淀屋橋から乗った京阪電車の特急が、大阪京橋駅の次に停車する駅が、京都伏見区の中書島駅である。
中書島駅に近い10石船の乗り場
その中書島で下りて、竹田街道を北に歩き、伏見の京橋を渡って東に入ると坂本竜馬の定宿であった寺田屋が今も当時の雰囲気をそのままにたたずんでいる。
数年前に中を拝観したことがあったが、歴史的に有名な割には質素で狭い旅籠であったという印象が残っている。
寺田屋の前は三十石船の乗り場
寺田屋から竹田街道に戻り、さらに北に歩いて大手筋との交差点を西に歩くと「富翁」醸造元の北川本家がある。
北川本家は、江戸時代初期、宇治川沿い観月橋の近くで「鮒屋」という船宿を営んでいた北川四郎兵衛が、お客に出すための酒をつくりはじめたのが創業という。
酒株制度が起った1657年、伏見には83軒の造り酒屋があり、「鮒屋の酒」は伏見の代表酒として三十石船に乗って淀川を下り、江戸に運ばれたと伝えられているので便宜的に1657年(明暦3年)を創業としている古い酒屋である。
三十石船の船着場
恐らく1637年創業と記録の残っている伏見トップの酒造会社「月桂冠」よりもさらに古い創業の酒造会社ではなかろうか。
1910年 10代目 北川三右衛門が中国の四書五経の文献より「心の豊かな人は晩年になって幸せになる」という意味の「富此翁」の表現をみつけ、酒銘を「富翁」としている。
濠川と富翁の看板
この北川本家は、「おきな屋」という酒と米の直売店を出していて、ここでは「富翁」の量り売りもしているようである。
「おきな屋」から濠川に架かる大手橋を渡り、さらに西に歩くと「日出盛 桃の滴」醸造元の松本酒造が見えてくる。
1791年(寛政3年)、初代松本治兵衛が現在の京都市東山区で酒造りを始め、1922年に、伏見の地に製造場を増設し、1949年に松本酒造株式会社と組織を改めている。
大正時代に伏見にやってきた松本酒造の醸造所は、西を流れる東高瀬川に面して雰囲気のある木造建築が並び、今では京都伏見を代表する景観を作っている。
新高瀬川を渡ってさらに西に歩くと「英勲」醸造元の齊藤酒造があるが、齊藤酒造が誕生したのは1895年という。
齊藤家の先祖は1690年代(元禄の頃)に泉州より伏見へ移り、井筒屋伊兵衛として呉服商を営み、8代にわたって受け継いだ呉服商から明治時代に酒造業に転じたらしい。
伏見にはまだまだ多数の酒の醸造元がありそうであるが、とてもすべては回りきれない。
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