遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   わたしは尾崎豊さんの歌が好きです。U-チューブで若い頃の全身全霊をかけて歌っているさまを観るとひどく心を動かされます。観たひとのコメントのなかに「尾崎の歌を聞くと恥ずかしくなってしまう..それが僕を惹きつける」というのがあってまさに!!と同感しました。

   昔わたしは美輪明宏さんが歌っているのを見ると締め付けられるような恥ずかしさを覚えたものです。美輪さんは当時丸山明宏という名でシャンソンや「よいとまけの歌」を歌っていました。その声はとても痛々しく裸でその痛ましいほどの美貌とともに血の滲む傷口のように思え目を背けずにはおられないのですが、同時にひどく惹きつけられるものでもありました。

   なぜかと今思いますと、それはあまりに裸ゆえに自分の生そして自分の恥ずかしさとも重なったからだと思うのです。生きることはある意味でとても恥ずかしいことではないでしょうか。ときに自分に嘘をつきひとに嘘をつき植物や動物の生命を食って生きてゆかざるを得ません。先進国であればあるほどどこかで発展途上国を搾取しているという構造があって世界はさほど美しいものではなく矛盾に満ちていてもし感受性の豊かなひとであれば正視するならとても生きてはゆけないと思うのです。ひとの生は他者の死のうえに成り立っているといっても過言ではないのですから。

   美輪明宏さんや尾崎豊さんの歌は自分のなかにある矛盾とか嘘をさらけ出しそれでも命は道ばたの一輪の花のように美しく儚く切ないのだ…と伝えてくれるように思います。それだから魂に響くのだと思います。文学や小説にしてもそうです。アンネの日記が心を打つのはナチスによって踏み躙られた少女の命という面だけではなく、その少女の日常の異性への目覚めであるとか腐ったレタスの匂いであるとか命の赤裸々なところがあるからだと思うのです。ゲド戦記のゲドの心の闇、雪は汚れていたの少年の闇と衝動、天使でさえ堕ちることがあります。まして天使ではないひとはどんな聖者であってもはじめから真っ白ではありません。赤子さえ透明ではなくすでに刻印された遺伝子を持ち前世の記憶を持つ子さえいるのですから…..その人間はしかし光をめざす本質も持っているのです。闇から羽ばたこうとする翼を肩甲骨のあいだに隠しているのです。

   己を視るということは己のなかの闇も光もみること、そのうえで自分を認められるということではないでしょうか? ゆえにわたしは文学でも映画でも語りでもわたしたち人類に与えられた最も古い賜物のひとつである神話のパターン光と闇、生と死 そして再生の根を持つものがたりに感動します。そのような語りを聞きたいと望み、語りたいと願うのです。(風さんに....)




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コメント
 
 
 
Unknown ()
2007-12-23 11:17:51
赤裸々な自分をさらけ出す。

表面的な欠点や思い癖などは意識できても、なかなかその奥にある自分って見えないものですね。

「お姫様ものは苦手」
そんなこともきっかけとなって、
「好き」と同時に「嫌い」の奥に何か見えるかもと思い始めました。
批判を受けると落ち込んだりむっとしたり(時には反省したり)でしたが、宝はその奥なのだわ、とも。

闇と聞くと、私などマイナス面ばかり考えていましたが、そうではないんですね。
自分の“闇”を認められれば他者を受け入れられる器が広がる。
それが、きっと自分を開くことに繋がるかもしれない。

まずは闇(自分自身)を探す旅に出なくては。
そこには一緒に光もあるのでしょう。

神話、読み始めました。
(まずは子供向けのものからですが・・・)
古事記は神様の名前や神関係?が把握できず(情けない)ちょっと棚上げです。
神話の神さまって意外と人間くさい(?!)などと思ったり。
(生と死、再生を読み取るまではまだ行き着けません・・・)

語りたい物語に出会いたい。
それには話を物語にしていくことも勉強せねば。(国語苦手・・)

でも今は「聞いていて苦痛でない語り」そこからです、私の場合。
道が遠くて、わくわくします(やけくそ)
出会えた聞いてくれる人に向き合っていく。

魂を揺るがす語り は私にとっては目標と言うより、いつかもらえたら嬉しいご褒美のようなものかもしれません。

るかさんの言葉も、歩き始めるきっかけであり歩き始めたことへのご褒美のような気がします。

たくさんの感謝をこめて。

・・・こんな私情ばかりのメッセージをコメント欄に投稿してもいいのでしょうか?もしなんでしたら非公開にしてくださいね。
 
 
 
ぴかぴか (るか)
2007-12-23 14:07:56
風さん

闇も光も自分のなかにあるのですね。
闇があってこそ光が存在する。
ふたつでひとつなのですね。

語りたいも書きたいも自分の心がそれを
求めます。私情でいいのじゃないでしょうか。

わたしもきっかけをたくさんいただいて
ここまで生きてこられました。

それは一杯のおいしいお茶だったり
あんじょうおしゃっしゃ という
ことばであったり
まなざしであったり
掌のぬくもりであったりしました。

でもせなかを押していただいたら
一歩を踏み出すのは自分の足なのです。
よしいこう...と決める自分のこころ
なのです。

そうやって余裕がすこしできたら
こんどは道で佇んでいるひとに
声をかけたり無言で微笑んだり
手をさしのべたり....

そうやってたすけあっていければ
いいのだと思います。
ふしぎなものでそこからまた力が生まれます。
わたしもまた風さんから温もりを
いただいて木枯らしのなかを
歩いています。

ユーモアと笑いも忘れないでね。
得がたいものを風さんは持っていますよ。
 
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