映画「終戦のエンペラー」を見て、連合国軍最高司令官マッカーサー(1880~1964年)の前半生をちょっと調べて見ました。

ダグラス・マッカーサーは、1899年にアメリカ陸軍士官学校に入学し、1903年に平均点98点という抜群の成績で首席卒業(23歳)しています。・・・マッカーサー役は、トミー・リー・ジョーンズ、適役だったと思います。

卒業後、アメリカ陸軍の工兵隊少尉として父、アーサー・マッカーサーが初代軍政総督を務めていたアメリカの植民地であったフィリピンに配属されています。マッカーサーとボナー・フェラーズ准将役のマシュー・フォックス

1905年に父が駐日アメリカ合衆国大使館付き武官となったため、ダグラスも父親の副官として東京で一時勤務していますが、ほどなくアメリカの陸軍省に転勤、1914年には少佐に昇進しています。・・・ボナー・フェラーズ准将役のマシュー・フォックスと恋人アヤ役の初音映莉子

1917年にアメリカが第一次世界大戦に参戦することが決まった際、マッカーサーはウィルソン大統領に全州の州民から徴募した師団「レインボー師団」を提案、マッカーサーはその師団の参謀長・旅団長に就任(大佐すぐ准将38歳)し、15個の勲章を受章する活躍をしています。

第一次世界大戦後はウエストポイント陸軍士官学校の校長に就任、1922年にフィリピンのマニラ軍管区司令官、1925年に少将(44歳)昇進、国内勤務を経て1928年にフィリピン方面軍司令官としてマニラに転勤(三度目)しています。

1930年にはフーバー大統領の引きでアメリカ陸軍最年少の参謀総長(50歳)に就任(副官は、後に大統領となるアイゼンハワー少佐)このポストは大将職であるため、少将から中将を経ずに、一時的に大将に昇進しています。

1935年に参謀総長を退任すると再び少将の階級に戻り、父親所縁のフィリピン軍の軍事顧問(4度目のマニラ勤務、この頃もアイゼンハワー少佐が副官)に就任(55歳)、1937年にアメリカ陸軍を少将で一旦退役しています。・・・近衛文麿役の中村雅俊

しかし日米関係の悪化とともにフィリピンの防衛が緊急課題となり、マッカーサーは、1941年7月、フィリピン駐屯アメリカ極東軍司令官(中将)として現役復帰(61歳、5度目のマニラ勤務)、アメリカが対日戦に突入する12月には大将に昇進しています。・・・木戸幸一役の伊武雅刀

クライマックスのマッカーサーと昭和天皇の会見シーンが見どころの、なかなか面白い映画でした。
参考文献:マッカーサー フィリピン統治から日本占領へ 増田 弘著