遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

こちらのサイトには興味深い納得させられる仮説が述べられています。伊雑宮に祀られているのが蛇神という地元の方のことばもこの仮説に信憑性をあたえています。わたしは瀧原宮と伊雑宮 五十宮が対称に.....ただ 瀬織津姫のことだけふれられていないのが残念でした。 籠.....龍......瀧

⇒ こちら

以下抜粋

瀧祭神(たきまつりのかみ)

内宮の宇治橋を渡り第一鳥居をくぐると、五十鈴川の御手洗場の脇に、「瀧祭神」(たきまつりのかみ)を称する石神を祀っている。御垣と御門だけで社殿はない。祭神は、五十鈴川の水神であるというが、御神体は石そのものであり、極めて縄文的な神祀りであるように思う。由来によれば、延暦二十三年(804)神祇官に奉った『皇大神宮儀式帳』にも、瀧祭神が記されている、とあるので、1000年以上の歴史があることになる。

 現在では、別宮に準じた奉祭がされているが、鎌倉時代には、五十鈴川の対岸にあって、この神こそアマテラスの前身とされていたらしい。また重要な祭りに先立って祭られる社であったともいい、このことから滝祭神は伊勢神宮の原型であったのだろう。『日本書紀』以前の伊勢神宮は、縄文的な石神を祀る社であったと推測できる。

  
瀧原宮(たきはらのみや)
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)

 
度会郡大宮町に鎮座するともに内宮の別宮で、昔から「大神の遙宮(とおのみや)」とも言われている。祭神は「天照坐皇大御神御魂」(あまてらしますすめおおみかみのみたま)であり、社殿は両社同格で、二社並んで鎮座している。
  
伊雑宮(いざのみや)

 三重県志摩郡磯部町大字上之郷に鎮座する内宮の別宮で、アマテラスの御魂を祀る。ここもまた古くから「大神の遙宮」と呼ばれ、漁師や海女の信仰が深い。寛永(1624~43)のはじめ、幕府により発禁処分とされた『先代旧事本紀大成経』は、ここ伊雑宮を伊勢神宮の本宮であったとしている。
発禁処分後も信奉者は絶えず、多くの神社が自社の縁起を作るときなどに引用するなど、その影響力は測り知れぬものであったらしい。正確な祭神名は「天照坐皇大御神御魂」(あまてらしますすめおおみかみのみたま)といい、これもまた瀧原宮と同じである。
 

伊雑宮は本来、五十宮と記すのが正しいという説がある。伊雑は後世改められたものらしい。伊雑宮は“いぞうのみや”とも発音する。すなわち、“いそうのみや”(五十宮)=磯宮である。

伊雑宮は、内宮・外宮、両宮の争いに一枚加わった格好になったのだが、両宮が抗争中であるにもかかわらず、協力して伊雑宮を叩いたという事実には、何ともやりきれない気持ちになる。

伊雑宮の祭神は「伊射波登美命」と下されたものの、それ以前は、 「天照大神御魂」(延暦二十三年(804)『皇太神宮儀式帳』)が祭神であり、明治以降は再び「天照大神御魂」を祭神としている。

 明治に到るまで争いが続いた両宮と伊雑宮であったが、共通していた思想は、「荒木田神主」の伝承や、外宮が国常立尊を祭神とするなど、祭神は男性神であるということである。また、伊雑宮の「天照大神御魂」とは、アマテラスの荒御魂のことであろうか。内宮の荒祭宮は、アマテラスの荒御魂を祀る別宮であるが、祭神は「天照大神御魂」ではない。あくまでも荒御魂である。 ここには、明確な区別がある。

天照御魂神」を名乗る神社は、全国に数カ所あるが、そのいずれもが天照国照天彦火明命を祭神とする神社なのである。

蛇神

内宮家「荒木田氏」の伝承がある。「天照大神は蛇神で、斎宮はその后である。そのため斎宮の御衾の下に、毎朝蛇のウロコが落ちている、とみえている。」

これはとりわけ重要である。この証言は、アマテラスが男性神であることを、認めていることになるからだ。それも「荒木田氏」自らである。代々、内宮神職を世襲している「荒木田氏」自身が、『記紀』に真っ向から対立する主張をしていたということは、この主張の真実性を裏付ける結果になっている。

もう少し考えを進めると、『記紀』のいう女性神・アマテラスは、男性神・アマテラスに奉仕する立場であった、ということができそうだ。すなわち斎宮(いつきのみや)である。斎宮とは、伊勢神宮における斎王のことであり、アマテラスを奉斎する女性のことであり、時には神懸かって神託を下す。言うなれば巫女のことだ。しかも、天皇の未婚の皇女を代々斎宮として選任していた。『記紀』では初代斎宮を、垂仁天皇の皇女「倭姫命」としているが、実際の斎宮制度は、早くても天武天皇より後のことだと思う。
伊勢神宮では、様々な神事を、斎宮が中心となって行っていた。この斎宮の立場は、高天原におけるアマテラス(オオヒルメムチ)と、瓜二つである。

内親王による奉斎をしていた神社に、賀茂別雷神社がある。通称上賀茂神社と呼ばれるこの神社には、川から流れてきた丹塗矢と同床して妊娠した「玉依姫」の縁起がある。神との聖婚である。上賀茂神社は、伊勢神宮の斎宮に対して、斎院(いつきのいん)というが、役目は同じである。ちなみに斎宮も斎院も、本来は居所のことであり、職制としては斎王が正しい。

 「荒木田氏」の伝承は、まさに神との聖婚を思わせる。

 豊受大神

豊受大神は御饌神である。すなわち食物神だ。外宮の祭神として、全国に知られる神なのであるが、『記紀』から、その姿を読むことはできない。
  

 このトヨウケの元の地とは、あの『海部氏本紀』の籠神社である。アマテラスは、崇神天皇の御代に、「大和」の「笠縫邑」を出た後、吉佐宮に遷座している。吉佐宮とは、籠神社の前身であり、このことが、籠神社を元伊勢神宮と呼ばせる所以である  籠神社には摂社に、真奈井神社があり、古称を与謝宮と言い、現在はここを奥宮として、別名、豊受大神宮と呼んでいる。

また、当地こそが「比治の真奈井」であるとしており、大化改新以降、与謝宮を籠神社と改称し、養老三年(719)、現在地に遷座し、旧地を奥宮と定めたのである。祭神は、彦火明命であり、アマテラスではない。すなわち、豊受大神は火明命と同体である。

 『但馬故事記』は、ホアカリをニギハヤヒと同一視してはいるが、その讃え名は「天照国照彦櫛玉饒速日天火明命」と呼び、『先代旧事本紀』で」 いうニギハヤヒと名前の順列が入れ替わっている。同書は異録四書、いわゆる際物扱いの書であり、学術的には偽書であるかも知れないが、『記紀』をはじめ、他の古史古伝と共に、提供される民族伝承は貴重な情報であることに違いはない。

 内宮と外宮

内宮と外宮は、その通称からも判るように、陰陽思想のもと建築設計されている。 「内宮と外宮では、寸法、千木の切り方、鰹魚木の数、桁を組む位置と梁の関係等に相違があり、千木の切り方の水平と垂直、鰹魚木の十本と九本など、内宮を陰、外宮を陽とする陰陽思想で構成されている。」 (『歴史読本』昭和六十二年三月号、『伊勢神宮と日本人』村上重良氏 論文より引用)

というように、外観には明確な区別がある。陰・陽はそのまま内・外の意味である。これは偶然ではなくて、陰陽の陰だから内宮であり、陽だから外宮と呼称するのだと思われる。また陰・陽は、女性・男性にもあてはまる。

従って、内宮の祭神がアマテラスだというならば、アマテラスは我々が認識しているように女性神であり、外宮のトヨウケは男性神でなければならない。

外宮の鰹魚木は九本である。これは、初めから男性神のための宮であることは明白だ。 その男性神とは、五十鈴川の龍神であった。そうであるならば、その元である籠神社の「籠」とは、「龍」が本来の文字であったのではないか と思えてならない。 籠神社の名称の由来は、彦ホホデミが籠に乗って竜宮に行った故事にちなんでいると言うが、竜宮は龍宮であり、彦ホホデミが龍になって、というのが本来の故事であり、それが名称になったのではなかったかと思われる。

そもそも、伊勢の宮(神宮の前身である宮)は、前述した瀧祭神を祀っていたものと思われる。この宮は、五十鈴川底におられる龍神が御神体ともいうらしい。すなわち「蛇神」である。「荒木田氏」の言い分は、このことだと思う。伊勢神宮の創祀は、垂仁天皇の皇女「倭姫命」による、アマテラスの伊勢鎮座に、始まったことになっている。「荒木田氏」は、このときから奉仕したと伝えられるから、創祀以来の禰宜職であるわけだ。これが伊勢の瀧祭神の鎮座の時かと問われれば、そうではないだろう。

天皇家の祖神がアマテラスであると言うのならば、天皇家は本来、神を祀る側であったことになり、女王であり大巫女であった「邪馬台国」のヒミコにぴったり重なってくる。そして、祀る側が祀られる側になるために必要だった道具こそ、『日本書紀』だったのである。 『日本書紀』には天皇家の祖、女性神アマテラスが書かれていて、あるべきところに、伊勢神宮がある。天皇とは名誉大王の持統であったが、こうした後付の既成事実によって、天皇=最高位になっていき、同時に、最高位としての大王位は消滅してしまったのである。

元来は男性神を祀っていながら、十本の鰹魚木を持たされた女性神の宮とされたという矛盾は、実は少なからず現代までも残っている。

天照大神の御装束は、なんと男装束なのである

皇祖神としての天照大神の重要性が高まり、従来のアマテラス、すなわち瀧祭神とは別の天照大神を、皇室唯一絶対の氏神として昇格させる必要があったというわけだ。天照大神を私物化できるほどに、皇室は強大になっていったわけである。

その結果、旧アマテラスは、外宮という宮を与えられ、そちらに遷座させられたのだが、その外観は内宮と同格である。皇室の祖神と国家原初の祖神を同格にしなければ、批判を回避できないと考えたのだろうか、それだけ原初の祖神が大きかったわけである

以上

つまり 上記サイトでは 現天皇家はある意味で正統ではないといっているのですが ....... それだからといって天皇家の価値がさがるものでも尊崇の念が消えるわけでもありません。隠さないことがたいせつだと思います。真実に如くものはないのですから。

 

オオモノヌシ=天照国照天彦火明饒速日命=豊受大神?=大歳神=賀茂別雷神 =  .....

瀧原宮 瀧原竝宮? 日前神宮 国懸神宮のつくりに似ているみたいです。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前の記事へ 福島甲状腺ガ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。