティチェリからブロンヅィーノまで」
を見たことは前回に書きましたので、
今回は東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれている、
「夢見るフランス絵画 印象派からエコール・ド・パリへ」展です。
上野から渋谷まではメトロ銀座線で30分ほどです。



東急Bunkamuraにはお気に入りの映画館ル・シネマ(6階)
劇場オーチャードホール(3階)
地下1階のガーデンフロアに展覧会ザ・ミュージアムがあります。
会場には2時前に着きましたが、入場者はそれほど多くなく快適に観賞できました。



作品は日本の個人コレクションから厳選した、
近代フランスの巨匠・16作家の絵画作品71点を集めた作品展だという。





ポスターになっているルノワールの「宝石をつけたガブリエル」。モネの代表作「睡蓮」。
マリー・ローランサンの乙女像、セザンヌの風景画、
モディリアーニ、藤田嗣治、シャガールらの、
画集やテレビで一度は目にしたことがある作品が並んでいます。



午前中に上野で聖人や聖母子、キリストなどルネッサンス絵画の濃い絵を見てきた後だけに、
ソフトタッチの印象派作品にはホッとするものがありました。
これらの作品は、一人の日本人が集めた個人コレクションだと知って驚くばかりです。
隣接しているレストラン・ドゥ マゴ パリは、早くもクリスマスの色合いでした。



メトロ銀座線で、上野から渋谷に向かう途中の虎ノ門駅で降りて、
現役当時ランチに通っていたそば処「志奈乃」に寄りました。
ここの「カレーそば」600円は東京一だと思っています。



リタイア後2年半ぶりでしたが4人のスタッフもそのままで、
味の方も変わりなく美味しさもそのままでした。

この秋東京では魅力的な絵画展がいくつか開かれています。
・世界文化遺産認定を目指している国立西洋美術館では、
日本・スイス国交樹立150周年記念 フェルディナント・ホドラー展



・三菱一号館美術館では「ボストン美術館ミレー展」
・国立新美術館ではチューリッヒ美術館展



・また来春3月~6月にはBunkamuraで「ボッティチェリとルネッサンス」が予定されています。



お疲れさんでした。最後まで見てくださってありがとう。

ウフィツィ美術館展と夢見るフランス絵画展の一日・前編

2014-11-22 21:12:50 | 展覧会・美術展

芸術の秋ですね。
3館めぐり(図書館、映画館、美術・博物館)が趣味だと標榜している閑人、
19日に2つの美術展をハシゴしてきました。
一つは、東京都美術館で12月14日まで開かれている特別展――
ウフィツィ美術館展「黄金のルネサンス ・ボッティチェリからブロンヅィーノまで」――



ウフィツィ美術館はご存知のイタリア・フィレンツェにある美術館で、
ルネサンス芸術の強大なパトロンであったメディチ家の庇護のもと、
花開いたルネッサンス美術の殿堂として知られています。



今回の東京展は、世界的に超有名な美術収蔵品を中心に、
15世紀から16世紀にかけてのフィレンツェ美術の流れを展示されています。
ルネサンスを代表する画家ボッティチェリの作品の中から、
ポスターの表紙にもなっている「パラスとケンタウロス」、「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」「聖母子と天使」など。



このほか、アンドレア・デル・サルト「ピエタのキリスト」、ロッソ・フィオレンティーノ「女性の肖像」、ブロンヅィーノ「公共の幸福の寓意」など、
フィレンツェ美術を牽引した主要な画家たちの約80点を観賞することができました。
残念ながら門外不出で「世界の至宝・ボッティチェリのプリマべェーラ、ビーナスの誕生」は来ていません。



絵画の大半は聖母子と聖人、キリスト教の伝道画です。
薄いベールの細かな飾りがキラキラ光る。
テンペラ、油彩で500年前の絵画とは思えない色鮮やかな作品で、壁や瓦に書いたものもあります。
出口に戻ってきたのは11時過ぎ、300人以上の列が出来ていました。

筆者が行った19日の水曜日はシルバーデーで、
65歳以上は優遇入場日でしたので、朝一番に出かけました。
上野公園はイチョウが見事に金色に発色していました。
開館9時30分前の20分に上東京都美術館に着きました。
すでに100人以上の同年輩の方々が並んでいました。





列の前の方にいるご婦人が、後から来た友だちなんでしょうか、
「こっち、こっち」と手招きして割り込ませる。
また、目の前の老女、孫娘と友だちなんだろうが「ここよ」なんて言って呼び寄せて割り込ませる。
その若い女性たち悪びれもせずに、私を押しのけて、平気で列に割り込んでズル並び、
海外旅行をしてきたことなど話していました。
ちょっとスタイルの好い美形だったが、心までは美形ではないようでした。残念ですね。
会場入り口まで30分ほど並びましたが、
男性でそいうことをする人はいませんでした。



筆者は、フィレンツェはもちろん、イタリアにも行ったことがありません。
今後も行けるかどうか分かりませんので、
日本にいながら世界の名画を鑑賞できることをうれしく思っています。





国立西洋美術館では
日本・スイス国交樹立150周年記念 フェルディナント・ホドラー展が開かれていました。
この後、メトロ銀座線で二つ目の美術展を見に渋谷に向かいました。
(以下後日、後編「夢見るフランス絵画展」をアップする予定です)

今日は二十四節気のうち芒種。梅雨入り、バルテュス展

2014-06-06 18:54:03 | 展覧会・美術展

6月6日、一日降り続いています。当地は昨日が梅雨入りでした。
芒種(ぼうしゅ)とは、稲や麦などの穂先にある棘のような、
芒(のぎ)のある穀物の種蒔きをする頃ということです。
実際の農作業ではこの時期より早く作業が始まっているようです。



「バルテュス展」を見ました。
4日に所用で上京する機会がありましたので、上野公園によってきました。
東京都美術館で開催中の「バルテュス展(Balthus: A Retrospective)」
を見て来ました。 ~ 6月22日(日)まで。
テレビや新聞でとりあげられれて、初めて知った絵画です。

賞賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠。「ピカソが認めた孤高の画家」とか、
「少女に見た永遠の美」などと紹介・評されて、
開脚少女の大胆なポーズの絵がポスターになっています。

展覧会場に着いたのは3時過ぎでしたので、
比較的空いていて、ゆっくろ鑑賞できました。
少女とネコが主要なモチーフになったものが目につきました。
少女が直線的に開脚する、猥褻なまでなの描き込み、
バルテュスにとって少女は「創作インスピレーション」の存在だったのでしょうか。
その他、風景、静物、肖像画など多彩な作品がありましたが、
どの作品も何か「はて、???」といった感じになりました。
デッサンも沢山ありました。



上野から東京に戻る途中の秋葉原で下車して、
「マーチエキュート神田万世橋」に寄ってみました。

旧万世橋駅や交通博物館を商用施設として、昨年9月にリニューアルしたもので、
70年ぶりに歴史の痕跡を見ることができるということで、
一度、上京の際には寄ってみたいと思っていました。
細長い通路にカフェや物販などのショップが並んでいました。
お茶しようと思いましたが、高値のコーヒーなので遠慮しました。





秋葉原駅の「電気街口」から歩いて数分でしたが、
さすが少女カフェとAKB48の地元ですね。
それらしき少女たちが行き交い、アイテムショップが続いています。
久しぶりの秋葉原はアキバになっていて戸惑う夕暮れのマチでした。

実物観察で本質に迫る「竹内栖鳳展-近代日本画の巨人-」

2013-09-22 11:34:57 | 展覧会・美術展

東京国立近代美術館(メトロ東西線・竹橋駅3分)で開かれている、
「竹内栖鳳展-近代日本画の巨人-」の鑑賞券が、
主催団体の某協会からプレゼントされたので行って来ました。





竹内栖鳳展-近代日本画の巨人-

ポスターのガイドによりますと、
栖鳳の代表作、重要作、長らく展覧会に出品されてこなかった作品約110点、
素描などの資料約60点で、栖鳳の画業を通観し、
栖鳳が新たな時代に築いた日本画の礎を示しますと、
記されていました。

前半の展示作品は動物の大きな屏風絵が多く、
ライオン、トラ、ゾウが細密に迫力一杯に、
すごっくリアルに金箔屏風に描かれています。
またトリ、特にスズメの絵が目に付きました。
広い屏風に雀を散らした「百騒一睡」「喜雀図」は、
チュンチュンって感じで色鮮やかに飛んでいまいす。

その他、画業の転機となったパリ万国博(1900年)視察、ヨーロッパ写生旅行、
詳細を極めるスケッチノート、
ローマの遺跡を描いた日本画風の「羅馬古城図」なども展示されています。



残念ながら栖鳳の代表作でポスターの絵にもなっている『班猫(はんびょう)』は、
会期の都合で展示が間に合わず見ることが出来ませんでした。

関連テレビ番組として、以下の日時に、
テレビ東京/BSジャパンで見ることが出来そうです。
「美の巨人たち」 竹内栖鳳  班猫
2013年9月28日(土) 22:00~22:30(テレビ東京)
2013年10月23日(水) 22:54~23:24(BSジャパン)
ぜひ視聴してみたいです。



竹内 栖鳳(たけうち せいほうは
1864年12月20日(元治元年11月22日) - 1942年(昭和17年)8月23日)、
戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、
戦前の京都画壇を代表する大家。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。

特別展「書聖 王羲之」東京国立博物館・平成館で観賞

2013-02-15 22:11:20 | 展覧会・美術展

書を芸術にした男――と称される「王羲之」
書道をやる方々にとって書の神様的存在。
門外漢には、その凄さがよく分からない。
教科書で見た記憶のある人もいるでしょう。

 その「王羲之」の特別展が、
東京・上野の東京国立博物館平成館で開かれています。
(主催:東京国立博物館、毎日新聞社、NHK、NHKプロモーション)
毎日新聞社企画の特別鑑賞会が14日の、夕刻からあったので参加しました。
特別展「書聖 王羲之」公式サイト
http://www.o-gishi.jp/
開催日は2013年1月22日(火)~3月3日(日)まで。

 配布のパンフから紹介します。
4世紀の中国・東晋時代に活躍した王羲之(おうぎし、303~361、異説あり)は、
従来の書法を飛躍的に高めました。
生前から高い評価を得ていた王羲之の書は、没後も歴代の皇帝に愛好され、
王羲之信仰とでも言うべき状況を形成します。
王羲之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。
大宗は全国に散在する王羲之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、
精巧な複製を作らせ臣下に下賜して王羲之の書を賞揚したのです。
しかし、それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序は、
大宗皇帝が眠る昭陵に副葬され、
後世の人々が見ることができなくなりました。
そのほかの王羲之の書も戦乱などで失われ、現在、王羲之の真蹟は一つも残されていません。
そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、王羲之の字姿を類推するうえで、最も信頼の置ける一等資料となります。
この展覧会では、内外に収蔵される王羲之の名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検討いたします。



 展示の構成は次のようになっていました。
 第一章 王羲之の実像に迫る
世界で十指に満たない精巧な唐時代の摸本から、選りすぐりの名品を特別公開。
 第二章 さまざまな蘭亭序
王羲之の最高傑作「蘭亭序」、名家に所蔵されていた由緒ある臨本や拓本を展示しその来歴などを読み解く
 第三章 受容と展開
清時代になると、王羲之を中心とする法帖の流れに疑問が持たれ、帖学派と石碑による碑学派が対立。王羲之神話は崩壊し、中国の書の流れは大きく変貌と遂げていく。
展示総数は163点。


 爺が興味を引いたのは、
ビジュアルっぽく展示されていました蘭亭序ですね。
王羲之が書いた書道史上最も有名な書作品とされているこの書は、
353年(永和9年)3月3日に名士41人を別荘の蘭亭に招いて、
曲水の宴が開かれます。
そのときに作られた詩集の序文に書かれた草稿が蘭亭序。
王羲之はこれを書いたときに酔っていたので、
後に何度も清書をしようと試みたが、
草稿以上の出来栄えにならなかったと言い伝えられています。
28行324字から成っています。

 作品を見ながら手を動かし文字を書く老婦人など、とにかく列は遅〃として進みません。
解説のイヤホンをじっと聞き入って動かない青年もいます。
日本で王羲之がこれほど関心を持たれていたとは、意外というよりびっくりでした。
本家の現代中国では「王羲之信仰」は残っているのだろうか。
いずれにしても、とにかく疲れました。足が棒になってしまいました。

 えっ、たにしの爺は、どうして行ったのかって??
それはまぁ、付き添いを兼ねての、ブログのネタ探しってところです。
深くは追求しないでください。上げ底の知識のぼろが出ます。

 こちらで展示の模様など少しは分かります。<上野・浅草ガイドネット>
http://museum.guidenet.jp/spresent.php?id=385

 最後に、こういうブログを発見しました。
楽しくっていいね。
http://china-junichiro.blogspot.jp/2013/01/blog-post_28.html
 爺の発想は楽しくなくてゴメンね。

東京国立博物館HP http://www.tnm.jp/

驚嘆の書芸「青山杉雨の眼と書」

2012-09-05 18:10:57 | 展覧会・美術展

東京国立博物館平成館で開催中( 2012年7月18日・水 ~9月9日・日)
日中国交正常化40周年、東京国立博物館140周年、青山杉雨・生誕100年記念特別展「青山杉雨の眼と書」に、某女流書家の薦めもあって行って来ました。

来てみて驚嘆。「これが書芸」と言うものか――。
美しい文字とはまったく異なった「文字の絵画性」とも言うのでしょうか。
特に少数字作品の篆書(てんしょ)による造形性には魅せられました。



「黒白相変」青山杉雨筆 昭和63年(1988) 東京国立博物館蔵



「書鬼」青山杉雨筆平成4年(1992) 千葉・成田山書道博物館蔵


以下はガイドパンフによる紹介の概要です。
書家・青山杉雨(あおやまさんう、1912-1993)は、
昭和から平成にかけて書壇に一時代を画し、「一作一面貌(いっさくいちめんぼう)」と評される多様な表情を持った作品群を数多く発表。国際的にも高い評価を受けています。



杉雨はまた、中国の書の歴史に造詣が深く、歴代の名品や書論に触発されながら思索を深め、
著述や講演などを通して中国書法の普及・啓蒙に尽力し、現代の書の世界に大きな影響を与え続けています。
平成4年(1992)には文化勲章を受章しました。
本展覧会は、杉雨が生前熱心に収集した中国の書画や文房四宝のコレクションと、杉雨自身の主要作品を一堂に公開し、
わが国を代表する書家の業績を回顧しようとするものです。


◎再現された書斎、仕事場に意外な発見
展示会場の最後に、杉雨の書斎と仕事場が当時のままに再現されていました。
万巻の書蹟、中国の篆刻書などの蔵書、仕事机を見ていて、びっくり、
「えっ、爺と同じ本があるではないか」
それは、かつてわが書棚にあった、青山杉雨の師事した西川寧(にしかわやすし)による監修本でした。
(今でもどこかにあるかな?探してみよう)



上野の森美術館では「ツタンカーメン展 ~黄金の秘宝と少年王の真実~」をやっていましたが、
入場料を見て、見送ることにしました。2、700~3、000は高いよ~
「ツタンカーメン展 ~黄金の秘宝と少年王の真実~」

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」「真珠の首飾りの少女」

2012-07-05 10:09:05 | 展覧会・美術展
世界で最も有名な少女に会ってきました。



――ヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、
そして「真珠の首飾りの少女」に上野の森で会えます。
会期は2012年6月30日~2012年9月17日まで。



東京都美術館のグランドオープンを飾る2012年夏――、
オランダの「王立絵画館」で知られるマウリッツハイス美術館のコレクションの数々が観られます。
リニューアルされた東京都美術館。



オープン記念は「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」です。



最大の注目作品は、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
たにしの爺には、待望久しき作品の来日です。
同展ではもう一点、フェルメールの作品「ディアナとニンフたち」が見られます。


そして「真珠の首飾りの少女」が初の来日です。



上野の森の入口、駅から直近の「国立西洋美術館」で6月13日から開催されている
「ベルリン国立美術館展~学べるヨーロッパ美術の400年~」に、
ヨハネス・フェルメールの傑作「真珠の首飾りの少女」が日本に初めてお目見えです。



東京都美術館はマウリッツハイス美術館所蔵の「真珠の耳飾りの少女」。
国立西洋美術館のベルリン国立絵画館所蔵は「真珠の首飾りの少女」。



たにしの爺、東京で観たフェルメールの作品は15点になりました。
30数点しかないフェルメールの絵画のうち、15点を東京で観たことになります。
2007年秋、国立新美術館で「牛乳を注ぐ女」
2008年秋、東京都美術館で「マリアとマルタの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」「手紙を書く婦人と召使」「ヴァージナルの前に座る若い女」
2009年夏、「レースを編む女」
2011年春、渋谷のBunkamuraで「地理学者」
2012年春、渋谷のBunkamuraで「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「手紙を書く女と召使い」
2012年夏、東京美術館で「真珠の耳飾りの少女」「ディアナとニンフたち」
2012年夏、国立西洋美術館で「真珠の首飾りの少女」

どうしても観たい「デルフトの眺望」はオランダに行かないと観られない。

《モナ・リザ》と《聖母》がいっぱい。「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」東京展

2012-05-03 10:49:21 | 展覧会・美術展

萌える新芽と新緑が眩しい季節になっています。
カラマツ林の裸枝を芽吹きが、青点となって連なっています。
連休が終わるころになると、カラマツ林が繊細な青のカーテンにつつまれます。

痛ましい事故や事件が続いています。
危機管理を置き去りにした格安社会が招いた、人災のような運命の暗転です。

何処にも行かない、たにしの爺は、せめてもの芸術鑑賞にと、
東京は渋谷の東急Bunkamuraのザ・ミュージアムに行ってきました。
イタリア・ルネサンス期の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)と弟子らの作品を集めた美術展。
「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」東京展(毎日新聞社など主催)が開かれています。
人類史の科学と美の巨匠ダ・ヴィンチの生の作品に初めて対面してきました。

写真はザ・ミュージアム脇のレストラン「ドゥ マゴ パリ」
パリを代表するカフェの歴史と空気をそのままに、
美術鑑賞の後は、ひとときを「ドゥ マゴ パリ」で……

<展覧会のパンフレット>によりますと―――――
《モナ・リザ》や《最後の晩餐》など世界的な名画を残した巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの「美の系譜」に焦点を当て、ダ・ヴィンチの作品、弟子との共作、弟子やレオナルド派と呼ばれる画家たちによって描かれた約80点もの作品、資料を通じてダ・ヴィンチの創造した「美の理想」の真髄に迫るものです。
十数点しか現存しないといわれているダ・ヴィンチの作品のうち、日本初公開となる円熟期の傑作《ほつれ髪の女》や若き日の習作《衣紋の習作》、プライベート・コレクションのため、あまり目にする機会のないもう一つの《岩窟の聖母》が一堂に、また、ダ・ヴィンチから強く影響を受けた弟子の作品、構成の画家たちによるさまざまな《モナ・リザ》など、出品作品の約9割が日本初公開となる本展は、ダ・ヴィンチの魅力を存分に堪能できるかつてない展覧会です。―――――――――と記されています。

ダ・ヴィンチといえば《モナ・リザ》と《聖母》ですね。
本物の《モナ・リザ》はパリ・ルーブル美術館門外不出の世界の至宝です。
この他にもダ・ヴィンチの作ではないか、といわれている《モナ・リザ》が描かれていることを知りました。
今回それらしき作品と、弟子らが、あるいは同時代の画家たちが制作したいくつもの《モナ・リザ》群が展示されたいました。
裸の《モナ・リザ》も何点もあり、あの謎の微笑をたたえたモナ・リザが乳房をむき出しの裸身で描かれています。
想像してみて下さい。かなりエロチックです。
《聖母》像といえば、《岩窟の聖母》も今回初来日とのことです。
聖母像は、中世西洋絵画の一大テーマで何万点もの、有名無名の数で数え切れないでしょう。

日本初公開となる《ほつれ髪の女》は、厚さ1・1センチの板に描かれたダ・ヴィンチの円熟期の傑作で、イタリアのパルマ国立美術館が所蔵する作品で、今回を含め国外出品されたのは7回目という。
ルネサンス期のイタリア・フィレンツェでは、ダ・ヴィンチを中心にした工房で、衣のひだを素描する訓練が行われ、美しい衣紋を描くことは画家の必須になっていて、美しく描くことが競われていたようです。ダ・ヴィンチは、あたかもそこに人体があるかのように衣紋を描く。その貴重な《衣紋の習作》品も2点紹介されています。

西洋絵画を見るたびに感心する、薄衣を纏う、ひだの美しさには驚かされています。
絵筆で描いたとは、とても思われない細密・精緻な透明感。今にもひらひらとそよぐような感覚に捉われるのは私だけではないでしょう。

展覧会の見所についてはここで詳しく知ることが出来ます。 
先月4月に、元東京大学教授で、国立西洋美術館館長だった西洋中世史、西洋文化史が専門の樺山紘一さんの講演会を拝聴する機会がありました。
樺山さんが美術館と所蔵作品について強調されたことは、世界の一級作品というものは、その美術館に収まるまでには相応の理由があって、その美術館にずーっと在ることに意義がある。そういう作品は世界の有名美術館には必ず在る。そのことが大事なんですと話されました。
それは樺山さんだから言えることでしょうが、そこに行かなくとも見られる、新聞社など企画展は大いに評価されていい。個人では、決して目にすることが出来ない秘宝を鑑賞できるのは、関係新聞社の事業部の交渉力によるものです。署名入り記事など、新聞記者は普段から目立ちますが、こうした催事企画を担う学芸担当記者は、普段は目立ちませんが、普段から培ってきた確かな目がこうした展覧会を成功させるのでしょう。

ヨハネス・フェルメールの「地理学者」

2011-05-03 09:49:14 | 展覧会・美術展

東京・渋谷のBunkamuraに行ってきました。
お目当てはヨハネス・フェルメール「地理学者」の鑑賞です。
これで東京で見たフェルメールの絵画は10作品になりました。

この春、東京初上陸と謳われた、
「フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展」が、
ドイツ・シュテーデル美術館所蔵作品を中心に、
Bunkamura ザ・ミュージアムで5月22日まで開かれています。



メーンの展示作品はフェルメールの「地理学者」。
フェルメールの作品で男性が描かれるのは2点しかない。
もう1点は同時期か描かれた「天文学者」。

ヨーロッパの17世紀は「大航海時代」。オランダが最も輝いていた時代です。
そのオランダ・フランドル絵画の黄金期を振り返る展覧会は見逃せないです。
フェルメールのほかにもレンブラント、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル、ハルスなど、
同時代を代表する画家の名作全95点が見られます。、

精細に描かれた、風俗画・静物画の宝石のような輝き、
ダイナミズムに溢れる風景画の光彩に、
驚きと感動が尽きない作品に大満足の絵画展でした。
ただ「地理学者」はこれまで見たフェルメールの作品に比べ、
キラキラ点描するブルー、光と輝きが乏しいように思えました。
ヨハネス・フェルメール《地理学者》1669年 油彩・キャンヴス。



<東京で見たフェルメールの絵画>
*07年11月24日、国立新美術館で「牛乳を注ぐ女」(オランダ風俗画展)
*幸運にもフェルメール研究の第一人者の小林頼子教授による記念講演会も拝聴することが出来ました。
*2008年秋、東京都美術館「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」で見た「小路」など7作品。
*2009年春、国立西洋美術館「ルーブル美術館展」では「レースを編む女」が東京で見られた。
*2011年5月、Bunkamura ザ・ミュージアム「天文学者」

フェルメールの作品は30数点しかない、その内10作品は全作品の3分の1に近い。
世界中の美術館を回わらなければ観られない「世界絵画の至宝」に、
これほど東京で会えるなんて、まさに奇跡だ。

*さらに2011年の暮れから12年の春には<手紙を読む青衣の女>をはじめ3点の作品が、
同ミュージアムで鑑賞ことが出来るようです。
「フェルメールからのラブレター展」



ミュージアムのレストラン



カタログや関連本も買いました。


六本木の国立新美術館に行ってきました

2010-06-13 17:36:34 | 展覧会・美術展

美術館の殿堂・国立新美術館に行ってきました。
2007年11月24日にフェルメールの「牛乳を注ぐ女」に、
会いに行って以来ですから3年半ぶりです。

 足を運んだ主目的は6月7日まで開かれていた公募展。
 第一美術協会に参加しているボランテイア仲間のS氏が出品している、
 第81回第一美術展の招待券を頂いていたからです。

 絵画、彫刻合わせて800点近い出品作の展示の中から、
 S氏の作品を見つけ出すのに十数分かかって、
 作品を数分間眺めて失礼させていただきました。




実は、鑑賞したかったのはこちら「オルセー美術館展」



この夏、当美術館は豪華なことになっています。
①オルセー美術館展2010「ポスト印象派」
②陶芸家の至宝 ルーシー・リー展
③マン・レイ展 知られざる創作の秘密
詳しくは、ここで。

フランスの人気美術館「オルセー美術館」所蔵の、
近代絵画の粋と言われる「ポスト印象派」。
モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソーの傑作絵画115点。
これだけの名作絵画がいま、日本に大移動してきている。

印象派最後のドガの「踊子」、モネの「ロンドン国会議事堂」。
印象派の系譜を継いだスーラ。
そしてセザンヌの到達点である多視点描画「テーブルの果物」。
ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン、ルソーなど、
1880年代半ばから90年頃にかけ、フランスで活躍した、「ポスト印象派」と言われる画業が第一章から、
第十章まで、全115点が展示されていました。

 画集や教科書でも見てきた作品が何点も目の前にある。
 これが本物なんだ。本物でしか分からない光と絵の具の盛り上がり。
 近寄って見ると絵筆の跡が生々しいまでに迫る。

 数歩下がって観たときのなんとも言えない絵の表情。
 印象派の時代を超えて、さまざまな表現の多様な試み、
 世紀末のパリで産まれた時代の画業の数々。

 なかなか進まない鑑賞者の列。とにかく疲れました。
 休憩をかねて3階の講堂で開かれていた「巨匠たちの肖像」を覗いて見る。
 ちょうど「セザンヌ」を上映していたので勉強させていただく。

セザンヌは現役時代はヒネクレもので意固地で、
人の評価などどうでもいい。一匹狼だったようです。
同じシーンを何回も書き続けるのが特徴のようです。
セザンヌと言えば「静物画」知られています。
台所と果物の構図を見たことがあるでしょう。
多視点描画の代表作です。テーブルの上のりんごとなし。



視点が幾つもある。一つの視点からでは見えないところが、
ちゃんと書かれている。視点が移動している。
この画法はピカソに受け継がれていく。
 なるほど、言われてみればそうなんだ。
勉強が趣味の、たにしの爺、また勉強になりました。


「ゴーギャン展」に行ってきました。

2009-09-15 22:56:50 | 展覧会・美術展

東京・竹橋の毎日新聞社の隣りにある
東京国立近代美術館で開かれている「ゴーギャン展」を観に行ってきました。
 土曜日で雨だったが、会期が残り少ないとあって(~9月23日)、それなりに混んでいた。 
中学生の団体鑑賞の列が何校も並んでいて、他の美術展では見られない光景だ。
 生と死、文明と野蛮という根源的な主題を、絵画を通しメッセージを発信し続けた  画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)。
 大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が日本初公開とあって、かなり力の入った展示となっていた。



 いま東京では魅力的な美術展が幾つか開催されている。「たにしの爺」日帰り圏内に棲息しているが、
懐が寂しいので行けないのは残念だ。
◆東京都美術館 8月1(土)~10月4(日) トリノ・エジプト展 -イタリアが愛した美の遺産-
◆パシフィコ横浜 6月27日(土)~9月23日(水) 海のエジプト展~海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝~
◆世田谷美術館 9月12日(土)~11月29日(日)オルセー美術館展~パリのアールヌーヴォー 19世紀の華麗な技と工芸展
◆国立西洋美術館開館50周年記念事業 9月19日(土)~12月13日(日)古代ローマ帝国の遺産―栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ―

フェルメール、上野寛永寺 谷根千 羽二重団子

2009-07-11 22:09:18 | 展覧会・美術展

梅雨空の下、ぐずぐずしていていたら、
7月もすでに10日も過ぎてしまった。

ブログ更新の期を、逸してしまったメモ帳から、まとめて並べてしまいました。

6月14日まで国立西洋美術館で開かれていた「ルーヴル美術館展」で、お目当てのフェルメールの「レースを編む女」をゆっくり観たくて朝一番に並んで、数分間は独り占め状態で小さな名作の「女」に対面できました。


昨年の秋、やはり上野の美術館で名作「小路」など7点、その前年の秋、国立新美術館で至宝の「牛乳を注ぐ女」に会って、今回で30数点しかないフェルメール絵画のうち、9点のを鑑賞したことになりました。

この後、いまブームとなっている「谷根千」歩きに出かけました。
上野公園から谷中墓地の方向に歩くと、「奏楽堂」(明治23年に創建された旧東京音楽学校)の前には丸い銅版に彫られ、た東京藝術大学付近の案内板がありました。


「国際子ども図書館」(わが国初の国立の児童書専門図書館)の前を過ぎて、上野の東叡山寛永寺の山門に出ました。寛永寺は徳川将軍家の祈祷所・菩提寺で、壮大な根本中堂が静寂な空気が支配する中に建っていました。


境内を抜けて、谷中墓地に入るすぐ左には、行列のできるフランス菓子の店「パティシエ イナムラショウゾウ」がありました。
小川糸さんのベストセラー小説「喋喋喃喃」にも登場する人気店で、店の前にはガードマンもいて人が並んでいました。


墓地の中に、さらに足を踏み入れると、徳川家代々の巨大な墓石が、広大な一角を占めていました。

谷中墓地から日暮里駅に出ると、文政二年創業の超老舗で、明治時代から現代作家までの文人墨客も通った羽二重団子のアンテナショップがありました。
そこで、お団子とお茶をしました。お味は明治の風味でした。




雨がパラッと来たので、日暮里駅に上って上野に戻りました。
たにしの爺、「谷根千」の一角、谷中のほんの一部を徘徊しました。
この近辺は初めてでしたが、むかし、仕事で通った根津界隈については、別のところで触れました。

それにしても、昨今「谷根千ブーム」と言われていることは、承知していたが結構、世代を超えて二人連れが目につきました。