A Day In The Life

日常のあれこれなどを・・・

練習は普通にできたみたい

2009年09月05日 23時18分28秒 | インタビュー(Entrevista)
昨日の記事、写真がなくて淋しかったので、後で追加しておきました。 

金曜日の練習に、アイマールは問題なく参加できたみたいですね。(ほっ!) O Jogoにこんな記事が出ていました。
その素晴らしいプレーはディ・マリアから始まり、アイマールの魔法の足によって続けられ(なんてパス)、ネットに躊躇なくボールを入れたケイリソンで終わった。昨日ファンに公開されたセイシャルでの練習で、このプレーは人々の拍手を誘った。
その他に、A Bolaには、「パブロとフィリップ・メネセスが同じチームに入って、攻撃のバトンをお互いに渡したり渡されたりしながら、興味深いプレーを行った。」という記事も。

金曜日の練習のビッグ・ニュースは、マキシ・ペレイラが通常練習に復帰したこと。当初の予定では8週間の離脱だったので(8月3日に手術)、半分の期間で怪我が治ったことになります。びっくりですね! でも最初から半月版の怪我は4週間ぐらいで治るとの情報を頂いていましたから、ベンフィカのお医者さんよりもそちらの情報のほうが正確だったのではないかという気も・・・。
またセルティック戦で捻挫をしたルーベン・アモリムも問題なく練習をこなしました。(アイマール以外の選手は大抵、怪我が予想よりもたいしたことないんですよね。)

練習で、ジェスス監督は守備の確認に時間を割きました。最初は、Maxi Pereira, Sidnei, David Luiz, Shaffer, Cesar Peixotoだけで、その後、ハビ・ガルシアも加わって。左サイドはシャフェルとペイショトで交互に回したそうです。また、ペイショトは右SBとハビ・ガルシアのポジションでも試されました。ジェスス監督はペイショトを守備で使う事を考えているのかな? そしてフィリップ・メネセスがパブロのところ? セルティック戦ではペイショトは中盤左サイドだったような気がします(しっかり見ませんでしたが)。プレーは良かったと思いますけれど、少しリケルメ・タイプかも。上手いけれど、スピードがあんまりなくて、ゆったりとプレーするタイプ。

もう夜も遅いので、Misticaインタの続きはほんの少しだけ。

リーベルで辛い1年目を送ったパブロを救ったのは、同郷の友人たち、ペレイラやコスタンソというのはNumberにもありましたが、Misticaでも「彼らは生活の中の真の友人たちで、第二の家族のようになった。」とあります。17歳のときに知り合ったサビオラについて:
「彼のお母さんは僕を自分の息子のように扱ってくれた。美味しい食事を作ってくれたことを覚えているよ。」
有名な話ですね♪
Sub-20の南米選手権と世界選手権で優勝。ペケルマンについて:
「ペケルマンはとても組織的で、Sub-20を代表する2年前のSub-17のときから同じフォーメーションを続けていたんだ。」
19歳でマルセロ・ビエルサの指揮するA代表に初召集。ビエルサについて:
「彼はnobleだ。(高みを目指す人みたいな感じ?)いつも同じ道、自分のアイデアを追い続ける。ボールを奪い、素早く攻撃できるように高い位置でプレスをかけた。そしてそのゲーム・スタイルをとても上手くトレーニングした。」
なるほど、トレーニングも良かったんですね~。続きはまた今度で。(実はまだインタビュー全部を読み終えていなかったりします。)




Misticaのインタビューから

2009年09月05日 00時23分02秒 | インタビュー(Entrevista)
金曜日は11時45分から練習再開なので、もう終わった頃ですが、アイマールは普通にできたのかな。昨日木曜日は、パブロ、フィリップ・メネセス、キムの3人で練習をしたそう。でもどんな内容だったのかは不明です。と思ったら今日の練習は17時からとオフィシャルにありますね、今始まったところかも。

右足首を捻挫したルーベン・アモリムの怪我の程度は、今日検査される予定。

Correio da Manhaには、スペイン代表監督のデル・ボスケがハビ・ガルシアを視察するだろうとの記事が出ています。(CMの記事なので信憑性は?ですけれど) ただこれを読んで、そのうちにベンフィカのスタメンで代表に呼ばれないのはアイマールだけになったりして、なんて思ってしまいました。今でも、呼ばれていないのは、サビオラ、ダビド・ルイス、シャフェル、ハビ・ガルシア、そしてパブロだけなんだもの。年齢も年齢だし仕方ないのかなと思いつつ、もやもや。Serbenfiquistaのフォーラムでは、みんなが「代表に呼ばれてもいいレベルだよ!」と書いてくれていて、その暖かい言葉が嬉しいです。でも・・・ベンフィカがリーグ優勝&ヨーロッパ・リーグ優勝の二冠でもすれば呼ばれるかもしれないですね~。
よく考えると、今シーズンはワールド・カップの直前シーズンで、2006年ワールド・カップの前年だった2005/06と同じなんですね。アイマールのバレンシア最後のシーズンだったあの年のことを思い出すと、パブロにとってこの4年間は何だったんだろう?とちょっぴり悲しくなります。苦難ばかりが多くて、得るものが少なかった4年のような。でももちろんそのときどきで良いプレーが見れたりもしたから、何もなかった4年だとは思いたくありませんが。

今日はニュースもなくて時間があったので、ベンフィカの機関紙Misticaのアイマールのインタビュー記事を解読してみました(間違いもあるかと)。こちらにChildaさんという人が画像をアップしてくれています。ポルトガル語ですけれど、このページの下のほう:revista Mistica

パブロは、リーベルに入るよりも先にSub17の代表に選ばれていたんですね。このインタビューによると、まず14歳のときにリーベルの入団テスト。パブロの話では、
「14歳のときにテストを受けるように言われた。リーベルの誰かが僕のエストゥディアンテスでのプレーを見て、僕の父に話したんだ。父は、その経験を楽しむように僕に言った、スタジアムやブエノス・アイレスを知ることのできる経験、首都の子供たちと一緒に練習できる経験をね。そうやって僕のやる気を起こそうとしたのさ、といっても僕が受かるとは思っていなかったけれど、他の子供たちよりも上になるなんてね。」
ところが、予想外にもパブロはブエノス・アイレスで後一つだけトレーニングを受けるだけになり、お父さんに連絡が。でも、小さなパブロは:
「僕は父の前に立って、すごくはっきり言ったんだ、家に帰りたいって。」
OMG! もちろんこれは有名な話ではありますが(笑)。そのままエストゥディアンテスでプレーをすることになったパブロ、でもまもなくSub-17代表監督だったペケルマンがブエノス・アイレスだけではなくて地方のクラブも視察して、アイマールを召集してくれたのでした。パブロたちは、Sub-17の南米選手権と世界選手権で、それぞれ2位と3位。パブロはこのことについて:
「サッカーで僕に起こったことのうちで一番良いことだった。僕らはとても良いプレーができて、良い友達になった。僕たちは今でも友達なんだ。」
でも、代表でプレーするためにはブエノス・アイレスで練習する必要があり、そのためにリーベルに所属することに。(そういう順番だったんですね~) Misiticaの記事本文はこんな風です:



心のクラブのエンブレムを胸につける誇らしさを感じつつも、家から遠く離れて生活することは、涙を流すほどの本当の犠牲だった。
「スタジアムに住んでいた、週末だけリーベルでプレーして、週の間はアルゼンチンSub-17代表として練習をしていた。グラウンドにいないときはチーム・メートと一緒だった。家から遠く離れて、とても辛かった。一年が終わる頃にようやく本当に慣れてきたという感じだった。」



この記事には書いてありませんが、その1年の間に我慢できなくなって、本当にリオ・クアルトの家に帰っちゃったんですよね・・・。15~16歳はそんなにまだ家が好きな頃だっけ? 遠い昔過ぎて忘れてしまいました。でもパブロみたいに天使のような容貌だときっとママにもお姉さんにも優しく愛されていたのが、急に男の子だけの集団で自活というのは、確かに辛かったのでしょうね~。ずっと前のインタでも、「隠れてよく泣いていた。」とか言っていますし・・・いや、なんとかリーベルに留まってくれて本当によかったです、そうでなかったらパブロのプレーを見ることもできなかったですから。

Misticaのインタの続きはまた明日時間があったら。