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つねに平和を祈られ 国民のために行動しておいでになった両陛下

最近の神道政治連盟の動き 安保法制 改憲の動きをどうごらんになっておいででしたでしょう。

厳しいご公務どうように ご心痛のひとつであったであろうと 拝するのであります。

改憲勢力は 秋篠宮さまを天皇にかつぎたいであろうとふと 思うのです。

最近の○○の皇太子殿下たたきは眼に余ります。

 

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html

天皇陛下

日本国憲法では,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。

平成の20年間を振り返ってまず頭に浮かぶのは,平成元年,1989年のベルリンの壁の崩壊に始まる世界の動きです。その後の2年間に東西に分かれていたドイツは統一され,ソビエト連邦からロシアを含む15か国が独立しました。そしてそれまで外からはうかがい知ることの難しかったソビエト連邦,及びそれに連なる国々の実情や過去の歴史的事実が,世界に知られるようになりました。このような世界の動きを,深い感動を持って見守ったことが思い起こされます。ベルリンの壁の崩壊から4年後,私どもはドイツを訪問し,ヴァイツゼッカー大統領ご夫妻,ベルリン市長ご夫妻と共に徒歩でブランデンブルグ門を通りました。西ベルリンから東ベルリンに入ると,ベートーベンの「歓喜の歌」の合唱が聞こえてきました。私どもの忘れ得ぬ思い出です。

しかし,その後の世界の動きは,残念ながら平和を推進する方向には進んでいきませんでした。平成13年,2001年世界貿易センタービルなどが旅客機の突入により破壊され,3,000人以上の命が失われました。それを契機として,アフガニスタン,続いてイラクで戦争が起こり,今も両国とパキスタンでは多くの命が失われています。

このように今日の世界は,決して平和な状況にあるとは言えませんが,明るい面として考えられるのは,世界がより透明化し,多くの人々が事実関係を共有することができるようになったことです。拉(ら)致の問題も,それが行われた当時は今と違って,日本人皆が拉(ら)致の行われたことを事実として認識することはありませんでした。このため,拉(ら)致が続けられ,多くの被害者が生じたことは返す返すも残念なことでした。それぞれの人の家族の苦しみは,いかばかりであったかと思います。また,チェルノブイリ原子力発電所の事故のような,人々の健康や環境に大きな影響を与える事故であっても,当時のソビエト連邦では発表されず,事故についての最初の報道はスウェーデンの研究所からもたらされました。ソビエト連邦が発表したのはそれより後のことで,事故のあった地域の人々の健康に与えた被害は,一層大きくなったことと思います。

国内のことでまず思い起こされるのは,6,400人以上の人々が亡くなった阪神・淡路大震災です。地震による家屋の崩壊とともに火災が起こり,誠に痛ましい状況でした。ただ淡路島では,火災がすべて未然に防がれ,また,地域の人々による迅速な救出活動により,多くの人の命が助けられたと聞きました。この地震は,その後に大きな教訓を残しました。建築の耐震化が進められ,人々の間に,災害に対する協力の輪が広がりました。後に他の被災地を訪れた時,自分たちの災害に支援の手を差し伸べてもらったので,お礼の気持ちでこの被災地の支援に来たという人々に会うことがあり,頼もしく思いました。

苦労の多い中で,農業,林業,水産業などに携わる人々が様々に工夫を凝らし,その分野を守り続けてきている努力を尊いものに思っており,毎年農林水産祭天皇杯受賞者にお会いするのを楽しみにしています。

今日,日本では高齢化が進み,厳しい経済情勢とあいまって,人々の暮らしが深く案じられます。そのような中で,高齢者や介護を必要とする人々のことを心に掛け,支えていこうという人々が多くなってきているように感じられ,心強く思っています。皆が支え合う社会が築かれていくことを願っています。

平成が20年となり,多くの人々がお祝いの気持ちを表してくれることをうれしく思い,感謝しています。

この機会に,我が国の安寧を願い,国民の健康と幸せを祈ります。

皇后陛下

少し風邪をひいてしまって,聞きづらいようでしたら言い直しますので,おっしゃってください。戦後新憲法により,天皇のご存在が「象徴」という,私にとっては不思議な言葉で示された昭和22年,私はまだ中学に入ったばかりで,これを理解することは難しく,何となく意味の深そうなその言葉を,ただそのままに受け止めておりました。

御所に上がって50年がたちますが,「象徴」の意味は,今も言葉には表し難く,ただ,陛下が「国の象徴」また「国民統合の象徴」としての在り方を絶えず模索され,そのことをお考えになりつつ,それにふさわしくあろうと努めておられたお姿の中に,常にそれを感じてきたとのみ,答えさせていただきます。



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