リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

まずはクリスマスショッピングを始めなきゃ

2014年12月15日 | 日々の風の吹くまま
やっとワタシの年末年始休暇の始まり。日本へのお歳暮の手配は済んだけど、カードを出
し終わないと間に合わないし、ツリーを飾らないといけないし、ご馳走のことも考えないとい
けない。おかげでゆうべはあんまりよく眠れなかったような気がする。でも、カレシも来週の
英語教室を(生徒さんの大半が母国に帰省するので)キャンセルしようと考え出したので、
この調子だと(ワタシはボツボツやる仕事があるけど)揃って3週間の休みになりそうな気配。
まあだいたいはいつものように飲んで食べて寝てで過ぎるのはたしかなんだけど。

今日は予定通りに東の方へ買い物。まずイタリア系のBosaで年代物のバルサミコ酢、オ
リーブ油、塊のプロシュット、イカ墨のパスタ、パネットーネを買い込んで、次にさほど遠くな
いGourmet Warehouseへ。ここは駐車がタイヘンとわかっているのにトラックで来るから、
案の定、止めるところがない。そこで「エコーで来ればよかったな」なんて言ったって遅いっ
つうの。とりあえず店の前で下ろしてもらって先に買い物を始める。この店はいろいろと「掘
り出し物」があって楽しい。瓶入りのイカ墨や青竹米もあった。小皿やラヴィオリの型抜きの
他に、ステンレスのサガナキ鍋とバケツの形の薬味入れ↓

     
     (赤いのはご飯を「さいころ型」のスシにまとめる道具)

近いところに駐車場を見つけてトラックを止めて来たカレシが「見たことのあるヤツがいる」
と言うので振り返ったら、ロブ・フィーニーがスマホでしゃべりながら店内を行ったり来たり。
へえ、セレブシェフもここで買い物するんだ。(この人、料理の才はすごいけど、経営手腕の
方がちょっとねえ・・・。)目当てのフォアグラの他に鴨のフォアグラのパテ、鴨のリエットを調
達。ケベック産のフォアグラは少し小ぶりでそれほど高くはないから手ごろ。要するに脂肪
肝なわけで、いい気になってたくさん食べたらこっちまで脂肪肝になりかねないから、ごくた
まに少しを味わって食べるのが一番てところ。カレシは今カクテルブームで注目のビターズ
を家で作るキットに色目。買ったら?と言ったら、「作るかどうかわからないし」と、30ドルも
するマイヤーレモンのビターズをお買い上げ。

折からの夕方のラッシュの中をのろのろと家路について、クリスマスショッピングの第1弾は
完了。また雨が降り出しそう。さて、次は・・・。

丸ごと白菜のポタージュ

2014年12月15日 | 日々の風の吹くまま
ちょっと根をつめた仕事が終わると、何かいつもボケッとなってしまう。クリスマスでもうあと
何日もないのに、ボケッとしている暇なんかないんだけど・・・。

朝日新聞だったかどこだったかで見つけた白菜のスープのレシピ。水もストックも使わない
で、白菜を丸ごとスープにすると言うのでちょっと半信半疑。でも、買い物に行ったときに大
きな白菜があったので試してみることにした。ストック用の大鍋にバターを入れて、2キロ近
くはありそうなでっかい白菜をざくざく切って入れて、長ネギと塩を少し。しっかり蓋をして、
レシピの通りにとろとろとやっているうちに、ほんとにいい匂いのする水分が出て来た。半透
明になって、もうこれ以上は水分が出そうにないなというところで、ハンドミキサーでていね
いに、ていねいにピューレ。味見したら、うっまぁ~い!ひとつまみの塩で白菜の味の邪魔
にならない程度に微調整して、白菜ポタージュのできあがり!

     

これがほんっとに感動するほどおいしい。白菜のほんのりと甘い味が100%。しかもかなり
の低カロリー。カレシも大感激。生暖かいパイナップル特急が通り過ぎてちょっと冷え込み
始めた冬の夜は、できたての熱々スープで心の中までほかほかと幸せ。


時間は前にしか進まない

2014年12月14日 | 日々の風の吹くまま
がんばったなぁ。昔は仕事の鬼だったワタシが今ごろになって何でだと思うくらい、きのうは
仕事一筋。おかげで午前3時に完了。やったぁ!これで休みに入れるっ!明けて穏やかな
日曜日。今年最後の納品だからと、原稿と並べて念入りに見直すこと2回。圧縮して、送信
ボタンをクリックして、やぁったぁ!これでやっと大手を振って「休みモード」をスイッチオンで
きるぞぉ(もひとつ仕事があるんだけど・・・)。

文体も内容もお役人文学の典型で、「何とかの何とかに関わる何とかの推進に関する法律」
なんてのがぞろぞろ。そういうときには「日本法令外国語データベース」があって、法律の英
語名を調べるのについこないだまで重宝していたのに、きのうはなぜかアクセス不能。秘密
保護法とか選挙と関係があるのかと思いつつ、どうせ英語版はまだないだろうと推測して勝
手に訳しておいたけど、今日になって調べたらいつのまにかURLが変わっていて、しかも
ページの下にでかでかと「法務省」。前はそんなのどこにもなかったのに。ま、こっちは英語
名がわかって、条文の英訳を引用できればそれでいいんだけどさ。

日本は総選挙が終わって予想通りの「めくら判」。アメリカでブッシュが再選されたときは民
主党派が「あと4年も(冗談じゃない)!」と喚いたけど、日本の人は静かだね。自分の人生
に深く関わることなのにまともな選択肢がないのは辛い。でも、日本にまともな選択肢のあ
る民主主義を根付かせられるのは日本国民だけなのに、戦後その機会がたっぷりあったに
も関わらず何もして来なかったのも日本国民だよね。どこの国でも、国政選挙はその国の
国民だけのもので、その国に何年住もうと、外国籍者の意思や主張は通らないんだから。

でも、「日本スゴイ、日本人はスゴイ、神州大日本国バンザイ」主義じゃない人にとっては、
これからじわじわと生き難い国になるだろうという気がする。近ごろは市井の人たちまでが
NHK的自画自賛をやるようになったと思っていたから、知者はとっくに察しているだろうけ
ど。これまでワタシは「カナダに来てよかった」という視線だったけど、ふと「日本を出て来て
よかった」と思って、この夏に東京で幼馴染のJ子が「あんたは日本を出て正解だったのよ」
と言ったのが改めてずしんと響いた。どこへ行くのかなあ、ニッポン。時計の針は逆戻しでき
ても時間は前にしか進まないよ。

遊びたいのに仕事ばっかり・・・

2014年12月12日 | 日々の風の吹くまま
いやあ、ものすごぉい大風だった。パイナップル特急に乗って来る団子嵐の3つ目。一時は
25メートルの風が吹いたそうだし、バンクーバー島では40メートル近かったところもあって、
もう台風かハリケーン。我が家ではカレシが作ったトレリスが傾き、裏のポーチの雨どいの
立てどいが外れていた。立てどいの継ぎ足した部分が風に揺すられて引っ込んでしまって、
排水口から外れたらしい。とりあえずえいっと伸ばして排水口に当てておいたけど、継いだ
ところをダクトテープで巻いておかなきゃ。でも、停電しなかったし、温室も無事だった。やれ
やれ・・・。

さてクリスマスの準備をばと張り切っていたのに、仕事に捕まってしまった。日本では魔の
金曜の夜。残業していたらしいコーディネータさんから「お休み前ですが半分だけでも~」と
お願いメール。納期は日本時間で月曜日の朝一番。こっちは日曜日の午後4時。「半分」は
何とか2日でやれそうな量。そっか、15日から休みに入りますよ~と連絡してあったんだ。
あはは、これはみごとにやられちゃったなあ。まだ休みに入ってないもんね。まあもう15年
近い付き合いだし、向こうの時間が時間だから色よい返事をもらって早く帰りたいだろうから
と、よっしゃぁという勢いで引き受けてしまった。

と言うわけで、青空には目もくれずに1日中オフィスに篭城。この仕事がまたガチガチのお
役人文学で、とにかく回りくどい。こんな日本語でああだのこうだのと言われてもさっぱりわ
かりまへんがな。「○○することとしたところである」って、ちょんまげ裃の殿様かい。(明治
時代にはこれをカタカナで「○○スルコトトシタトコロデアル」と書いたんだっけ。)あのさぁ、
日本も21世紀なんだから、「○○することにした」と簡潔にやってくれないかなあ。でも、そ
のわかりまへん文学を同じようなわかりまへん英語にするのが翻訳ビジネスなもので、腕
まくりして、鉢巻して・・・。

ついでに年末までの「ゆっくり仕事」のファイルをちょっと開いてみたら、あちゃ、こっちもわ
かりまへんがな。科学ものは環境関連分野が一応ワタシの領域なんだけど、ひと口に環境
と言っても理系、文系にわたってすごい数の「何とか学」が絡んでくるのでタイヘン。(専門
分野がないからぴったりだと思われている・・・?)目がくらみそうな専門語が並んでいるか
ら、とにかくググりまくるしかないな。それしか道はないって・・・。

どこから見てもほとんど完璧

2014年12月11日 | 日々の風の吹くまま
木曜日。日本では金曜日だから、夜中以降に仕事が来なければ予告しておいた通り、今年
はこれで仕事納め。というよりは、すでに入っている仕事があるから受注止めというところか
な。どっちにしても、そろそろクリスマスムードになってもいい頃。それにしても、大雨注意報
がやっと解除されたと思ったら、今度は強風警報。夜半過ぎには瞬間最大風速20メートル
くらいと言うから、温室は大丈夫かな。停電しないといいけど・・・。

ゆうべはArts Clubでイベントの企画やコンシエルジュサービスを担当するジジとモーガン
を招待して、カレシと4人で『メリーポピンズ』を観た。去年はひとりだったけど、こういうのは
家族や友だちと一緒に観た方が何倍も楽しいね。前回から1年ちょっとだけど、子役の女の
子(もう高校生)はすごく背が伸びていた。秋から中学生になった男の子はまだ声変わりし
ていなかった。そして今日は午後5時から開演前にサポーター(寄付者より聞こえがいいや)
にいろんな「魔法」の種明かしをしてくれるイベント。ベッドの上に置いた鞄からいろんな物
が出て来て、二つに折れたテーブルが元通りになり、花瓶がきれいに割れ、メリーポピンズ
が飛び、バートが歩いて壁を登って、逆さまに歩いて反対側の壁を歩いて降りて来る。その
仕掛けはいかに?

セットの製作や舞台の設定の責任者が実演しながら「魔法」のからくりを説明した後、参加
者がぞろぞろと舞台へ。セットをよく見るとネジの頭があちこちに見える。工作場から運んで
来て組み立てて、公演が終わったら解体して運び出すから釘は使えないな。裏側を見たら
二階の暖炉のあたりから狭い階段。舞台係の人が「セットの裏は暗いから怖いですよ」。そ
の狭い暗がりで上演中10人以上のクルーが作業をするんだそうな。製作を始めてから開
演の準備が整うまで、フルタイムの大工3人、ペンキ塗り4人を含めて30人近い人たちで
数週間はかかるそうだから、制作費がすごいはずだ。

終わりに芸術総監督のビル・ミラード(演出)に「これから観る子供たちが魔法を楽しめるよ
うに、ここで知ったからくりは誰にも明かしてはいけませんよ」と緘口令を敷かれて、クルー
と入れ替わりに観客を入れる前のロビーに出てワインとスナック。来年もクリスマススペシャ
ルとして上演して欲しいなあ。ワタシ、からくりがわかっていたってまた絶対に観に来るけど。
だってpractically perfect in every way(どこから見てもほとんど完璧)なんだもん。

きちんと感じた?思った?考えた?

2014年12月10日 | 日々の風の吹くまま
いや、すごい雨だった。バンクーバー市内はひと晩で60ミリ降ったとか。日本の集中豪雨
に比べたらどうってことないかもしれないけど、これはちょっと降り過ぎ。大雨警報は解除さ
れたけど、明日もまた雨。でも、週末には日が差すらしい。向こう2週間の予報によるとクリ
スマスは寒波。さてはホワイトクリスマスか・・・はどうやら見込み薄らしいけど。

まずは仕事の仕上げに没頭。社内文書だけど女性が書いたらしく、「きちんと(した)」という
表現がやたらと出て来る。訳し難いんだよねえ、これ。日本語にはこういう話し手と聞き手
の間で予め共通のイメージや理解がないとコミュニケーションがすれ違うような感覚依存型
の言葉が多い。日本人は何を言っているのか直感的に理解できるだろうけど、英語には「き
ちんと」を表現できる微妙にニュアンスの違う単語がいくつもあるから、原文の文脈を深読
みしないことにはどれが当てはまるか判断に困ってしまう。思わずどうしてよりによって翻訳
者になんかなったのかと自分の頭をゴン・・・。

もうひとつ頭を悩ますのがビジネス文書での「感じる」。ここでは忌憚のない意見を求められ
て「~と感じた」を連発して、ときどきは「~と思った/思う」。「~と考える」は一度も出て来
なかった。(一般に、「考える」は「思う」ほどには頻繁に使われないような「感じ」。)まあ「思
う」と「考える」は訳語がいくつかあっても難しくはないけど、「感じる」には参るなあ。だって、
雰囲気的なことについて「感じた」というのはわかるけど、具体的な意見を聞かれて「感じた」
はないんじゃない?それって感想でしょ?きっと感情的で受け身な人なんだろうという印象
を持っちゃうんだけど、ほんとに感じたことで、思ったり、考えたりしたことじゃないの?

まあ、「考える」というのは自分の脳みそを使わないとできないから、たしかにけっこう(人に
よってはめちゃくちゃに)めんどうくさいんだけど、でもこの「考える」という機能があるからこ
そ人間は動物と一線を画していられるんじゃないのかな。でも、「感じた」と言えば、そういう
感じを「受けた」のであって自分で「考えた」のではないと言っているようなもので、批判や責
任を回避できる便利な使いようとも言えるから、一種の「お茶濁し語」なのかな。何だか頭が
こんがらがって来たから、考えるのはやめて『メリーポピンズ』を楽しんで来ようっと・・・。

がんばるしか道はない

2014年12月09日 | 日々の風の吹くまま
ひと晩中すごい嵐だった。土砂降りの雨に風で、何度も目が覚めたくらい。でも、正午過ぎ
に目が覚めたらまぶしいくらいの晴天でびっくり。環境省の天気予報官が「信じられないよう
な嵐の連続」と評した通りの嵐シリーズ第1弾が通過してちょっと一服と言うところか。ノース
ショアでは140ミリも降ったとか。午後の気温は13度で、平年より6、7度は高いから異常
だな。何だかマザーネイチャーが大むくれで世界中の天気が荒れてる感じ。太平洋北西岸
の冬の名物「パイナップル特急」は金魚のふんみたいにぞろぞろつながって来るからやっか
い。今夜は第2弾。低地では土嚢を積んで高潮に備えているそうだけど、お団子はいくつ?

午後いっぱいのんびりネット世界を散策していて、はっと思い出した。仕事!仕事がある!
オフィスを閉める直前(日本時間午後7時過ぎ)に入って来て、反射的にオッケーの返事を
出したもので、ケロッと忘れていた。明日の午後8時が期限だけど、明日は『メリーポピンズ』
を観に行くんだから、午後4時には納品しないと間に合わない。さして難しくなさそうな社内
文書だからいいけど、もしかしてボケの兆候かなあ、これ。知らないよ、ほんと。まあ、がん
ばるしか道はない・・・よね。

例の寄付好き夫の愚痴トピックは、寄付自慢はもういい、きれいごと好きだ、はては子供や
老後の蓄えに費用がかかるのに寄付する余裕などない、といった予想通りの展開。お金を
出しても個人的には評価も感謝もされない「寄付」よりは、受益者の目に見える(感謝される)
「ボランティア」の方が好まれるという感じもする。まあ、羊飼いや狩人が焚き火を囲んで満
天の星を見上げているのと、農耕者が腰を屈め、うつむいて田植えや草取りをしているのと
では、見えるものからして違うから、精神的な視野も違っていてあたりまえで、そこから生ま
れて来た宗教も社会文化も人間観も人間関係のダイナミズムも違うんだから、charityや
philanthropyの概念も違っていてあたりまえ。それでも、世間の目には見えなくても自分に
できることをやって社会の役に立っている人たちは多い。

では、仕事をやっつける前に腹ごしらえ。仔牛のスカロピーニと松茸入りクリームソースの
スパゲティーニと蒸したブロッコリー二のイーニ尽くし。「いいね」としゃれてみるか・・・。

     

そうそう、大晦日までに納品してしまいたい仕事があるのを忘れないようにしないと・・・。

☆サンタクロースは本当にいるのか

2014年12月09日 | 日々の風の吹くまま
 12月8日。クリスマスの季節になると、時間も一気に足を速めるような気がする。ヨーロッパではクリスマス前の4回の日曜日を降臨節とか待誕節とか待降説とか呼んで祝う習慣があるそうだけど、北米はもっぱらクリスマス商戦。最近はアドベントカレンダーを見かけるようになったけど、それもビジネスのうち。アドベントカレンダーは日本でも売られているそうだから、日本のクリスマスシーズンとあまり代わらないかもしれない。ただし、クリスマスイヴは恋人たちのお泊りデートの日なんかじゃないし、クリスマスはフライドチキンとデコレーションケーキを食べる日じゃないから、似ているとしたらそれは12月23日までの話だけど。

キリスト教圏ではクリスマスは復活祭と並ぶ教会の重要な年中行事で、元々はキリストが生まれたとされる12月25日から12日間続く「降誕節」。日本では翌26日にはさっさとクリスマスツリーを片付けてお正月の準備に入るけど、キリスト教の伝統的な習慣では、東方の三賢人が贈り物を持って訪れたという1月6日のEpiphany(公現祭とか主顕節とか呼ばれる)まで飾っておいてもいいことになっている。(お正月は特に何もしない。)このEpiphanyの前夜が「Twelfth Night」(十二夜)と呼ばれて、中世の頃は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをやったらしい。考えるに、大晦日にどんちゃかパーティをやって新年を迎えるのはこの十二夜の習慣が数日シフトしたってことなのかな。

でも、総じて見れば北米もかなりまじめな気持でクリスマスを祝っている方だと思う。この時期に小さい子供を持つ親たちが戦々恐々とするのが「サンタクロースはほんとにいるの?」と言う質問。どんなにサンタさんを信じて疑わなかった子供でもそのサンタの正体を知る時が来る。まあ一種の通過儀礼とも言える素朴な質問なんだけど、答に詰まってしまう親が多いらしい。子供のかわいい夢を壊したくない。かといっていずれはわかることだし・・・。そんなジレンマに答えてくれたのが「Yes, Virginia, there is a Santa Claus」(そう、ヴァージニア、サンタクロースはいるんです)。19世紀の末に8歳の女の子ヴァージニアがニューヨークで発行されていたThe New York Sun(別名The Sun)という新聞の「よろず質問箱」みたいな欄に書き送った「ほんとのことを教えてください。サンタクロースっているんですか?」という質問に対する論説委員フランシス・チャーチの回答の中に出て来る有名な一文。

8歳の子供からの素朴な質問に真摯に答えた姿勢だけでもすごいと思うのに、それを『Is there a Santa Claus?』と題する社説として掲載したのはもっとすごい。「愛や寛大さや献身が存在していて、その豊かさが人生に最高の美と喜びを与えてくれるように、サンタクロースも存在するのだ」と答えたのが、The Sunが休刊するまで50年以上も毎年再掲載されるほど有名になった。子供にやさしく説き聞かせるような口調ではあるけど、読めば読むほど実は大人たちに聞かせたかったんじゃないかと思えて来る。サンタクロースを見た人がいないからと言って存在しないという理屈にはならないし、妖精の姿が見えないからと言ってそこにいないという証拠はない。もし実際に見えるものしか信じないのなら、人は肌に感じることと目に見えることからしか喜びを得られなくなってしまう。この世の本当の真実というものは大人にも子供にも見えない(けれども確かに存在する)。

このあたりは、サンテグジュペリの珠玉の名作『星の王子様』の中で、きつねが王子様に教えた「On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel est invisible pour les yeux」と通じるものがある。フランス語の本しかないので正規の日本語訳はわからないけど、「心で見ないとはっきり見えないよ。ものごとの本質は目には見えないんだよ」と言っている。つまり、サンタクロースはキリスト教的な精神性の象徴として人の心を豊かにする存在だということで、charityに「恵んでやる」という傲慢さが感じられないのはそういう基盤があるからだろうな。星の王子様にそれを教えたきつねはアナログきつねだったんだろうな。「1でなければ0」のデジタルはりねずみには想像すらできない観念だと思うから。

クリスマスシーズンになると、子供や孫はいないし、街の華やかな飾り付けやイルミネーションに感動することもないのに、ワタシは未だに心を弾ませる。仮死状態で生まれたワタシが生きることになったのはクリスチャンの助産婦さんの祈りを神様が聞き届けてくれたからだという思いがあるし、教会が経営する幼稚園で毎日神様に祈り、日曜学校で神様の話を聞いていてキリスト教に感化されたのも事実なんだけど、それだけではなくて、小さい頃に父がどこからか材料を調達して来て飾ってくれたクリスマスツリーの針葉樹の香りや耳を澄まさないと聞こえないかすかな音を立てて点滅するクリスマス電球が「幸せの原風景」としてワタシの心に鮮明に焼き付いているということも大きいと思う。

あれは昭和30年頃の近所ではどの家もクリスマスなどやらなかった時代のことだった。クリスマスにはサンタクロースからのプレゼントもちゃんと届いた。不思議なことに、夏の間デパートでねだっては母に「触らないで見るだけ!」と買ってもらえなかったおもちゃのひとつが枕元に置いてあった。子供心に母がサンタにお願いしてくれたんだろうと思っていたけど、あの太っちょのサンタがどうやって石炭ストーブの細い煙突を通って来たのか不思議でしかたがなかった。しかも夜でも完全に火を消さないからストーブは熱いし、大きなサンタが入れるような大きさでもない。小さな頭で考えあぐねて出した結論は、「お父さんが外でサンタが来るのを待っていて、煙突が細くてすみませんねと言いながらプレゼントを受け取ってくれたんだ、きっと」。

サンタクロースはもうプレゼントを持って来なくなったし、カレシと2人きりの暮らしだけど、それでも毎年いろいそとクリスマスツリーを飾るのが楽しい。考えてみると、ワタシのキリスト教寄りの思想の根底にはあの幸せな子供の原風景があると思う。(父には神道と仏教の他にキリスト教の行事も経験させておいて、大人になったら自分で決めさせようという心積もりもあったらしい。)もっともワタシは戒律だの儀式だの宗派だのという窮屈な「宗教」は性に合わなくて好きになれないので、聖書はほとんど読まないし(旧約聖書は好きだけど)、礼拝にも行かないで(教会は好きだけど)、イエスが山の上で説いた「アガペー」を自分なりの「信仰」の拠りどころにしている。アガペーは目には見えない。そこに本当のサンタクロースがいるという気がする。そう、ヴァージニア、サンタクロースは見た人がいなくてもちゃんといるの。あなたの心の中にね。


外国帰りは危険分子ってことなの?

2014年12月08日 | 日々の風の吹くまま
またも大雨注意報。日曜日のきのうは雨が「休み」だったおかげで買い出しが無事に済ん
だ。だって、雨の中を重たい買い物袋をいくつも家に運び込むのはタイヘン。Save-Onでは
『Feliz Navidad』がかかっていて、玉ねぎを積んでいたお兄ちゃんが歌い掛けて来たので、
一緒にフェリスナビダっと5秒間デュエット。日曜日の夜のシフトは楽しくないとね。新しいフ
リーザー用にとポットロースト用牛肉の塊やバックリブなど、肉や魚をふだん買うときの倍の
量で盛大に仕入れ。それでも帰って入れてみたら、たったこれだけなの?という量だったの
でびっくり。空気を冷凍するのはバカくさいので、とりあえず水を入れた容器をいくつも入れ
ておいたけど。

Japan Timesに「海外での就労や教育は国家機密の取り扱いにマイナス」という見出しが
あってびっくり。正規の手続きで開示されたメモだそうだけど、特別秘密保護法を管轄する
内閣調査室が機密取り扱いの適正評価で学歴や職歴も調査しないと危険だと言って回っ
ていたとかで、その理由と言うのが「海外の学校や国内の外国人学校で教育を受けた経験
や外国企業での勤務経験は外国への特別な感情を醸成させる契機となり、外国から働き
掛けを受けて感化されやすく、秘密を自発的に漏えいする恐れが存在する」からなんだって。
タイヘンだ、こりゃ。

だって、アベクンも麻生クンも留学経験者。小泉新次郎クンもそうだし、皇族だってそうだ。
特に若い議員や官僚には国際化の掛け声で留学して来たのが大勢いるんじゃないかと思
うけど、この人たちは「外国からの働きかけに感化されて国家機密を漏洩しかねない」危険
分子、つまり潜在的な外国のスパイとして扱われるわけか。クラブでホステスのバイトをし
た女子アナの卵が「清らかじゃない」からと内定を取り消すというのとは比べものにならない
レベルのタイヘン。

閣僚や高級官僚は日常的に国家機密を知る立場にあるけど、その総元締めのアベクンは
どうするのかな。特に口の軽い麻生クンは辞職させないとヤバいかもね。そのうちに英語が
達者で外国通の政治家や官僚がいなくなるかもしれないけど、そのとき世界での日本の国
益はどうなるの?まあ、鎖国すると言うんだったら、それでもいいだろうけど。あ、鎖国した
ら海外に行けないから外国に感化(汚染)される心配がなくなるし、そうなれば英語も不要
になるかな。そうしたら翻訳者も不要になったりして・・・タイヘンだ、こりゃ。

サンタクロースは本当にいるの?

2014年12月07日 | 日々の風の吹くまま
長くなるのを承知の上で、クリスマスに因んだ話をもうひとつ。19世紀末のニューヨークで
発行されていたThe New York Sun(別名The Sun)という新聞のQuestion and Answer
欄に、8歳の女の子ヴァージニアちゃんが「ほんとのことを教えてください。サンタクロースっ
ているんですか?」という質問の手紙を送った。(Wikipediaの写真を見ると、8歳にしては
しっかりした筆跡。)その手紙に対して論説委員のフランシス・チャーチが返事を書いて、『Is
there a Santa Claus?』と題する社説として掲載して有名になり、休刊するまで50年以上も
毎年再掲載され続けたという。

8歳の子供の素朴な質問に真摯に答えたのもすごいけど、それを社説として掲載したのは
もっとすごいと思う。じっくり読んでみると、子供に説き聞かせるような口調ではあるけど、実
は大人へのメッセージだったんじゃないかと思えて来る。日本語訳がいくつかあるようだか
ら、ここではいちいち訳さないけど、知らない人はいない「Yes, Virginia, there is a Santa
Claus」(そう、ヴァージニア、サンタクロースはいるんです)と言う件の後に、「愛や寛大さや
献身が存在して、その豊かさが人生に最高の美と喜びを与えてくれる」ようにサンタクロー
スは存在するのだという主旨なのは間違いない。

サンタクロースを見た人はいないけど、それは存在しないという証拠にはならない。妖精を
見たことがないからと言って、そこにいないという証拠はない。目に見えるものしか信じない
のなら、人は感覚と視覚でしか喜びを得ることができなくなる。この世の本当の真実というも
のは大人にも子供にも見えないものだ(けれども確かに存在する)。まさにサンテグジュペリ
の『星の王子様』で狐が王子様に教えた「On ne voit bien qu'avec le coeur. L'essentiel
est invisible pour les yeux」(心で見ないとちゃんと見えない。本質的なことは目には見え
ないんだよ)に通じる気がする。(アナログ狐だな・・・。)

この年になってもクリスマスの季節になるとワタシは心が弾む。華やかな飾り付けやイルミ
ネーションは別に、仮死で生まれて生き延びたのはクリスチャンのお産婆さんの祈りを神様
が聞き届けてくれたからで、子供心に教会付属の幼稚園でそのオーラを感じたからだろうと
思う。小さい頃に父がどこからか材料を調達して来て飾ってくれたクリスマスツリーは、針葉
樹の香りや耳を澄まさないと聞こえないほどかすかな音を立てて点滅するクリスマスライト
と共にしっかりとワタシの原風景に焼きついている。

昭和30年頃の近所のどの家もクリスマスなどやらなかった時代のことだけど、サンタから
のプレゼントもちゃんと届いた。夏の間デパートでおもちゃをねだるたびに母に「触らないで
見るだけ!」と叱られていた、その中のひとつが奇跡的に枕元にあった。あのメタボ体型の
サンタが石炭ストーブの細い煙突を通れるということ自体が不可思議で、考えあぐねて出し
た結論が、「お父さんが外でサンタを待っていて、煙突が細くてすみませんと言ってプレゼン
トを受け取ってくれた」というものだった。

そんな子供の原風景からキリスト教寄りの思考が生まれたんだと思うけど、ワタシは「宗教」
は窮屈で好きではないので、キリストが説いた「アガペー」を自分なりに「信仰」の拠りどころ
にしている。アガペーは目には見えない。このあたりに「サンタクロース」がいるような気が
するんだけど、こと信仰となると手短に語れるものではないので・・・。

クリスマスの12日のプレゼントは

2014年12月07日 | 日々の風の吹くまま
カレシがレッスンのとき以外はほぼつけっぱなしのラジオ。今の時期は賛美歌からクラシッ
クからポップスアルバムまで、ほぼ1日クリスマスムード。(幸い?『ジングルベル』はそんな
にかからない。)懐メロも含めると半端じゃない数の歌手が半端じゃない数のアルバムを出
して来ているから、ひとつの歌をいろんな歌手で聴き比べるとけっこう飽きない。へえ、この
人がこんな風に歌えるんだ~と見直すようなものもあるし、いかにもめんどくさそうに歌って
いるのもある。

ワタシはクリスマスが大好きだし、賛美歌も好きだから、クリスマスキャロルも大好き。一番
好きなのは『O Holy Night』(日本語題は不明)。でも、16世紀から伝わる『The Twelve
Days of Christmas』(クリスマスの12日)はつい一緒に歌ってしまう逸品。元々クリスマス
はキリストが生まれたとされる12月25日から12日間続く「節」。日本では翌26日にはクリ
スマスツリーを片付けてしまうけど、伝統的にはツリーを片付けるのは東方の三賢人が訪
れたという1月6日のEpiphany(公現祭)の前夜。中世の頃はこの十二夜に飲めや歌えの
どんちゃん騒ぎをやったらしくて、『クリスマスの12日』はその遊び歌だったという話。

クリスマスの最初の日に愛しい人がくれたプレゼントは梨の木の中のヤマウズラ1羽。2日
目はキジバト2羽とヤマウズラ1羽。3日目は雌鶏3羽とキジバト2羽とヤマウズラ1羽、4日
目は呼子鳥4羽と雌鶏3羽とキジバト2羽とヤマウズラ1羽・・・という具合にプレゼントが雪
だるま式に増えて行って、誰かの計算によると12日間のプレゼントは合計364個!おお、
愛しい人のこの深情けよ。もっとも鳥ばっかりもらってどうするんだと思うけど、後のガチョウ
や白鳥の他に金の指輪とか貴婦人や紳士、笛吹きやドラマーが加わってにぎやかになる。

スタン・フリバーグの現代版の替え歌には何日目だったかに「ジャパニーズトランジスタラジ
オ」が出て来て、20世紀らしくちょっと実用的。このクリスマスの12日間のプレゼントをまじ
めにあげたらいくらかかるかを過去30年毎年試算して発表している銀行がアメリカにあっ
て、2014年は総額にして116,273米ドル(約1400万円)。もちろんお金で愛情を計る
のは熱烈に恋している人にはとんでもないことだけど、数字が基本条件の日本の婚活女子
だったらどうなんだろうな。愛されてるっ!とウルウルする・・・かな?


主婦業はたまにやるからタイヘン?

2014年12月06日 | 日々の風の吹くまま
正午過ぎまでゆっくりと寝て、朝食後は大車輪。「ときどき主婦」のワタシが滞った家事を少
しまとめてやろうとすれば大車輪になっちゃうんだけど、まずは大洗濯。ランドリーシュート
が一杯でドアを押し開けて溢れそうなときは待ったなしの潮時。白物、色物、水物と、今日
は3ラウンド。第1ラウンドが回っている間にカレシが大好きなきゅうりのしょうが醤油漬け。
ハワイのしょうがを薄くスライスして水と醤油と米酢少々で煮立てて、冷めたら乱切りきゅう
りと一緒にピクルスの瓶に詰める。どっちみち発酵し始める前に食べ終わってしまうから、
煮沸の手間がかからない。

洗濯2ラウンド目の作業はメンマ作り。茹でたけのこをスライスして、醤油とオイスターソー
スと唐辛子で煮て、冷めたら瓶に詰めてごま油を注いでおしまい。洗濯しながらの「家事」
はけっこう楽々。洗い上がったノーアイロンのシャツはハンガーにかけて、後はドライヤーに
どさっと放り込んでタイマーをセット。こんな簡単なこと、何でもうちょっとまめにやらないん
だろう?)(手伝うつもりはないけど)野次馬しに来たカレシが「今日のメニューは何?」 忙
しくてまだ決めてないと言ったら、「あのさぁ、久しぶりにスシもいいんじゃない?」はいはい、
今日はスシね。

洗濯3ラウンド目で、ちらし寿司の材料集め。新しいフリーザーに振り分けるものを整理す
る必要があるしと、上までほぼ一杯のフリーザーを底までかき回したら、いろんなものが見
つかったからおもしろい。小分けのネタを必要なだけ出して、適度に解凍するのを待つ間、
乾いた洗濯物をバスケットに出して、第2ラウンドの色ものの乾燥。冷凍しておいたスシ飯
がなぜか見つからなかったので、米を2合炊いて、スシ酢をぶちまけて、しゃもじでざくざく。
大根をおろして、カレシが大好きなハマグリの吸い物の準備が最後のステップ・・・。

     

フリーザーからいろんなネタが出て来たので、今日はちょっと豪華な感じ。お皿の中央にご
飯を少し広げて、縁に沿ってキハダ、サーモン、アルバコア、タコ、マテ貝、イカで真ん中は
トビコとイクラ。お吸い物はごく薄めの昆布としょうゆの出汁に加熱冷凍のはまぐりとねぎ。
ハマグリのうまみがたっぷり。それにしても、本来そういうものなのか、それともたまにしか
やらないからなのか知らないけど、主婦業ってほんっとにタイヘン。仕事をしてる方がよっ
ぽど楽ちんだぁ・・・。

新しい貯蔵フリーザーが到着

2014年12月05日 | 日々の風の吹くまま
ゲートのチャイムの音で目が覚めた。まだ正午前なのにずい分しつこく鳴らしている。きのう
買ったフリーザーが来ちゃったらしい。はっきり「午後」と指定して、レシートにもちゃんと書い
てあるのに、もうっ。カレシが飛び起きて出て行って、玄関の中に運び込んでもらったけど、
「んっとに時計が読めないヤツばっかり」とカレシ。でもまあそんなに早起きしたわけじゃな
いじゃないの・・・。

玄関から2人がかりでえっちらおっちらベースメントの奥の部屋に運んで、段ボールとスタイ
ロフォームの包装材をはがすのがひと仕事。床がカーペットだから下に固いものが要るとい
うことで、納戸を探したら(改装前の)古いキッチンキャビネットの棚板が見つかった。カウン
ターの下のキャビネットなのでサイズはぴったり。戸棚のアコーディオンドアをぎりぎり開け
られる位置に置いて、電源コードはフリーザーの後ろを回って、ドアの下を潜らせて何とか
奥の壁のコンセントまで届いた。プラグを差し込んで運転開始。

     

チェスト型フリーザーはかなりの家に普通にある。今セカンドキッチンにある約200Lのは
小さいほうから3番目。新しいのは約145L。一番小さいのは約100L。当初は300Lのが
欲しかったけど置き場所がなくてアウト。最近よく見る縦型には600Lという大型冷蔵庫並
みに大きいものもある。(ちなみに我が家には冷蔵庫が680L、125L(野菜専用)、48L
(園芸用)の3つ。)大量の食材を貯蔵するので、停電や故障で解凍してしまったときのため
の損害保険まである。日本でも売っているのかとなとググッたら、ある、ある。容量145Lの
ものだと約3万円(うちのは約2万2千円)で、デフレの日本では高いのかもしれないけど、
共働き家庭にとっては三種の神器のひとつになっていいくらい重宝なもの。住居の大きさや
生活習慣にもよるけど、もっと普及していいものだと思うな。

ま、とにかくフリーザー2つで約350Lになって、これに大きい冷蔵庫の冷凍庫(ランチ用食
材が主)を合わせるとかなりの貯蔵容量ができた。カレシ菜園の大豊作を冷凍保存できるし、
丸ごとの鶏や鴨、珍しいご馳走の食材をセールのときに買っておけるし、何よりもクリスマス
と年末年始のご馳走の食材をど~んと買えるなあ。考えただけでもう1キロくらい太ったか
も・・・。

今日もまた90分レース

2014年12月04日 | 日々の風の吹くまま
カレシを英語教室に送り出して、大急ぎでカレンダーとクリスマスカードを日本のお客さんに
送る準備をして、曇って来る空模様を気にしつつ地下鉄駅までてくてく。気温は5度。まずは
ブロードウェイ駅まで直行。貯蔵用フリーザーをもうひとつ買うことになって、在庫があるの
がわかっているCanadian Tireに行くつもりだったのが、思い立ってLondon Drugsへ。ド
ラッグストアとして始まったのが今では何でも売ってる感じ。奥の小型家電のセクションに容
量145リットルのフリーザーがあって、予定した店のより50ドル安い。どっちも無名ブランド
なら安い方がいいやとあっさり決定。差額で配達料をカバーできておつりが来た。

フリーザーを買ったら、今度は後ろ側のWhole Foods。普段使う海塩(これはピンク色)を
買って、ついでにセルグリも。底が粘土質の塩田で作るんだそうで、その名の通り灰色。後
は思い立って分厚いアヒまぐろと切り分けて冷凍したハドック(北大西洋のコダラ)も買って、
郵便局に行くべくまた地下鉄。オークリッジ駅に着いた時点で切符の有効期限は残り35分。
モール二階の郵便局でカレンダーを出して、クリスマス切手を買って、エスカレータのすぐ
下にあるCrate & Barrelに寄りたいのをガマンして、スーパーで1点だけ買い物。まだ時間
があるのでSourceに回って30年近く使っているTexas Instrumentsの電卓用のボタン電
池を調達。古くても使い慣れているので手放せない。

     

切符の残り時間はあと7分。急ぎ足で駅に駆け込んで、今日も5分の余裕でセーフ。ここで
期限切れになって家まで歩いても30分かからないんだけど、雨がぽつぽつ。電車を待って
入る間に家に電話したら、教室から帰ったばかりのカレシが次の駅まで迎えに来てくれた。
東京みたいに地下鉄駅の階段を上がったり降りたりして、いい運動。気温は低いけど大汗
をかいた。あんまり急いで出かけて夕食の食材を出していなかったので、急遽買って来た
アヒをたたき風にして、マイクログリーンをぱらぱら。即製ソースはわさびマヨとおろししょう
が入り塩ヨーグルト。ズッキーニ入りクスクスはカボス味。オクラを蒸して、何とも国籍不明
のメニュー。

     

クリスマス前にArts Clubの『A Twisted Christmas Carol』(ディケンズの名作を即興芝居
仕立てにしたもの)を観に行くつもりだったのが、もう連日ほぼ満席でやっとボクシングデイ
(26日)に席が取れた。おまけにまだ休み宣言してなかったところから年明け初っ端が期限
の仕事が入ったりして、12月のカレンダーが忙しくなって来た。あと何回くらい90分レース
をやるのかな。こうなったらまるで一種のスポーツ・・・。

     


いい事をしたら気持がいいよね

2014年12月03日 | 日々の風の吹くまま
午前11時半に目覚ましが鳴って、飛び起きて5分後にシーラとヴァルが掃除道具を持って
到着。ヴァルがリビングを覗いて「あら、まだツリーを飾ってない」。それを聞いたカレシが
「あまり急がせるなよ」。12月の会話ってみんな何となくせわしないなあ。それでなくても
「To-do list(やる事リスト)」がどんどん長くなるのに。ま、お客さんには来週金曜日で「本年
の営業は終了」と予告したので、うまく行けばこのまま仕事なしで休み・・・。

小町横町の寄付好き夫のその後を読んでいたら、「ボランティアのように時間を割かずに、
寄付でいい事をしたという満足感を得ている」というコメント。時間を割くボランティアは金だ
けの寄付より偉いと言いたいのかなあ。ボランティアと寄付は、時間を寄付するかお金をボ
ランティアするかの違いだけで、社会貢献という車の両輪だと思ってたけど、日本には寄付
は汗をかかずに自己満足を得るもの(偽善)という見方もあるってことか。まあ、日本人は昔
からお金は汚い、労働は尊いと考えているらしいけど、どんな立派な事業もお金がなけれ
ばボランティアがどれだけいたって回らないだろうに。

どうも他人の幸せ感や満足を否定したがる人が多いなあと思ってはいたけど、そういう人で
自身は幸せと言う人にはお目にかかったことがない。みんな不幸せ、不満足だけど、自分
の手で幸せや満足を得る努力はせずに他人の善行を「自己満足」とこき下ろすことで自己
評価を嵩上げしている感じ。同じように、お金を汚いものだという人は、あんがいお金を持っ
ていないか、その価値がわからない人なんじゃないかと思うな。否定的な発言にはけっこう
その人自身のダークな心理が反映されていたりするから。

「いい事」をしたら何であっても気持がいいもんだよ。自然に笑顔になる。見返りやお礼のあ
るなしはこの際どうでもいい。喜ぶ人がいるなら、たとえそれが会うことのない見ず知らずの
人たちであっても、ワタシは幸せ倍増。でも、日本の伝統的な「贈答文化」ではそうも行かな
いのかな。「もらったらお返しをしなければ」を裏返すと「あげたらお返しをされるべき」となる
わけで、小町横町でも「お返しがない(少ない)」と愚痴る人がいつもいる。均一を要求する
社会の中で「認められたい」感の強い人が多いのかもしれないとしても、やっぱりどこかで
人間観が根本的に違っているような気がする。どこが違うと聞かれても困るけど・・・。