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緑陰の学芸大学で全国演劇教育研究集会が開かれました。平田オリザ氏の記念講演は演劇教育の可能性について示唆に富むものだったので、まとめておきます。
① マサチューセッツ工科大学においても、芸術教育が盛んである。なぜなら科学者こそセンスで勝負であることに気づき始めたからである。
② 日本においても大阪大学....医科が有名である.....ではコミュニケーション教育、表現教育、芸術教育に力を入れている。今に”演劇をやらないと医者になれない”時代がくるかもしれない。(※平田オリザさんは劇作家・演出家であるとともに大阪大学コミュニケーションセンター教授)
③ 小泉改革がもたらしたものは経済の問題ばかりではない。市場原理・グローバリズムは地方に荒々しく働く。地方の持っていた懐の深さがムザンに根絶やしになった。地方都市は画一化され、コミュニティは分断され、世代にまたがる重層的コミュニケーションは失われた。結果 地方に行き場を失った青少年の凶悪犯罪が増えた。
④ 青少年の居場所はネットカフェ、ゲーセン、カラオケになり、成功のスジミチは限られ、一度踏み外したら、元に戻るチャンスはない。(例 アキハバラ無差別殺人)いまや弱者に居場所がないのである。東村山の少年によるホームレス撲殺もそのことが生んだ悲劇である。少年は図書館で遊んで、ホームレスにたしなめられ、それを根に持っていた。日本では図書館はまだコミュニティスペースではない。学習の場所である。
⑤ あたらしい広場が必要である。ひとびとは強固な共同体を望んではいない。だれかがだれかを知っている”ゆるやかなネットワーク社会”に編みかえてゆく必要がある。
⑥ 芸術、演劇、音楽、スポーツはそのあみかえの接点になり得る。芸術文化による都市の再生が待たれる。そのためにマイノリティが参加しやすくなければならない。たとえば、東京では子どもの10人にひとりが両親もしくは片親が日本人ではない。すなわち日本語を母語としないあ子どもが増えているし、今後も増え続ける。
⑦ カナダでは、表現教育が盛んである。なぜならカナダも先住民族あり移民ありの多民族国家であるからだ。カナダではLTTA.....ドラマなどの芸術で主要科目を教えることで、知識の定着率は1.5倍になった。
子どもたちの表現を生かす、認めあう。見る、見られるという関係をつくる。
シアター教育→ドラマ教育→コミュニケーション教育
大阪でLTTA方式のドラマティーチャーはちかじか現実化するであろう。京都もしかりである。コミュニケーションティーチャー・ドラマティーチャーは専門職になり、やがて日本中にひろまるであろう(LTTAと聞いてわたしはとびあがり眠気が覚めました。)
⑧ 類人猿は子どもを集団で育てる、子育ては父親・母親だけでなく、本来社会全体でするものである。人間はさまざまな役割を演じて生きている。いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶってかろうじて演じて生きている....父、母、夫、妻、会社員、事務員.....人間は演じる生き物、ペルソナとはPERSON....仮面=人格である。アキハバラ事件の犯人は”いい子を演じさせられることに疲れた”と言った。タフな子ども、楽しむ子どもに育てよう。そこに演劇の価値がある。
まとまりませんが演劇教育の必要性は①弱者の居場所として②世代間・母語が日本語でない子どもがふえてゆくなどコミュニケーションを補うため③人間の本源的力の回復 にあるということでしょうか。違っていたらすみません。
平田オリザウィキペディアは→コチラ
全劇研は→コチラ
学芸大学は→コチラ
写真はあとでUPします。
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