また一人、ルーマニアからの派遣兵がアフガニスタンで命を落としました。ルーマニアは親米政策で、イスラム原理主義組織タリバンを圧倒するため、という北大西洋条約機構(NATO)軍に協力し、2002年から兵士を派遣していました。その後、オバマ前政権が現地からの撤収を進めていた2014年、その政策に従ってルーマニア兵も派遣打ち切り、と報道されていたのですが・・・(ブログ内、記事はこちらから。)
そのあと、新たに駐留していたルーマニア兵が、アフガニスタン軍の装束をまとったタリバンからの刺客テロに命を落としたのは2016年、2人が犠牲になりました。
(2015年秋に知り合ったラン仲間のご主人が、アフガニスタンの首都カブール駐在の国際警察官なので、この事件は鮮明に覚えています。ラン仲間のご主人はオフィス勤務の警察チーフですが、何が起こるかわからないアフガニスタン。1~1カ月半の駐在 + 2~3週間の休暇でルーマニア帰省を繰り返しておられます。)
そしてこの9月、アフガニスタンでの任務に就いていたルーマニア兵が、戦闘状態ではないところでしたが、任務遂行中に命を落としました。
NATO軍をリードするのはトランプ政権、持論として早期撤収方針だったはずが、先月21日、「拙速な米軍撤退は過激派がつけ込む力の空白を生み出す」として、方針転換。
亡くなったルーマニア兵は、初めてのアフガニスタン派遣。41歳の働きどころで、12歳の娘さんもいます。トランプ政権の方針転換後に派遣されたのかどうか、任務に就いた時期はつかめていませんが、それらは今となっては問題ではありません、失われた命は決して戻ってこないから。
このニュースが伝わってきた翌日、たまたまその近くを通りかかったので、ふと思い出して、ルーマニア軍隊英雄の慰霊碑を訪れてみました。ブカレスト市内ティネレトルイ公園の近くにあるこの慰霊碑には、現在のルーマニアになってからのルーマニア軍として、任務中に命を落とした兵士たちの名前が刻まれています。
今回犠牲になった兵士のために、既に慰霊の花飾りが供えられていました、彼の顔写真と共に。写真は、テレビニュースで見たのと同じ、軍帽を被らない制服姿でした。「英雄よ、あなたを決して忘れない。」と添え書きされた花飾り。地方出身であった兵士、ブカレストに花飾りの供え主となる縁者がいるのか、または関係者なのか。彼の死を悼んだ有志なのか。
(記事内の写真は、すべて直近のルーマニア軍隊英雄の慰霊碑。碑を守るため、昼夜を問わず2名の兵士が詰めています)
ご参考に:
慶應義塾大学 経済学部 延近研究会共同研究「イラク戦争を考える」より、【アフガニスタン戦争における犠牲者数】はこちらから:
膨大な数のアメリカ兵が、アフガニスタンで命を落としています。半端な数ではありません、悲しむ家族はもっと多いはず。
多い時には、アフガニスタンには平和維持のため、北大西洋条約機構(NATO)軍の主力部隊として最盛期には10万人の米軍が駐留していたといいます。
オバマ前政権が撤収を進め、今年の夏現在、8400人の駐留。しかしながら、トランプ政権による約4000人の米軍の追加派遣決定(先月21日の戦略発表による)・・・。テロとの戦いは泥沼化、混迷の一途をたどっているのです。
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