尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『刑罰』を読む

2023年01月13日 22時34分30秒 | 〃 (ミステリー)
 映画などへは行かず時事問題も書いてないから、書くことが尽きてきたけど本の感想なら書ける。(ちなみに時事問題を書いてないのは、ウクライナ戦争や日本の防衛政策大転換など、とても一回では終わらない大問題で、今集中して取り組める精神的余裕がない。)ドイツのフェルディナント・フォン・シーラッハが書いた『罪悪』(創元推理文庫)を読んだ。この人に関して、今までここで書いたかなあと思って探してみたら、『映画「コリーニ事件」、法廷ミステリーでドイツの過去を直視する』(2020.6.22)を書いていた。シーラッハ原作の『コリーニ事件』の映画化をコロナ禍に見ていたとは、自分でも忘れていた。

 フェルディナント・フォン・シーラッハ(1964~)という人はドイツの弁護士である。非常に有名なドイツを代表する弁護士の一人らしい。その人が2009年に『犯罪』という本を出した。掌編と呼ぶべき短編が11編入った作品集である。ドイツでクライスト賞を受賞したが、それはヘルタ・ミュラー(ノーベル賞受賞者)や多和田葉子も受けている賞である。一方、日本では東京創元社から翻訳(酒寄進一訳)が出され、年末の各種ミステリーベストテンで2位に選ばれるなど、「ミステリー」として受容された。そして、その後『罪悪』『コリーニ事件』『禁忌』などを続々と発表して作家として地歩を固めた。
(フェルディナント・フォン・シーラッハ)
 今回読んだ『刑罰』(2018)も「創元推理文庫」から刊行されている。翻訳は2019年に出て、2022年10月に文庫になった。この本は『犯罪』『罪悪』に続く作品集で、一応ミステリーと言えるけど普通の意味のミステリーとは全然感触が違う。先に挙げた映画の原作『コリーニ事件』(2011)はある程度「法廷ミステリー」的な作品になっているが、『犯罪』『罪悪』『刑罰』の三部作は「ミニマリズム・ミステリー」とでもいうか、感情描写には踏み込まず犯人当てもなく、ただ事実を淡々と綴るのみである。ただ、それがものすごく面白い。謎解きではなく、犯罪を通して見えてくる人生が心に沁みるのである。

 難しいところはどこにもなく、誰でもすぐに読める。でも、こういう本は今まで読んだことがないと思うだろう。ここに書かれている「事件」は著者が弁護士として体験したことだろうか。もちろん違うだろう。直接自分が担当した事件を小説にするのは、弁護士としての倫理に反する。しかし、法廷で見聞きしてきたことのエッセンスは間違いなく小説の中に生かされている。確かにこういう人生は存在するだろうという、自分や隣人のことが書かれている気持ちがする。今回は特に「孤独感」、人生中で孤独がいかにその人を蝕んでしまうかを描く作品が多い。

 最初に置かれた「参審員」、2番目の「逆さ」、さらにトルコ系ドイツ人女性が弁護士になる「奉仕活動」など、法律の意義を問い直すような作品が多い。裁判はもちろん「法律」に基づいて行われるもので、人間の真実をあぶり出す場ではない。人間として「有罪」であっても、法廷では「無罪」になることもあり得る。やむを得ないと言えば、その通りである。しかし、その裁判の結果、大きな過ちがもたらされた場合はどうなのか。「法の限界」があることをこの本は静かに告発している。つまり、この本は題名の通り「刑罰」を考えさせるのである。

 法廷が下す「刑罰」よりも重いものは、自分が自分に与える「自罰」だろう。ここには自分で自分の人生を罰するような、閉じられた生を生きる人々が数多く登場する。彼らは我々の隣人であり、また自分の中にも住んでいる。多くの人がそのように思うのではないか。そして彼らが静かに人生を送っている限り、「犯罪」に関わるはずがない。だが、静かな生活が周囲の人々によってかき乱される時、思わぬ形で彼らが犯罪の「被害者」だけでなく「加害者」にもなってしまう。人生の恐るべき秘密をこの本は淡々と語るが、事実のみを提示するだけの作品が読むものの心に染み通っていく。

 『犯罪』『罪悪』は図書館で借りて読んだこともあって、ここでは書いてなかった。短い作品が集まって、読みやすいから、出来れば順番に読む方が良いと思う。何故なら『刑罰』の一番最後にある「友人」という作品はやはり最後に読むべきものだと思うから。その作品は感触としては事実がベースになる気がする。プライバシーに配慮して変えてあるところが多いだろうが、実際の知り合いを描いているのではないか。そこで思うのは「人生いろいろ」だという当たり前のことなんだけど、自分の人生を振り返ってしまう本である。なお、著者の祖父にあたるバルドゥール・ベネディクト・フォン・シーラッハ(1907~1974)という人は、ナチス時代の高官でヒトラーユーゲント(ヒトラー青少年団)の責任者だった。「フォン」がつく家柄では珍しい。戦後のニュルンベルク裁判で禁錮20年を宣告されたという。ウィキペディアでは孫よりも遙かに長く記されている。
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