1931年(昭和6年)に発表された直木三十五(当時40歳)の長編小説、南国太平記は、絶大な人気を呼び、発表された年に最初の映画が製作され、その後1960年までに9本もの映画がつくられているほどです。
隠岐、海士町の朝
今回の隠岐旅行の道中、その南国太平記(1ページ上下2段の活字で590ページ)を読破しましたので、隠岐と、旅行途中の写真を添え、ご紹介しましょう。
海士町菱浦港
小説は、薩摩藩10代当主、島津斉興の側室、お由羅とその子、久光を暗殺しようとした首謀者13名が切腹した薩摩藩の「お由羅騒動」を主題としています。
菱浦を出港するフェリー
ストーリーは、お由羅派の兵道家(祈祷による呪詛、調伏師)牧仲太郎と、牧を殺害しようとする斉彬派の軽輩、仙波親子(父母、長男、姉妹)の争いを縦糸とし、藩士同士の争いが横糸となり展開してゆきます。
マリンポートホテル海士と菱浦に近づく高速船
登場人物は、多岐にわたりますが、それぞれが個性的に描かれていて、その心理描写が見事で、直木の時代には幕末を知る人物がまだ生きていたことから、時代考証もしっかりとしていました。
ホテルから見た、菱浦に入港するフェリー
中でも、仙波親子の友人、薩摩藩士、益満休之助(実在1841~1868年)を痛快に描いていますが、直木は彼を気に入ったのか、翌年(昭和7年)「益満休之助」という小説を発表しているほどです。
高速船
また、剣劇シーンを丹念に描写していて、映像を見ているようですが、直木がかつて映画製作に携わっていたことが関係しているのでしょうか。
隠岐から遠ざかる高速船
最後に島津斉彬が登場、西郷、大久保達に無益な藩士同士の争いを止めるよう、諄々と諭す場面があり、面白かったので紹介しておきます。
バスの車中からの大山
<何故、お前達(軽輩)一同がわし(斉彬)にならぬ。わし以上にならぬ。(中略)お前達で、天下の難に赴き、日本を双肩に(中略)負うくらいの覚悟がなくてどうする>
バスの中で食べた弁当(海の宝箱)
<西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)も俯いたきりであった(中略)斉彬の言葉が頭の中に、胸の中に、腹の底に、血管の中へまでも、毛髪の末へまでも、沁み込んできた>
海の宝箱の中
小説に登場する人が殆んど実在の人物なので、物語にリアリティを与えていますが、直木のサービス精神がてんこもりとなった痛快娯楽小説でした。