リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

タラレバって、おいしいの?

2013年12月01日 | 日々の風の吹くまま
今日は晴れ。でも、案の定トラックのバッテリが上がっていて、どこへも行かない日。まあ、
ジャンプスタートさせれば出かけられるんだけど、めんどうくさくなったらしい。最初に「園芸
の土を買いにひとっ走り郊外まで行こう」と提案したときに、どたチェンしないで行っていれ
ばよかったのにねえ。でも、「まだ大丈夫」と希望的観測でいるうちに大丈夫じゃなくなって、
よけいなエネルギーを使う羽目になるのがカレシの流儀で、そこで「ちょっと走らせておいた
ら、上がらなかったのになあ」となる。

こういう思考を最近の日本語では「タラレバ」というらしい。(初めて聞いたときは食べ物かと
思ってしまった。)目新しくてまだ正確な意味がわかったとは言えないけど、「もしも○○だっ
たら(○○していれば)」というのは、期待外れの結果(失敗)の原因を過去に存在しなかっ
た状況に求める場合に使うらしい。でも、「○○」と具体的な行動に言及しているのは、そう
いうオプションがあることを知っていたということで、知っていてやらなかったことを悔やんで
いるということになるのかな。まあ、後悔先に立たずというけどね。

未来について「もしも○○したら(すれば)」と言う場合は、実際にはその「○○」はあくまでも
仮定であって、実際には(たぶん)実行しないという、一種のwishful thinking(希望的観測)
のような感じがする。夢見る夢子ちゃんのせりふみたいだけど、行動や状況の主体は必ず
しも夢子ちゃん本人とは限らないらしい。というよりは、「誰それ(何々)が」という枕が付いて
いることも多いような印象で、もろに他力本願思考だけど、初めから責任の所在を自分以
外に設定してあるから、結果が期待通りでなくても特にがっかりはしないのかもしれない。

過去にしても、未来にしても、仮定が前提になっているわけで、自分あるいは誰かが実際に
○○をやって期待外れの結果になるよりは、やらないでがっかりする方が心理的に楽だと
いう思考のようにも取れなくはないな。それにしても、すでにタラレバ(な)話とかタラレバ論
という言葉も派生していて、いつも日本語の「省略力」はすごいと感じるけど、この「タラレバ」
は近年稀な傑作だと思う。「○○だったら」、「○○すれば」は人類共通の思考だから、その
うち翻訳原稿に出て来ても英語になりやすいかな。あんがい「tarareba thinking」として輸
出されたりして・・・。