goo blog サービス終了のお知らせ 
野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



現在の大阪で桜川と言えば地下鉄の駅しか思いつかないが、江戸時代の中期から大正時代の初期まで「桜川」という綺麗な名前がついた川が大阪に存在していた。

桜川が流れていた千日前通り



明暦年間(1650年代)までの大坂には、道頓堀川の南に川は未だ無かったが、宝永年間(1704~1711年)の地図には載っているのでその間に掘削されたのであろう。

1830年の浪華名所独案内地図にある桜川



徳川政権も安定し、諸大名の蔵屋敷が建ち始めた17世紀末期の大坂では、「大坂の掘り起こし」と呼ばれる水運のための大土木工事が進行していたので、桜川もその頃に開削された堀川であったようである。

1908年の地図



この「掘り起こし」は、あみだ池大黒のお菓子「岩おこし」に転用されて「岩おこし」は縁起の良い大坂みやげとなっている。

桜川は、1913年(大正2年)3月の地図に載っているが、1915年(大正4年)8月の地図には埋め立てられているので二百年チョットしか存在しない短命の堀川であった。

1913年の地図



この地図が正確に時代を反映したものであれば、わずか2年の間に埋め立てられ、市電の線路が敷かれたことになるので、大正時代の市電建設工事は猛烈なスピードだったようである。

1915年の地図



旧桜川のあった場所には、1915年11月に玉船橋からの市電が開通し、高野登山鉄道の汐見橋と奈良に向かう関西鉄道の湊町駅への重要なアクセス路線となっていた。

旧湊町駅のあった場所の今の姿



その後、自動車の増加とともに大阪市内の市電路線は次第に廃止され、旧桜川を通る路線も地下鉄千日前線の開通とともに1969年4月に無くなり、代わりに桜川の名前が駅名として残されている。



現在、旧桜川はミナミの東西を結ぶ主要幹線千日前通となり、その地下には2009年の開通を目指して西九条から近鉄難波駅までを結ぶ「阪神なんば線」の工事が進行中である。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 大阪相撲の歴史 薬師寺の伽藍配置 »
 
コメント
 
 
 
偶然に・・・ (ダラカニ)
2010-06-24 22:05:36
今日、さる書籍を読んでおりましたら桜川のことを
知り、地図でこの辺りかな?と大体のことは分かり
ましたが、誰か親切な方がブログに書いてないかな
と思い、「桜川 大阪の川」で検索したところヒッ
ト!しました。
大体、千日前の通りだろう、入り口はリバープレイ
スの西側かな、出口は桜川抽水所ぐらいかなと想像
していましたがそのとおりでした。
ブログをほとんど読ませていただいてはおりません
が、古い地図まで良く調べておられると感心いたし
ます。
私はごく最近定年を迎えましたが、なぜだか急に
大阪の歴史にはまり始めました。
いまからブログを拝見させていただきます。
これからもよろしくお願いします。
 
 
 
こんばんは (ROSS)
2010-06-25 23:01:01
ダラカニさん

コメントありがとうございます。

こちらこそ宜しくお願いします。

私は、このブログを書きながら

大阪はまさしく歴史の宝庫だと感じています。

大阪の歴史を調べることで、これからの

人生の幅が広がると良いですね。
 
コメントを投稿する
 
現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。