読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

劇画 自民党総裁 さいとうたかを

2005-08-27 23:41:05 | 読んだ
本日は日直だった。ヒマつぶしにコンビニで買ったのが、このマンガ。
①苦闘 田中角栄
②激闘 三木武夫vs福田赳夫
の二冊で「劇画 小説吉田学校」を再編集したもの。

「小説吉田学校」は、原作戸川猪佐武である。
この本は若い時分に読んだ。面白かった。
それが、劇画になって、今回コンビニ用でまた売られている。

今の自民党がどのようにしてきたかの一部分を改めて認識することができる。
また、自民党というのは、もともと、派閥の集まりで、党のなかに党があったようなもの、ということも改めて確認できる。

自民党も暴力団も組織的には同じ、そして仁義なき戦いも同じである。
今日の友は明日の敵、敵の敵は味方、なのである。

そしてもうひとつ、派閥は考え方が同じで集まったのではなく「縁」で集まっていること。
このことが、仁義なき戦い、の主要因でもある。

今回の自民党のゴタゴタも、つまり考え方が違うのに、上から押さえつけようとするところに「反発」があった。
もともと「政党」というのは考え方が同じであるはずだし、同じにすべきものでもある。
そういう意味では、小泉さんは、ある種理屈はスッキリしている。

これまでの自民党が「曖昧」であり「ボーダレス」であり「妥協」を重ねてきた。
この手法を生かすために「金」を基準としてきた。
といえる。

しかし、それは右肩上がりで経済が伸びているとき、皆の関心事がある程度集約されていたときに有効な手法である。

この劇画に描かれている時代、つまり昭和47年から52年頃は、高度成長の伸びが止まりだした頃で、人々の考え方が拡散し始める頃である。
吉田、池田、佐藤のような長期政権ではなく、自民党の総裁はコロコロ変わり始め、人々の考え方(=ニーズ)に応えようとする。
しかし、自民党の体質は旧態依然、そこに「物語」が生じる。

以前はあまりそんなことも考えずに、まあイロイロな人がいるなあ、と思って読んだものだが、今は「人の世というのは、なんだかはかないなあ」と思えるのである。

自民党の総裁になろうと、いわゆる三角大福(三木、田中角栄、大平、福田)はありとあらゆる手段を使い、総裁になれば延命を図ろうとする。
この本を読むと、それだけしかしていないカンジがする。

本来政治家は、自分の政策を実行するのが目的のはずだが、目的を果たすためには「権力」を得なければならない、そして遂には権力を得ることが目的になってしまう。

そんな哀しい人たちの物語、とも言えるのである。

コメント
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