リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

なぜいい夢は忘れるのに悪い夢は記憶に残るのか

2024年06月05日 | 日々の風の吹くまま
6月4日(火曜日)。🌧☁⛅。何だか夢を見ていてふっと目が覚めたら、うはあ、もう9時!ああ、寝坊しちゃった。きのう、カレシが毎日のウォーキングの距離をモール5周に増やして、その分日曜日を休みにしようと提案して来て、さっそく実行したんだけど、アレルギーのせいで疲労感が出て来ていたところだったから、あんがい思ったより疲れたのかもしれないな。何たって、日本では「後期高齢者」(older seniorと言うのかな)と言われる年代だからなあ。手指の関節炎はいつも痛いし、去年旅行中に傷めた右肩も(重いショッピングトロリーを引っ張るせいか)未だに治らないで疼いているし、トートバッグで買い物を運ぶとその夜は寝てから股関節や膝の痛みで目が覚めるしで、本人がそう思っていなくても加齢現象は着実に進むってことか。ま、それが生きとし生けるものなんだと思えば肩をすくめるしかないけど。

起きた時に夢を見ていたのは久しぶりな感じがするけど、どんな夢を見ていたのかは目が覚めたとたんに忘れてしまったから、悪い夢ではなかったと思う。それにしても、いい夢や楽しい夢はいつもあっさり忘れてしまうのに、悪い夢や怖い夢はいつまでも覚えているのはどうしてなんだろうな。ワタシの場合はもう四半世紀近く前のことだけど、働き過ぎでうつ病になりかけていたところへカレシの(たぶん)男性更年期障害によるメンタルの不調が重なって、「家庭生活」はがたがたどころかまるで戦場という状態が2年くらい続いた間に繰り返し見た怖い夢はその中の決定的なシーンが今でも鮮明に記憶に残っている。あの頃は夢の中で眠りに落ちて夢を見ていたこともあったから、もしかしたら精神的な危機の状態だったのかもしれない。そんな中でも仕事だけは必死で「平常通り営業」していられたのは奇跡に近いんじゃないかな。

あの頃繰り返し見たのは、「さっきまで一緒にいたカレシがいつの間にか姿を消していて、必死になって探し回った」夢と、「得体の知れない人物や動物が無理やりドアから入って来ようとするのを必死で押し返した」夢。前者の場合は悪い夢で、見るたびにセッティングは違っていたけど、特に記憶に焼き付いているのは「空っぽの椅子」で、1脚だけのときも2脚並んでいたときもあった。後者は怖い夢の範疇に入るけど、いつも何とか怪物を押し返してドアを閉めて、さらに押し込もうとして来るのを必死でドアを押さえているところで目が覚めたものだった。どっちも夢の分析の専門家に聞いたらどういう解釈になるんだろう。記憶は消えないけど、今では古いアルバムの色褪せた写真のようなもので、ああ、そういう時があったんだなという程度で、もう特別な感情はわいて来ないな。

まあ、地獄を見たと言えばそういうことだったんだろうけど、それでも壊されそうになった自分を守り通すことができて、思いがけず早期リタイアすることになったカレシがメンタルの不調から抜け出して、ワタシもうつ病が解消して、落ち着いた「家庭」が戻って来てからは悪い夢も怖い夢も見ることはなくなって、近くのカレッジで文芸や美術の講座に参加することで自分を土台から立て直せたのは、やっぱり奇跡としか言いようがないかな。文芸は新しい自分を長く見失っていた夢に導いてくれたし、絵画は(箸にも棒にもかからないへたくそであるにもかかわらず)閉じ込められていた精神性を解放してくれたし、今はいい夢を見るときなんだと思うから、白日夢でも何でも思う存分たくさん見たいもんだね。(また絵をかきたくなった・・・)