読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

草を刈る娘 石坂洋次郎 現代日本の文学Ⅱ-6 学研

2007-09-22 22:32:31 | 読んだ
なんだか「なごむ」ようなあるいは「落ち着いた」更には「ほのぼの」したものが読みたくなったのである。

それで本棚を眺めていると「現代日本の文学」という全集から「石坂洋次郎」という名前を見つけた。

小学校6年生のとき、テレビドラマで「青い山脈」を見て文庫本を買って読んで以来、石坂洋次郎は大人の小説の入門書となった。
中学・高校時代はよく読んだのだが、その後はあまり読まなくなった。

で、ちょいと読んでみようかと思ったのである。
しかも眠る前に・・・ということで短編の「草を刈る娘」を選んだ。

物語は青森県の(というより津軽のといったほうがいいのか)岩木山裾野が舞台である。
時代は終戦直後。
岩木山の裾野の秋になると近隣の百姓(という表現である。百姓という表現に欲分からない規制がかかったのはいつからだろう)たちは1年分の馬草を10日から2週間くらい刈りに来る。
その百姓たちのグループはそれぞれ仮小屋を建てて滞在するのである。

そのグループの一つに18歳のモヨ子がいる。
そしてモヨ子は他のグループの時造と見合いのようなことをさせられる。

モヨ子は時造に自分の理想を語る。
「(前略)おら、亭主に従ってうんと働くだ。子供もジッパリ生むだ。そして年寄りになったならな、おら炉端さ坐って煙草のむだ。女子持ちの細い金の煙管でな。それがら金の小っちゃな杯でドブロクものむだよ。なあんと結構な身分でねえが。お前、どう思うがや・・・」

あるいはこんなこともいう。
「お前、産児制限だべ。おら、反対だや。おら、腹の中の子供みんな生み上げてしもうて、カラカラと枯びた、気持ちのいい年寄りになりてえだよ。女子の気持ちって、そういうものだや。(後略)」

時造は「農家の多角経営」を理想に語る。

またモヨ子はこんなことも考える。
『世間の大人たちは、夫や妻や、たくさんの子供や孫や、自分が中心で動いている。のっ引きならないその日その日の暮らしなど、目に見えない、幾筋もの丈夫な糸で、この世に強く結びつけられているのだ。どんな魔物もそういう人々をさらっていくことが出来ない。
 それに較べて、まだ大人になりきれない生娘など、はかなくたよりない存在はないのだ。未来に対する淡い希望のほかには、何一つ、彼女を大地に結びつけておく絆がないのだ。』


モヨ子は時造と結婚を決意する。
そして
「――おばあ、一つだけ教せれ。おら、このごろ、夜中に目が覚めると、胸がつまってな、ひとりで泣きたくなったりするだが、なんのためだべや?」
「そらあな、お前の身体が、そろそろ子供を生みたくって来ているからだや」
「おお・・・おお・・・」


なんというかすごく単純明快で人の生き方やあり方を示している、と思ったのである。
当時と比較して今は、ものの考え方も複雑化し理論化している、あるいは生活環境も向上し便利になり富んでいるといえる。
そういう形を手に入れて、失ったものが、この小説で描かれているような気がするのである。

この小説を今発表したならば女性蔑視という声が大きくあがりそうである。
しかし、男性や女性を意識したことによって、生物としての日本人は滅びる傾向になったのではないか。

人として社会としての「幸福」というのはどういうものなのだろうか、改めて考えさせられたのであった。

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