昨日まで東京の記事でしたので、今日は、天王寺動物園に入るアクセス通路、ジャンジャン横丁の朝を紹介しましょう。
地下鉄動物園前駅上の雑然とした入り口(ガードの看板に注目しておいて下さい)

休日の朝9時過ぎにもかかわらず、もう営業している店が多く、人通りも結構あるのでびっくりしました。

途中、ジャンジャン歴史横丁という古い写真を展示したコーナーがあって、新世界地区の変遷が良く判るようになっています。

この辺りでは、早朝なのに、すでに大勢の客の姿が見えていました。

北側にある衣料品店(MARUTOMI)の前からジャンジャン横丁のアーケードを見ると、ジャンジャン町と書かれているではありませんか。

南側の表示がジャンジャン横丁、北側がジャンジャン町、どうも納得できないままMARUTOMIの前の道をさらに北へ歩きます。

気になって後で商店街のHPを見ると、<どっちゃでもよろしがな>とのこと。さて、交差点を左に曲がり、そこから「づぼらや」の前まで歩きます。

その「づぼらや本店」の巨大なフグ提灯と通天閣と看板の洪水、これがエネルギー溢れる新世界の姿です。

ちょっと散歩しているうちに開園時間が近づいたので、そこからUターンして動物園のゲートに向かうことにします。

大阪新世界は、今日も活気に溢れ、又、どこからか人が集まってきていましたが、BOROの「大阪で生まれた女」のイメージは、この辺りかもしれません。
多分、横丁と紹介したのは東京人ではなかったかと。
これとは別に、大阪では(旧船場)では小路というのがあったようです。大体が行き止まりで「狐小路」「絹張小路」・・・・5つぐらいあったみたいです。
実際にいまでも通り自体はあります。一番長いのは「浮世小路」です。今橋と高麗橋の間の通りで東西横堀間です。確かに細い通りです。
それと新世界・・・いままでフツーの大阪人は足を踏み入れなかった地域だったんですけどね。これが大阪を代表する地域と言われてもね・・・というのが実感でしたね。ほんの数年前まで「ええっあんなとこいったん?」みたいなとこがありました。
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