夏の読物にはどうかと思ったが、池波正太郎の梅安シリーズを読み返した。
今回は、第1巻は以前書いたので、今回は第2巻「梅安蟻地獄」と第3巻「梅安最合傘」である。
池波正太郎のファンではあるが、この仕掛人ものは好みでなかった。だから第3巻までしか持っておらず、それを読み終えて、第4巻を買ってしまった。
時がたつと、同じ物語なのに受け止め方が変わって、面白くなったり、あれ何で昔はあんなに感動したりしたんだろう、なんて思ったりする。
これだから読書はやめられない。
若いときに出会ってもダメなものがあり、若いときだからこそ出会うものがある。
この仕掛人シリーズは前者に該当する。
仕掛人シリーズの主人公は「藤枝梅安」針医者であるが、陰では金をもらって人殺しをする。
つまり、正業としての針医者は金をもらって人を生かし、その針を使って陰では人を殺すという、矛盾、を行っているのである。
「人は良いことをしながら、悪いことをしている」というのがこの物語のテーマである。
確かに人は矛盾だらけである。
そしてその矛盾に気づいて生きているかどうかが、その人の人生を幅広く底深くするのではないかと思っているのだが、どうだろう。
矛盾を許せない或いは認めないということは「建前」の世界であり、建前だけで生きていけるのなら、どんなにか楽であろう。
さて、池波正太郎のシリーズものといえば、鬼平犯科帳(オール読物:文藝春秋社)剣客商売(小説新潮:新潮社)そしてこの仕掛人藤枝梅安(小説現代:講談社)となるのだが、それぞれの主人公の違いが面白い。
鬼平は長谷川平蔵、幕府役人:火付盗賊改め方である。
剣客商売は秋山小兵衛、民間人であるが息子大治郎の嫁三冬の父は幕府老中、田沼意次である。
そして、藤枝梅安は民間人・針医者であり、闇の世界に生きているので、いわゆる「お上」とは縁がない。
また、長谷川平蔵や秋山小兵衛は、自らの倫理観により、人を斬る。そしてその倫理観は「正義」である。
しかし、梅安は、倫理観・正義感を持っているが、金で請け負えば人を殺す。
この辺が、藤枝梅安シリーズを暗くしている原因ではないか。
確かに、仕掛にあう人は「悪人」ではあるが、梅安にとっては直接の殺害動機はないのだ。だから時には、それほどでもない人を仕掛けたりする。(もっともその落とし前はきっちりつけるが)
鬼平や小兵衛が、人を斬っても、世間は喝采をするが、梅安は表立って喝采を受けることがない。その辺の「屈折感」がたまらない。
物語にはでてはこないが、梅安は達成感をおおきく表すことができない「苛立ち」みたいなものがあるのではないだろうか。
その「苛立ち」を抑えるために、一生懸命針治療に励んだりする。
或いは、ひょんなことから知り合いとなった、同じ仕掛人の彦次郎と酒を酌み交わしたり、いきつけの料亭「井筒」の女中おもんとの情交だったりするのではないか。
鬼平や小兵衛は、達成感を素直に表すことができ、仲間と「慰労会」のようなものができるが、梅安は仕掛のあと深く沈むのである。仕掛までが充実しているのであって、そのあとにやってくるのは「疲労感」と「虚しさ」なのではないだろうか。
その辺が昔若いときには、何とはなしに「イヤ」だったんだろう。
今は、その「疲労感」や「虚しさ」になんだか共鳴してしまうのである。
この続きは、第4巻を読み終えてからまたしようと思う。
今回は、第1巻は以前書いたので、今回は第2巻「梅安蟻地獄」と第3巻「梅安最合傘」である。
池波正太郎のファンではあるが、この仕掛人ものは好みでなかった。だから第3巻までしか持っておらず、それを読み終えて、第4巻を買ってしまった。
時がたつと、同じ物語なのに受け止め方が変わって、面白くなったり、あれ何で昔はあんなに感動したりしたんだろう、なんて思ったりする。
これだから読書はやめられない。
若いときに出会ってもダメなものがあり、若いときだからこそ出会うものがある。
この仕掛人シリーズは前者に該当する。
仕掛人シリーズの主人公は「藤枝梅安」針医者であるが、陰では金をもらって人殺しをする。
つまり、正業としての針医者は金をもらって人を生かし、その針を使って陰では人を殺すという、矛盾、を行っているのである。
「人は良いことをしながら、悪いことをしている」というのがこの物語のテーマである。
確かに人は矛盾だらけである。
そしてその矛盾に気づいて生きているかどうかが、その人の人生を幅広く底深くするのではないかと思っているのだが、どうだろう。
矛盾を許せない或いは認めないということは「建前」の世界であり、建前だけで生きていけるのなら、どんなにか楽であろう。
さて、池波正太郎のシリーズものといえば、鬼平犯科帳(オール読物:文藝春秋社)剣客商売(小説新潮:新潮社)そしてこの仕掛人藤枝梅安(小説現代:講談社)となるのだが、それぞれの主人公の違いが面白い。
鬼平は長谷川平蔵、幕府役人:火付盗賊改め方である。
剣客商売は秋山小兵衛、民間人であるが息子大治郎の嫁三冬の父は幕府老中、田沼意次である。
そして、藤枝梅安は民間人・針医者であり、闇の世界に生きているので、いわゆる「お上」とは縁がない。
また、長谷川平蔵や秋山小兵衛は、自らの倫理観により、人を斬る。そしてその倫理観は「正義」である。
しかし、梅安は、倫理観・正義感を持っているが、金で請け負えば人を殺す。
この辺が、藤枝梅安シリーズを暗くしている原因ではないか。
確かに、仕掛にあう人は「悪人」ではあるが、梅安にとっては直接の殺害動機はないのだ。だから時には、それほどでもない人を仕掛けたりする。(もっともその落とし前はきっちりつけるが)
鬼平や小兵衛が、人を斬っても、世間は喝采をするが、梅安は表立って喝采を受けることがない。その辺の「屈折感」がたまらない。
物語にはでてはこないが、梅安は達成感をおおきく表すことができない「苛立ち」みたいなものがあるのではないだろうか。
その「苛立ち」を抑えるために、一生懸命針治療に励んだりする。
或いは、ひょんなことから知り合いとなった、同じ仕掛人の彦次郎と酒を酌み交わしたり、いきつけの料亭「井筒」の女中おもんとの情交だったりするのではないか。
鬼平や小兵衛は、達成感を素直に表すことができ、仲間と「慰労会」のようなものができるが、梅安は仕掛のあと深く沈むのである。仕掛までが充実しているのであって、そのあとにやってくるのは「疲労感」と「虚しさ」なのではないだろうか。
その辺が昔若いときには、何とはなしに「イヤ」だったんだろう。
今は、その「疲労感」や「虚しさ」になんだか共鳴してしまうのである。
この続きは、第4巻を読み終えてからまたしようと思う。