栴檀木(センダンノキ)橋とは栴檀木の材木でできていた訳ではなく、橋のたもとに栴檀の大木があったことから名づけられたという。
11月13日に撮った栴檀の木

土佐堀川を中之島に渡るセンダンの木橋は、元禄時代以前からこの地に架けられていたようであるが、江戸期には洪水で何度も流されたようである。
12月18日の栴檀の木

今は中之島中央公会堂への通路として使われているが、江戸期の栴檀木橋は、中之島の仙台藩62万石、館林藩6万石、備中成羽藩5万石、備中檜原藩2万石、美作津山藩10万石蔵屋敷への通路として使われていたようである。
1763年頃の栴檀木橋と蔵屋敷

橋から南に下る道路は、栴檀木橋が1885年の大洪水でも押し流され、永く橋の無い時期があったため長堀橋に架かる三休橋の名前を取って三休橋筋と呼ばれるようになってしまった。
1923年頃の地図(栴檀橋の下に大阪農工銀行、鴻池邸がまだこの地にある)

その三休橋筋を栴檀木橋から南に歩くと、1918年に建てられた大阪農工銀行ビルを改造した八木通商ビルがあり、その前には中国原産のトウカエデが植えられている。

トウカエデ(唐楓)は、江戸時代に渡来したカエデ科の落葉高木で樹勢が強いため、街路樹としてよく植えられ高さは20メートルにもなるという。
栴檀木橋から中之島公会堂

さらに南に歩くと明治期の1912年に建てられた旧大中証券ビルを使っているレストランシェワダのビル、その隣が1930年ヴォーリズの指導で建てられた浪花教会があり、その前にもトウカエデが街路樹として植えられていた。

実は、栴檀木橋から続く三休橋筋の街路樹は、トウカエデからセンダンに植え替える計画が進められている。

センダン(栴檀)は、ムクロジ目・センダン科の植物の一種でアジア各地の熱帯・亜熱帯域に自生する落葉高木で、高さは15メートルにもなる。

「栴檀は双葉より芳し」のことわざでよく知られるが、これはセンダンではなくビャクダン(白檀)を指すという。

既に1931年に建てられた綿業会館の前にはセンダンの幼木が植えられていたが、この木が栴檀木橋のたもとのセンダンの木のようになるにはあと何年かかるのであろうか。
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