尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

近現代の時代区分を考える-元号に代わる区切りを

2019年05月02日 22時48分41秒 |  〃 (歴史・地理)
 天皇代替わりで改元されて、いろんな店で「改元セール」なんかをやっている。それはまあ商戦だから、利用できるものは何でも利用して当然だろう。でもそこで「新時代を祝賀」のように書かれているのを見ると、果たしてそれでいいんだろうかと思う。確かに天皇家も元号も「新時代」になったのは間違いない。しかし、それは歴史的な意味で「時代が変わった」とは言えない。単に「天皇が交代」しただけである。近年ヨーロッパでも王室の代替わりが続いたが、オランダやベルギーやスペインなどで国家社会が変化したわけではない。日本の天皇交代も同じだろう。

 歴史では「時代区分」というものがある。古墳を作ってた時代と江戸幕府があった時代は全然違う。明治時代と現代も全然違う。大きな変化で時代を分けて、「○○時代」と名付けて年表で区別する。それを「時代区分」と言うが、不思議なことに明治以後は年表でも元号で分けているのが普通だ。歴史教科書の後ろに付いてる年表を見れば判る。なんだか不思議である。奈良時代とか室町時代というのは、政治上の中心地で付けられている。それなら明治以後は「東京時代」なのか。
 (日本史の時代区分)
 今まで近現代(=日本史では明治以後)は、大体元号で示していた。「昭和」が長かったので、教える側もあまり違和感がなかった。歴史の通史などでは「明治」が憲法制定と日清日露戦争で二分される。「大正」は「大正デモクラシー」で、「昭和」は戦争と高度成長で三分される。それで大体済ませていた。授業もそこまで行かないことも多かったし。でもそこに「平成」が加わり、さらに「令和」となった。もう「本質的な区分」を考えないといけないだろう。

 前近代では最近、中世史家の保立道久氏によって、時代区分の見直しが唱えられている。簡単に紹介だけしておくと、従来は縄文弥生の後に、古墳飛鳥奈良平安鎌倉室町安土桃山江戸となる。これを保立案では、飛鳥、奈良を合わせて「大和時代」とし、その後「山城」「北条」「足利」「織豊」「徳川」とするというのである。これは僕の見るところ、長岡京時代を「山城時代」に入れられるので、より判りやすいと思う。それにしても保立氏も近現代の区分を提唱していないので別に考えないといけない。(なお、沖縄と北海道の前近代は全然違うので、別の時代区分になる。今は省略。)

 上記の時代区分は、要するに「権力の中心地」か「権力者の姓」で区別するということだ。天皇家には姓がないから、都の場所で区分する。武士政権では武士の姓で区別する。保立氏の新区分案は、現行の区分が教科書等で定着しているので、なかなか変えられないだろう。それはそれとして、議論はしていかないといけない。近現代史の時代区分も、そろそろきちんと考えるのが歴史学、歴史教育関係者の責務だろう。そこで諸外国をちょっと見てみると、フランス史では前近代は王朝交代で、フランス革命以後は政体の変革で区分している。

 フランス革命で「第一共和政」、ナポレオンが皇帝となって「第一帝政」、その後「復古王政」「七月王政」と続き、1848年の二月革命で「第二共和政」、ナポレオン3世が皇帝となり「第二帝政」、普仏戦争で崩壊して「第三共和政」、第二次大戦後に憲法が改正され「第四共和政」、ドゴールによって大統領権限を強化する憲法改正が行われ、1959年から「第五共和政」となる。このように現代では「憲法」で規定される権力のあり方が時代区分となっている。

 それを参考にして考えてみれば、日本の場合、「大日本帝国憲法時代」、「日本国憲法時代」に大きく分かれることになるだろう。明治の憲法制定までをどうするか日本国憲法制定後も占領下で主権が制限されていたことをどうするか。そういう問題もあるけど、まあ「第一憲政」「第二憲政」とでも呼ぶのが適当なんじゃないだろうか。帝国憲法以前の「明治」は、徳川時代崩壊後の憲法制定「前史」である。だから「第一憲政」でいいかと思うが、現実には憲法制定後を含めて「薩長藩閥」が事実上の最高権力である。ペリー来航から帝国憲法制定までを「雄藩時代」とでも言うべきかも。

 「第一憲政」の帰結が「アジア太平洋戦争」なので、「第二憲政」は占領後からとするのも一つの考えだろう。でもそんなことを言えば、今もなお、あるいは少なくとも沖縄返還までは「占領」みたいなもんだという考えも出てくる。しかし、占領期でも日本側の最高権力者である総理大臣は日本国憲法の規定で選ばれているから、まあ「第二憲政」に入るとするべきだ。そして、72年までの「高度成長時代」、90年代半ばまでの「国際化とバブル時代」、その後の「グローバル化時代」と「第二憲政」は三分される。その細かな区分はまだ完全には決められないが、そんな感じで見通せるんじゃないだろうか。
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