読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

予告殺人 アガサ・クリスティー 訳:田村隆一 ハヤカワ文庫

2010-10-20 22:49:48 | 読んだ
NHKで、アガサ・クリスティーの特集を放映していた。
多分次の8作だったと思う

「スリーピングマーダー」
「動く指」
「親指のうずき」
「シタフォードの謎」
「バートラム・ホテルにて」
「無実はさいなむ」
「ゼロ時間へ」
「復讐の女神」

いわゆる「グラナダ」のシリーズで、実はこの前に4作ある。

『書斎の死体』
『牧師館の殺人』
『パディントン発4時50分』
『予告殺人』

このうち前2作はTUTAYAからレンタルしてみた。

で、本屋に行ったら「予告殺人」があって、では映像でも見ていないので、これを読んでみようかと思って買ったのである。

外国モノというのは苦手である。
一番は登場人物がよくわからないのである。
なぜかといえば、名前、なのである。

例えば、ミス・マープルは時々「ジェーン」と表記される。
で、あれ「ジェーン」て誰だっけ?と思うのである。

というところがあるのだが、それを補って余りある「面白さ」があれば読み続けることが出来る。
幸いにも、ミス・マープルシリーズは映像での確認をしているので、ある程度想像ができる。

さて、この予告殺人は、地方新聞に殺人予告の広告がなされ、そのとおり殺人があるというのが発端である。
で、なんとなく犯人は想像できる。
というのは、物語の筋とか流れではなく、その「書き方」からである。

だから、その犯人と思しき人物が、何故どのように犯行を行ったかというのはわからない。

私は、推理小説というのは謎解きがその小説の最大の焦点だとは思わない。
なぜなら、小説に書かれたことから犯人を正確にあぶり出し、更にその動機とか方法を、読者が正確に再現することは不可能だからである。

したがって、著者と読者の対決、といった構図はおかしいと思う。

謎解きによって「ああそうだったの」となり、そのそうだったの感が納得できるかどうかが推理小説の醍醐味ではないだろうか。

そういう意味でアガサ・クリスティーの小説は、読者をあっといわせようという企みが強いような気がするのである。
しかし、企みが強くても、うまくだまされちゃった、というのもひとつの強みであり、許しちゃったりするのである。

というわけで、今回の結末は「ああ、やっぱりそうだったの」というものと「それはないんじゃないの」という感じが入り交ざった。

それでも面白ければいいのだ!

で、いいんじゃないか。

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