A Day In The Life

日常のあれこれなどを・・・

今日もMisticaより

2009年09月07日 22時46分02秒 | インタビュー(Entrevista)
日・月曜と練習はお休みなので、特にニュースはありません。ラミレスがアルゼンチン-ブラジル戦でイエロー・カードをもらい、累積で次節出場停止となるため予定より早くリスボンに帰ってきます。

今日はMisticaのインタビューを少し進められるかな。


バレンシアへの移籍

「ブエノスアイレスに移ったときほどのショックはなかった。僕はバレンシアに住むのは大好きだったよ。町、そこで送っていた生活、クラブが好きだった。たくさんの友達も作った。

僕らはとても上手く守備をして、必殺のカウンター攻撃をしていたんだ。そんな風にしてすごくたくさんの試合に勝ったんだよ!

僕はバレンシアでは良いキャリアを積んだと思う。二度も優勝したし。できるならば、20年後に僕らが勝ち取った優勝を記念してのイベントでみんなと会いたいね。僕がバレンシアで良いキャリアを積まなかったと言う人々がいたら、僕はそれには同意しない。でも、いろいろなことがあるから。もしも僕らが記者から電話でランチに誘われたのに行かなかったら、次の試合では良い点をもらえなかったりするんだ。彼らは好きなことを言う。見出しに僕の名前があればいいのさ。(←この部分はちょっと自信なし)」

とアイマールは、挑戦的に笑いながら言った。


うーむ、パブロ、記者にはかなり不信感があるみたいですね。サラゴサで、意味不明なほど新聞で批判されていたのには、そんな事情もあったりしたのかな。

サラゴサ以降の話:


「一年目は上手く行った、人々の期待を上回ってリーグ戦を終えることができて。でも次の年は・・・。僕らはチームとしてプレーしなかった、その上僕は手術をして5ヶ月もプレーできなかったんだ。」

ベンフィカ移籍について:
「ルイは僕に話をして、ベンフィカの巨大さを教えてくれた、それは僕自身後に目にしたわけだけれど。一方、バレンシアにいた監督と働くことができるのも重要だった。確かに、ベンフィカに来ていなかったらニュー・カッスルに行っていただろう、でも僕はベストな選択はこれだと思ったんだ。」

それでもサラゴサでの戦いの痕跡は残った。
「フィジカル面で一年目が簡単ではなかったことは普通だ。急いで回復して後でひどく失望するよりは、少しずつ良くなるほうが、ベターなオプションだといつも思っているよ。サラゴサで手術を受けたとき、自分の体が快適に感じるまでにかなり時間がかかったことを覚えている。最初、僕はスピードを大幅に失ってしまって、その結果自信も失ってしまった、グラウンドでやっていたいろいろなプレーは素早いことから生まれていたからね。ベストなコンディションでないと、最後には大きな恐怖を持つようになってしまい、あんまり活躍できないんだ。

幸いなことに、僕はスピードだけでなく自信も取り戻した。それにチームは数ヶ月前よりもボールをたくさん持つようになってきた。そのことは、僕には役立っていて、僕にもっと自信を与えてくれる、なぜなら僕はもっと試合に入れるから。一つのチームを作り上げているところだから、時間はかかるよ。カップ戦で一つ優勝したけれど、リーグ戦では山あり谷ありだね。」


このミスティカは2009年5月号なので、まだキケ監督が在任中でした。前半戦、ボールにあんまり触れていないなあと思っていましたけれど、本人もそう思っていたんですね・・・。
それから、スピード。本当に昨シーズンはスピードがなくて、大丈夫?!とすごく心配だったっけ。本人が一番わかることですよね。確かに今シーズンはすごく速くなっていて、一安心です。手術の影響というのはいろいろあるものなんだなあ。

(上の写真は、例のベンフィカ応援歌?DVDの宣伝写真です。合成写真としか思えないほど、サビオラとアイマールのちびっ子ぶりが目立っています。ほ、本当にこれ5人が同じ場所に立っているの?!?)