きのう 上島珈琲で 思い出してしまった.... ちょうど10年たっていた。
語り手たちの会 櫻井美紀さんと 決定的な 別れとなった日でもあった。
わたしはどこにいても異端であって どの会にいても 浮いていたし 自分の主宰するユニットであってもそうだった。
でも みんな そんなものでしょう? どれだけのひとが 自分のありのままでいられる 場 を持っていることだろう。
居心地のわるさはあったけれど 櫻井先生は 庇護者であって わたしは ひとのことなど気にせず 自分の好きなように語っていた。
11年前の 近江楽堂のまえのコンサートまでは。
そこで 櫻井先生は突然 庇護者ではなく ライヴァルになったのだった。
わたしはそんなことには 全く 気がつかなくて おろおろしたり 泣くばかりだった。
芦刈は妻のしあわせのために 身をひく夫のものがたり
マグダラのマリアは 共観福音書 ... 新約聖書による 悔い改めた娼婦のものがたりではなく
教会に焚書にされた トマスの福音書や 死海文書の一部であった マリアの福音書に材をとった
神殿娼婦マリアムと ヨシュア イエスのものがたりだった。神殿娼婦とは 男を覚醒させる役目を持つ娼婦のことで
尊敬される存在だった。マリアムとヨシュアは結婚した。トマスの福音書には イエスがマリアに接吻したという
記述がある。ゴルゴタの丘で イエスが磔刑にあったあと マリアムはフランスにわたって 子を産んだという。
フランスには 黒いマリア像があって それが マリアムだという。山形の教会にも黒いマリア像があった....
マリアムを語っているときわたしは 霧のような金色の細かい細かい粒子が 天上から燦々とふりそそぐのを
確かに見ていた。
イエスが 規律に縛られた 教会を望まれたとはわたしには思えない。それはパウロの仕事に違いない。
なぜなら イエスは 天国は あちらに こちらにあるのではない あなたの此処にある と おっしゃった
のだから。
わたしは10年前もひとりだったし 今もひとりだ。 しばらく 影のように 守ってくれるひとがいた でも みんな
それぞれの人生がある。 わたしもひとりでゆく。 以前のように語れるかはわからないけれど。