芸能ニュースというと 歌 芝居 テレビなどの他にスポーツも入ることがあります。不思議に思いませんか? 折口信夫さんが書き残されたものを今読んでいるのですが 芸能とは昔 態芸(のうげい)と言ったらしい...心が入っていたんですね。そしてそのジャンルには 歌う 踊るなどの他に 武術 相撲もあったんですよ。...なるほど それで朝青龍の問題も芸能ニュースなんですね。語るは歌うのなかに入っていたのでしょうか。
そして読み進むうちに わたしが語りを含む芸能について思ったり感じていたことが裏打ちされるようで とても心強かったのです。 それがなんなのか すこし書いてみましょう。...芸能はまつりの場で おこなうことだったのだそうです。まつりには外からまれびと...まろうどとして神がおいでになる 神がいらっしゃらなければまつりではなかったそうです。あるじとはご馳走を意味していたのが次第にあるじをするひとの呼び名主人(あるじ)に変化したそうです。 それは時代の移り変わりとともにカタチを変えて まつり...宴会では客をもてなし 客...まろうども主人に芸能で返礼したらしい...神さまだけがいつのまにかいなくなってしまったのですね。
日本の芸能は はじめはだれかに見せようという目的はなかったのだそうです。『招かれざる客』..障子の穴から見物するような予期せぬ見物人が見せる、聞かせるの起こりだったようです。芸能はふたつの意味を持っていました。ひとつは鎮魂 もうひとつは反閇(へんばい)といいこのふたつがひとつになりふたつになりして日本の芸能のあらゆる場面に出てくるのだそうです。
鎮魂とはそとから良い魂を迎えてひとのからだに鎮まらせるかたちと 魂が遊離すると悪いものに触れるのでそれを防ごうとする形があるのだそうです。。反閇とは悪い魂を押さえつけることだそうです。
たとえば猿楽のもとになった田楽は田遊びがだんだん演劇化したものです。田遊び の遊びということば これは日本の古語では鎮魂の動作なのです。楽器の演奏も歌を謡うことも 演奏や歌に乗ってくる清らかな魂が身体にはいるという意味があったのだそうです。田遊びでは田をできるだけ踏みつけ その田を掻きならして田に適当な魂を落ち着け立派な苗をつくるためのものでした。
さまざまな芸や要素が入った田遊びは田楽となり猿楽となり歌舞伎 能になりました。このように日本の芸能は根本に魂鎮めの要素を持ちながら時代とともに変遷しました。鎮魂には魂振り....魂を生き生きと復活させるという意味があります。折口信夫の語る芸能史六講は平安時代を中心に書かれておりますが 時代を深く遡るほど 芸能というものは神や霊と切り離せないものになることでしょう。
わたしたち語り手はその原点を忘れてはならないと思うのです。それは単純に神や霊を語るという意味ではありません。ものがたりの本質は 生 死 再生でありますから そのテーマにもはっきりした啓示が含まれていると感じます。魂鎮め魂振りには再生の謂いがあります。このつづきは ちかじか 書きたいと思っています。なぜなら語る...の本質がそこにあるからです。
...27日のワークショプに参加された方がおいででしたら 心にとめていただきたいことがあります。発声は大事です。身体も大事です。けれども それらはもっとたいせつなものを聴き手に届けるための 乗りもののようなものです。技術でなく身体でなくものがたりですらない 聴き手の魂に届ける 語り手自身を上昇させるたいせつなものとはなんでしょう? あなたの語る『根っこ』にはなにがありますか?
声や身体の不思議にも伝えたいことはもっとあります。そこにも大きなヒントが隠されていますしね。けれど わたしがほんとうに伝えたい 語り合いたい 学びあいたいのは...その奥のことなのです。ご一緒に旅をする方はいませんか?
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