リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

チャリティは人のためならず

2013年12月07日 | 日々の風の吹くまま
午前3時過ぎの温室の温度がマイナス1度。慌てたカレシが2つ目のヒーターを入れたらブ
レーカーが落ちた。絶対に過負荷になるから、家の外のコンセントを使えば?と言ったのに、
「こんなに下がると思わなかった」とふくれっつらのカレシ。でも、毎日天気チャンネルを見
てたじゃないの。午前3時のひと騒動は近所迷惑もいいところ。明け方の最低気温はマイナ
ス7度。今日は1日中氷点下。電気代、すごいことになりそう・・・。

仕事に精を出す前に、新聞巡りのついでに小町横丁にも足を伸ばしたら、金持の奥さんが
サークル活動で積極的に奉仕して人望を集めているのが気に入らないようで、「(お金も時
間もなくて)できない人もいるんだから、もっと空気を読んでほしい」と言っている人がいた。
「空気を読め」って、お金と時間の余裕があることを(それがない自分に)見せつけるなとい
うことだったら、ただの僻み、妬み。「強引にみんな同じ枠にはめたがる」という書き込みが
あったけど、強引に他人をはめ込みたい「枠」というのは「自分」と同じ小さな枠。ま、自分を
引き上げる努力よりも、上にいる人を引っ張り降ろす方が楽なのは確かだけど・・・。

バブル崩壊後の長い閉塞感やゆとり教育の弊害というよりは、「人は人、自分は自分」とい
う個人を主体とする思想は本質的に日本の風土には馴染まないのかもしれないな。人間は
それぞれに違っていて当然なのに、自分が他人と同じでない(他人が自分と同じでない)と
不安でしかたがないということか。そういう人に自分に自信を持て、自己を肯定しなさいとい
うのは簡単だけど、そもそも「自己」の芽を集団の和を乱す悪として摘んでしまう社会では、
自信も自己肯定もないかな。

個人を主体とする思想がなければ、その個人の「charity」(慈善心、慈悲心、博愛精神、親
切心、思いやり等々)に基づくボランティア活動も社会奉仕も寄付も、お金も時間もなくてで
きない(と思っている)人に不平等や不公平を意識させる嫌味な行為でしかないのかもしれ
ない。(金品の)「お返し」とか(儀礼的な)「感謝」いう形のある見返りを求める社会では、人
の役に立たときのうれしさや天国/極楽浄土に行けるという確信を見返りとして自分にでき
ることをするという考えがないのかもしれないな。まあ、日本には日本の風土から生まれた
思想があって当然だけど、外から見るとちょっと生き難そうな・・・。