1937年に開園した春日大社の参道途中にある万葉植物園は、日本でもっとも古い歴史をもつ植物園で、万葉集に詠まれた植物が約300種栽培され、それぞれに代表的な万葉歌がそえられている風流な場所である。
藤園の麝香藤
広さが3ヘクタールもある神苑の南部には、藤原氏ゆかりの藤を20品種、200本も植えた藤の園があり、5月の連休中が見頃である。
八重黒龍と麝香藤
藤園の中にある記念碑によれば、藤原氏の末裔が集う藤裔会が万葉植物園の開園50年を期して藤原氏ゆかりの藤園を1986年5月に開園したとあるので、既に22年が経過していることになる。
本紅藤
本部が春日大社に置かれる藤裔会は、1966年に結成され、現在の会長は九条道弘氏(平安神宮宮司)、理事長は近衛忠輝氏(日本赤十字社長)という。
両家ともに藤原北家、良房の嫡流で、鎌倉初期に藤原忠通(1097~1164年)の子の基実(1143~1166年)と兼実(1149~1207年)がそれぞれ近衛家と九条家を成立させている。
白野田藤
後に近衛家からは鷹司家が、九条家からは二条家と一条家が出て五摂家となっているので、藤原北家の嫡流に近いのは、近衛、九条、鷹司、二条、一条の順となるようである。
黒龍
1615年に江戸幕府は、禁中並公家諸法度を制定して、摂政・関白は幕府の推薦なくして任命できない仕組みとし、朝議を摂政・関白が主宰し、清華家以下の公家は大臣であっても参加権・発言権が剥奪されるようになっている。
海老茶藤
また、五摂家が断絶した場合の後継養子には必ず皇族か同じ摂家からの養子しか認められなくなり、太政大臣の任官に摂政・関白・征夷大将軍の経験者という規定が追加されて、清華家以下の公家は朝廷中枢から排除されている。
九尺藤
その結果、江戸時代の朝廷は五摂家の当主の合意での運営が可能となり、天皇と言えどもそれに抗う事は困難であったという。
藤棚
更にその五摂家の当主ですら幕府が摂政・関白の任命権を事実上掌握している以上、幕府の意向に反する事は出来なかったために、幕府→摂家・武家伝奏→天皇及び諸公家という幕府にとっては非常に効率の良い朝廷統制の仕組みが完成している。
すなずり藤
幕末から明治初期に活躍する三条実美の三条家は、五摂家の次の清華家であったために江戸期には朝議から外される悲哀を味わっていたようである。
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