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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



岸和田市八木地区のだんじり祭りは、行基が開山した久米田寺にだんじりが集結するので、「行基参り」とも呼ばれている。

久米田池のある池尻町のだんじり



臥竜山隆池院久米田寺は、聖武天皇の勅願によって、橘諸兄(684~756年)を施主とし、行基(668~749年)が738年に開創したと伝えられている。



従って、平安遷都(794年)以降に建立されている京都の有名寺院の歴史では、久米田寺の歴史に遠く及ばないのである。

桜門



しかし、隆池院と言われるくらいなので、当初は725年から738年にかけて実施された久米田池拡張工事現場事務所を兼ねた簡素な建物であったと推定されている。

金堂



創設から500年以上を経た1277年頃にはかなり荒廃していたが、北条氏の家臣であった安東蓮聖が華厳、戒律、真言の兼学道場として再興している。

華厳院



南北朝期の1339年には、足利直義(1306~1352年)が仏舎利2粒を安置する多宝塔を寄進し、北朝足利氏との関係が 強まっている。

五大院



この仏舎利は、空海が唐より持ち帰り、京都の東寺に納めていたもので、室町時代になってから足利尊氏の手に渡り、久米田寺を北朝方に懐柔するために使われたのであろう。

明王院



足利直義が、室町幕府で実権を掌握していたのは、1338年~1348年頃なので、当時の久米田寺は足利氏が注目する大寺院だったようである。

靖霊殿(1955年建立)



しかし、それから200年を経た1562年、三好義賢(実休1527~1562年)と畠山高政(1527~1576年)の久米田合戦による戦火で伽藍が焼失している。

宝蔵



この頃、桶狭間で今川義元を破ってまだ2年しか経っていない織田信長は、美濃の斉藤龍興を攻めあぐねていて、天下布武までは程遠い状況であった。

大師堂



その後100年以上を経た、徳川期に入ってようやく久米田寺の復興が着手され、1674年に一応再興が成ったという。

開山堂



現存する金堂は1770年、開山堂は1822年、御影堂は1824年、聖天堂は1854年、観音堂は1803年、桜門は1706年の再建と伝えられている。

観音堂



さらに2003年には、三好と畠山の戦火で焼失した多宝塔が440年ぶりに再建されて落慶法要があったという。

多宝塔




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