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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



往時の財界人には、中之島図書館(1904年、1922年増築)を寄贈した住友友純、大阪市中央公会堂(1918年)を100万円で寄付した岩本栄之助、豊郷小学校(1937年)を60万円で寄付した丸紅専務の古川鉄次郎など私財を投じて公共建築を造った人が多くいる。

大阪市中央公会堂



三休橋筋にある綿業倶楽部ビル(1931年完成)も、当時の東洋紡績専務、岡常夫氏の遺族から贈られた100万円と関係業界からの寄付50万円、合わせて150万円(現在の75億円に相当か)を基にして建設されている。

現在の綿業倶楽部ビル



当時、渡辺節建築事務所にいた村野藤吾が設計を担当した綿業倶楽部ビルは、1945年の大空襲を受けているが、窓ガラスに耐火ガラスを使用していたためか無傷であったという。

綿業倶楽部ビルの入り口



民間の建物でありながら、最先端の設備の導入がなされ、贅沢な造作になっているのは、1920年代末期の大阪綿業各社の業績が良かったせいかも知れない。

夜の綿業倶楽部ビル



当時の日本を代表する施設として国際会議場としても利用され、1932年にはリットン卿を団長とする国際連盟日華紛争調査委員会メンバー(リットン調査団)が来館するなど、戦前の日本外交の舞台にもなっている。

夜の綿業会館ビルの入り口(街灯はガス灯)



この綿業会館ビルの前の三休橋筋は、北向き一方通行の車道の一部が歩道として改修されたために歩行者が歩き安い街路となっている。

歩道



さらにその歩道には、大阪ガスと「うずの会(代表:堺屋太一氏)」から寄贈された暖かそうな炎の光を放つガス灯13基が設置されている。

ガス灯と綿業会館ビル



工業デザイナー喜多俊之氏がデザインしたガス灯は、2年後の歩道整備完了までに合計57基が設置されることとなっているので、これからが楽しみである。



本町から三休橋筋を北上して栴檀木橋までの間には、明治、大正、昭和初期の名建築が戦災やバブル崩壊にも耐えて今も多く残っているのが奇跡のようである。


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