.......会社にも行かないで娘たちと買い物に行きました。そのあと車を走らせてひとのいない公園に....櫻木立のしたはクローバーが絨毯のよう......シートをひろげて、チョコレートアイスバーをたのしんで、おもむろに届いた二冊の本をひらきます。
「忘れられた日本人」
「美しい日本語」
今日は”忘れられた日本人”について書いてみます。著者の宮本常一さんは昭和14年来、日本をくまなく歩き、各地の民間伝承を記録された方です。わたしが宮本さんを知ったのは、友人にさそわれ ひとり芝居「土佐源氏」を観にいったときでした。土佐源氏は宮本さんが土佐の山中、檮原村の橋の下のむしろ小屋に棲む乞食から聞き書きしたはなしです。
宮本さんはできるかぎり話し手のことばに忠実に記録されたということですが、この名もない盲目の乞食の語り口がすばらしい。おそらく文盲であった...のではと思いますが、生き生きと情景が目に浮かぶのです。そのままひとりの自由奔放に生きた男のライフストーリーになっています。
......どんな女でも、やさしくすればみんなゆるすもんぞな。とうとう目がつぶれるまで、女をかもうた。.......わしはなにひとつろくなことはしなかった。男ちう男はわしを信用してなかったがのう。どういうもんか女だけはわしのいいなりになった。........銭ものうもうけるはしから女にやってしもうた。別にためる気もなかったで.....それで一番しまいまで残ったのが婆さんひとりじゃ。.....女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってやりなされ.....どの女もやさしいええ女じゃった。
土佐源氏は出色ですが、その他のエピソードにも、日本のうしなわれた原風景がきざまれています。田植えは女のするものだった...お祭で.....苦しい作業というよりみんな楽しみにしていたのだそうです。田植えをしながら女たちは誰からともなく”語る”のです。ひとびとは山や川、井戸、狸や亀やミミズ、自然と呼吸をあわせて暮らしていました。そして田植えのときだけでなく、暮らしのなかにそのまま語りが、音頭が、くどきがありました。
「どこにおっても、何をしておっても、自分がわるいことをしておらねば、みんな助けてくれるもんじゃ。日ぐれにひとりで山道をもどってくると、たいてい山の神さまが守って、ついてきてくれるもんじゃ。ホイッホイッというような声を立ててな」
これは宮本常一さんの祖父が幼い孫に語ったことばでした。たくさんの昔話をのこし、孫にかたりかけ、民謡をうたうことをたのしみに、死ぬるまではたらいてぽっくりと去っていったお祖父さん.....孫に語りつづけたそのことが、宮本さんのしごと、そして著作につながったように思われてなりません。
若いころは外に目が向かいます。七色の童話集 ラング....やギリシャ神話、世界文学全集に夢をかきたてられ物語の世界を知り、そのままヘッセやシュトルム、トルストイ、スタンダールを濫読しました。日本文学を知ったのはそのあとで、柳田国男もずいぶん昔に読んだのですが、とんと忘れていました。民俗学などというものは紙魚のついたしょんぼりした古書のように思っていました。
今になって、つくづく日本の文化の土壌の奥深さにおどろくばかりです。なぜもっとはやく気がつかなかったのだろう。フィールドワークをするにも、わたしの足はもう萎えてしまいました。けれども、まだ時間はある、古きものに目をとおし、できるかぎり歩いて、わたしがまだ知らないこの国が内包している豊かな秘密を、源泉を知りたいと思います。
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