大覚寺の21世門跡、後嵯峨天皇の祖父であった後鳥羽上皇(1180~1239年)は、配流から18年後、現在の島根県隠岐郡海士町(中ノ島)で崩御され、其の地で火葬されています。
御火葬塚

後鳥羽上皇の行在所跡地に近い森の中には、御火葬塚があり、今も宮内庁が管理していることはあまり知られていないようです。
御火葬塚拡大

後鳥羽上皇の皇孫が、後嵯峨天皇、後嵯峨天皇の皇孫が大覚寺御所で政務をした後宇多天皇、後宇多天皇の皇子が建武の新政の後醍醐天皇(1288~1339年)です。
大覚寺御所の勅使門

1332年、後醍醐天皇も隠岐に配流されていますが、その場所は島後の隠岐島町説と島前中ノ島の対岸にある西ノ島町説とがあり、はっきりしていないようです。
中ノ島から見た西ノ島

しかし、西ノ島町の地元では、後醍醐天皇が別府港に程近い黒木御所に配流されていたという言い伝えが残されている一方、隠岐島町に天皇配流の伝承が無いので、私は西ノ島に配流されていたという説を支持します。
別府港

後鳥羽上皇の遺骨は、御火葬から600年以上が経過した明治になって堀り出され、京都大原三千院に近い大原陵に改葬されましたが、今も地元では御陵として大切にされています。
隠岐神社の桜

1939年(昭和14年)、海士町では、後鳥羽上皇の没後700年を記念して行在所跡地の隣接地に隠岐神社を建立しています。
隠岐神社の桜

その神社建立時、境内に多くのソメイヨシノが植えられていましたが、70年を経た今ではその多くが寿命で枯れ死し、残された古樹も勢いが無くなっているようです。

私が訪問したとき、隠岐神社のソメイヨシノが丁度満開でしたが、その大部分は植え替えられた株のようでした。
隠岐神社の桜

今年、後鳥羽上皇の没後770周年となり、神社では大祭が挙行されるようですが、人口2580人の海士町にあるため、その維持はかなり大変みたいでした。
隠岐神社の鳥居

鳥居の前にある隠岐神社の文字は、当時の島根県知事、三樹樹三(上下が同じ)が揮毫したようです。
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