遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

きのう 長野から 帰りました。 この旅の目的のひとつは 母を前宮に案内すること 霧が峰を車で走ること 車山のロープウェイに乗ること でした。

なにも考えず きたのが 御柱祭の里曳きの日でした。 前宮のまわりは通行止めだったのですが 息子の運転する車は路地をとおって 前宮のそばまでいってしまいました。けれどもあまりの混雑にほうほうの態で 下社 秋宮に向かいました。わたしは 静謐の前宮がこよなく好きです。

そして 5/5 御柱祭 死者のニュース ... 御柱祭は事故が多い 命がけの祭りを何故 .... 死者は人柱 .... 名誉の死

長野の神の四層構造 ⇒ こちら

神官は 前宮のご神体は 守屋山ではなく 大祝 だといったそうです。

おそらく 元は 守屋山 タケミナカタが諏訪にきて その子孫が大祝 となった。

御柱祭について 過去に書いた記事 思い違いもありますが ⇒ こちら

御柱とはなにか

① タケミナカタの神 を 封印するための (ヤマト伊勢の)結界説

② 依り代説

③ ユダヤ起源 ハシラ 説

④ ユダヤ起源 + タケミナカタ信仰 + 依り代 説

⇒ こちら

御柱祭’は直径1M位(3尺4寸)、長さが16M位(五丈五尺)のモミの木を神社(春宮、秋宮、前宮、本宮)ごとにそれぞれ4本、計16本切り出し、、夫々の拝殿の四方に立てるまでの祭りである。7年に一度行われ、遠いところでは神社から20Km離れた山奥から切り出される。その運搬の模様は、その都度TVで放映されているので、説明を省くが、誰もがその勇壮な、命懸けの祭りを驚きの目で見ている。前記の著書に依れば、「御柱は桓武天皇の時代に既に記録に現れているが、その遥か以前の縄文の時代の‘柱立て祭り’が源流かもしれない」と記している。
ここに‘御柱起源論'に是非とも加えたい説がある。それは久保有政氏の著書「日本の中のユダヤ文化」の中で述べられている。そのまま引用する。「この諏訪大社に伝わる`柱'信仰とは何なのか。古代イスラエルには`アシラ'信仰と言うのが有った。これはアッシリアから来た異教信仰で、女神アシラを崇拝するもので、そのシンボルは`柱'であった。」とし、`アシラ'の音が、`ハシラ'に変化したと述べている。「なるほど」と頷けるが、これだけでは説得力に欠けると思っていたが、いま一つ`御柱イスラエル起源説'を後押しする話が別の本に有った。それは小石豊氏の著書「古代出雲イスラエル王国の謎」である。同著・第2章の‘諏訪大社の御頭祭と御柱祭’に次のような記述があった。
「柱を山から滑り落とす儀式は、ユダヤ王国のソロモン王が神殿を立てるとき、(レバノンの)ツロのヒムラ王からレバノンの杉の木を買い取って、遠路エルサレムまで運んだ大事業の伝承に由来するのだろう。巨木を積んだ筏はツロの辺りから海路を下り、ヨッパから陸揚げされて、陸路を延々とエルサレムまで運ばれ、ソロモンの宮殿に建てられたのだ。「列王記I第5章2節、8~10節」に記述」としている。
レバノン杉について調べてみた。遥か古代、中近東に広く分布していたが、乱伐により紀元前にはレバノン山地のみに残ったとされている。この杉は標高1200M以上にしか育たないとされ、今でもレバノンに残り珍重されていると言う。エジプトの‘ツタンカーメンのお棺’や、‘クフ王の太陽の船'に使われたのがこのレバノン杉であったと書かれていた。地図でレバノンのツロと言う地名を探した。見つけた。レバノン山脈が最も海に近づいた、レバノンとイスラエルの国境付近にあった。地図にはTyreと記されている。(別の地図ではチルとも記されている)イスラエルのヨッパは中々見つからなかったが、「旧約聖書イスラエル地図」という地図に「ヤッファ」と記されているのがそうであろう。エルサレムに最も近い海岸にある。
距離を調べるとツロからヤッファまでは約150Km、ヤッファからエルサレムまでは約50Km位である。当時としては長旅であったと思う。
 今一度御柱際を振り返ってみよう。山奥から切り出されたモミの木は、多くの氏子により最大40度余の斜面を滑り降り、川を渡り、その後‘御舟’の先導で神社に引かれて行く。神社に着いたモミの木は拝殿の周囲に立てられる。
一方ソロモン王の時代は、レバノン山脈が海に迫った標高1200Mの山奥から切り出された杉が、山を滑り降りてツロの海岸まで運ばれる。そこから筏でイスラエルのヤッファまで海路を移動する。ヤッファからエルサレムまで厳しい陸路を経てソロモンの神殿に辿り着き、アシラの神として神殿の周りに立てられた。
如何であろうか。諏訪大社へ運ばれる時、御船が先導するのは地中海を航海してきた事を伝えているのかもしれない。正にレバノン杉の運搬作業の再現である。
 御頭祭の話、‘アシラ’と‘柱’の話、そしてソロモン王のレバノン杉の運搬作業から、御柱起源論として、次の解釈が加えられるのではないか。「諏訪の民にはイスラエル時代のアシラ神(柱)の運搬作業が伝承されていた。神(後に建御名方神に変わった)に対する強い信仰心から、2000年に亘り命懸けの作業を続けているが、その本来の由来は伝わっていない」と解釈すると、多くの謎が一気に氷解するのではないだろうか。

以上

だが それより 気になるのは なぜ 中央構造線と糸魚川(いといがわ)-静岡線(フォッサマグナ)の交点 つまり 列島の要に 前宮 本宮があるのか....

太古のひとは知っていた そこに ユダヤがきた そこに タケミナカタがきた そのあと ヤマトがきた  ユダヤ タケミナカタ ヤマト みな 部族の異なる 失われた十二支族?

海 わたつみ からきたひとびとは 長野 埼玉 茨城 と 今度は陸路つたいに移動する    埼玉では 中央構造線上に 岩槻 長瀞は露出しているとか そして 大洗磯前神社 酒列磯前神社 に海からきたことになっている オオクニヌシ スクナヒコナ が祀られている ここでわたしのちいさな脳みそのなかで ジレンマ が生じる。 タケミナカタは初代オオクニヌシの息子だから...ニワトリがさき? たまごがさき?

龍神伝説は 二話とも諏訪湖が舞台です。

野辺山 獅子岩 ⇒ こちら

 



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