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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



南海ホークスの本拠地大阪球場跡地に建つ、なんばパークスの9階は大部分がパークスガーデンとなっているが、9階エレベーターホールが南海ホークスメモリアルギャラリー(以下ギャラリー)となっている。

屋上右側の外壁が円形の建物がギャラリー



このギャラリーは、オープン当初7階にあって、展示品も豊富で工夫されていたようであるが、9階に引っ越しと共に非常に簡素なギャラリーに変身していた。



南海ホークスは、南海軍として戦前の1938年に結成され、1949年にパ・リーグに加盟、1950年には本拠地となる大阪球場が完成している。

1951年からリーグ3連覇、1955年もリーグ優勝をする強力チームであったが、日本シリーズではいずれも巨人に敗れている。

ギャラリー内部



しかし、1959年に立教大学から杉浦投手が入団、7度目のリーグ優勝後の日本シリーズで杉浦が4連投して4連勝、巨人を下して日本一に輝いているが、今考えればとんでもない投手起用である。

杉浦のユニホーム



その杉浦が監督時代に着たユニホームや、1959年のチャンピオンフラグが誇らしげに展示されていた。



それ以外の展示品は少なく、選手の顔写真が掲示されたパネルと、エンドレスで試合のビデオを流すテレビが置かれているだけで、あまり力がはいっていないように思った。



南海ホークスは、1964年にもセ・リーグの阪神との日本シリーズを制し、2度目の日本一に輝くなど一時は非常な強力チームであった。



1960年代後半から低迷がはじまり、1969年野村克也が選手兼任で監督に就任してから1973年に1度リーグ優勝しただけで、野村は1977年に途中解任されている。

門田のバット(左)



このときのごたごたは、今も尾を引いているようで、なんばパークスの南海ホークスメモリアルギャラリーに野村に関する展示は一切無いのである。



野村の解任の後を追うように江夏豊、柏原純一がチームを去り、チーム力が大きく低下、1986年に杉浦忠が監督に就任したが低迷に歯止めがかからず、バブル絶頂の1988年に球団はダイエーへ売却されている。

ギャラリーの外はガーデン



丁度その頃、得意の絶頂にある超ワンマン中内功オーナーと接することがあったが、密かに危惧した通り、中内氏の行動はダイエー倒産の原因となったのである。


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