ある秋の休日、大阪からJRで近江八幡まで行き、近江鉄道に乗り換えて八日市経由で初代と2代目伊藤忠兵衛の故郷である豊郷を訪ねてみた。
豊郷駅
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近江鉄道電車で八日市から15分で到着する豊郷駅から真っ直ぐ旧中仙道に突き当たり、そこを南に折れると5段重ねの石段の上に初代伊藤忠兵衛翁碑が置かれた公園「くれなゐ園」がある。
くれなゐ園
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「くれなゐ」とは、初代伊藤忠兵衛が興した「紅忠」の印、○の中にある「紅」の文字の訓読みなので、漢字で書けば紅公園ということかもしれない。
初代伊藤忠兵衛は、江戸末期の1842年に近江上布の小売業をしていた実家があるこの地に生まれ、1858年、僅か15歳で近江上布の「持下り」行商を始めているので、初代伊藤忠兵衛を創業者としている伊藤忠商事と丸紅はこの年を創業年としている。
伊藤忠兵衛翁碑
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近江上布とは、平織りの麻織物のことで通気性、吸湿性、吸水性に優れ、使うほどに味わいが出てくる織物で、江戸期には彦根藩の藩内全戸といってよいほどの家が近江上布を織っていたといい、近江商人の持下りによって全国に販売されていた。
伊藤忠兵衛と書かれた組合の持下商鑑札
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初代伊藤忠兵衛は、1872年(明治5年)大阪市東区本町2丁目に実家の屋号「紅長」から1文字をとった繊維問屋、「紅忠」を30歳で創立しているので、創業から15年で大阪の中心に店を構えることができるくらい稼いでいたことになる。
御堂筋にある伊藤忠商事本店
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同じ1872年に、兄の長兵衛も九州博多に呉服卸商「伊藤長兵衛商店」を開設しているので兄弟で商売を競っていたようである。
○の中に紅という文字を入れた印を、暖簾や半纏に使った紅忠マークは、総合商社「丸紅」の社名として現在も受け継がれていることからわかるように、初代伊藤忠兵衛は巨大商社の伊藤忠と丸紅両社の創業者なのである。
本町通にある丸紅本店
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1884年(明治17年)初代伊藤忠兵衛は、紅忠を伊藤本店と社名変更し、1903年(明治36年)61歳で永眠するまで伊藤忠本店、伊藤京店、伊藤西店、伊藤糸店、伊藤染工場の5社を設立した他、10数社の事業の経営に関係し、豊郷村の村長まで務めていたという。
伊藤長兵衛の屋敷跡の石碑
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くれなゐ園の隣には、伊藤忠兵衛の兄に当たる伊藤長兵衛の屋敷跡を示す巨大な石碑があったが、伊藤長兵衛商店は2代目(養子)の代の1921年になって伊藤忠商店と合併し、今の丸紅の元祖とも考えられる丸紅商店となっている。
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