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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大正13年1月に出版された大阪市パノラマ地図の中に船場という地名が表記してありました。この地図では平野町通りが船場の中心のように読み取れます。

そこで東横堀川に架かる平野橋を渡って、現在の平野町通りを西に散歩してみましょう。

堺筋と平野町通りの交差点です。ここの南西角地には、生駒時計店ビル(昭和5年、1930年竣工)が戦災を生き延びて今も健在です。

大正時代の大阪パノラマ地図には昭和5年竣工の生駒時計店ビルは記載されていません。・・・屋上部分には、なかなか味のある装飾がほどこされています。

2階の窓の外にある鷲の石像

さて、平野町通りをさらに西に進むと、平野町歯科の看板の下になにやら石碑が建っていました。

江戸時代、ここに大阪三郷(天満、北、南)のうちの北組行政の中心(惣会所)があったようです。・・・北組惣会所址の石碑です。

大阪の中心とも言われる船場は、大正時代まではこの平野町通り周辺を指す言葉だったようです。

平野町通りをさらに西に歩くと御堂筋。その御堂筋と平野町通り交差点の北西角地には、大阪ガスの本社ビル(昭和8年竣工)があります。

大阪を代表する企業とも言える大阪ガスは、船場の中心に本社を構えたかったのではないでしょうか。



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