尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』を読む

2022年06月05日 20時56分04秒 | 〃 (ミステリー)
 新潮文庫4月新刊で、ライオネル・ホワイト気狂いピエロ』(矢口誠訳)が刊行された。原題は『Obsession』(1962)で、本文中では「妄執」と訳している。何とこのアメリカ製の犯罪小説がゴダールの映画『気狂いピエロ』の原作なんだという。初めての翻訳で、今まで原作なんて考えたこともなかったけれど、確かにこれを読んで納得出来ることが幾つもある。著者のライオネル・ホワイト(1905~1985)はものすごくたくさんのミステリーを書いたが、翻訳されたものは少ない。どこかで名前を聞いたような気がしたのは、キューブリック監督『現金(げんなま)に体を張れ』の原作を書いてるからだろう。

 ゴダールの『気狂いピエロ』は僕の大好きな映画で、ビデオソフトも持ってたから何度も見た。最近も上映されたが、それは前に公開されたものと同じ素材なので、まあいいかと思って見ていない。2019年の年末に『勝手にしやがれ』と一緒に見たときには、「ゴダールの「気狂いピエロ」について」を書いた。最初に見たのは中学3年生の時で、圧倒的な影響を受けた。最近シャンタル・アケルマン映画祭を見たので監督を調べたら、15歳の時に『気狂いピエロ』を見て映画監督を目指したと出ていた。やはりそういう人がいるのである。映画のことは先の記事で書いたので、ここでは触れない。
(ゴダールの映画「気狂いピエロ」)
 はっきり言ってしまえば、この小説はアメリカのごくありきたりのノワール小説である。『気狂いピエロ』が大好きだという人以外は特に読む必要もないだろう。この小説と映画との関係は山田宏一さんの解説に詳しく、それ以上書くことはない。68年の「五月革命」まで盟友だったゴダールとトリュフォーは、競い合うようにアメリカのB級小説を読みあさっていた。トリュフォーの『ピアニストを撃て!』はそんな中から見つけた原作を映画化したものである。ゴダールは明らかに『Obsession』をもとに映画を作ろうとしていたことが解説に良く判るように書かれている。

 特に冒頭の逃亡へと至る展開は基本的に原作通りだった。映画ではジャン=ポール・ベルモンドがつまらないパーティに妻と出かける。つまらなくて先に帰ると、ベビーシッターのアンナ・カリーナがいた。実は二人はもともと知り合いで、家に送っていくと関係してしまう。そのまま朝を迎えると、隣室に謎の死体が…。壁にはOASと赤い文字で書かれている。OASはアルジェリア問題で独立反対のテロを起こしたフランスの極右組織である。もちろん原作にそんな政治的ニュアンスは全くない。そもそも二人は知り合いではなく、ベビーシッターはなんと17歳の女性アリーである。しかし、一人暮らしで謎が多い。死体は彼女が殺した組織の集金屋で、彼は女の部屋代を出していた。その集金の金を持ち逃げするのである。
(ライオネル・ホワイト)
 主人公はコンラッドと言ってニューヨーク近郊に住む失業者。自分で殺したわけではないから警察を呼ぼうと言うが、信用されるわけないと一蹴される。結局アリーと一緒に逃げることになるが、わずか17歳といえど平気で人を殺せるアリーの「ファム・ファタール」(運命の女)性がすさまじい。最初は南部に逃げて、家まで借りる。二人は結婚して別人になりすます。結婚してるのに、何故重婚が可能なのか。なんと結婚を届け出る時には、身分証明書が不要だと書いてある。だから偽名で結婚を申請したら、認められたのである。今でもそうなのかは疑問だが、とにかく戸籍で確認されてしまう日本と違って、別の州に移ってしまえばアメリカでは別人になれるのである。もっとも警察のお世話になってしまえば、指紋が手配されるからバレてしまう。

 ただ逃げているだけの映画と違って、小説ではもっと具体性が求められるから、あちこち逃げ回る様子が細かく書かれる。マイアミで組織に捕まり拷問される。これは映画にもあるが、経過は良く判らなかった。小説では明らかに「女に売られた」のである。生き延びたコンラッドは女を探し回って、ラスヴェガスで見つける。映画も小説も、女の方では「兄がいる」と言うが、映画では兄なんだかよく判らない。しかし、もちろん小説では兄なんかではない。ヴェガスのカジノで働いていた「兄」は強盗事件を仕組む。追いつめられたコンラッドはその犯罪に協力するしかない。そこら辺は映画にはない部分で、結局原作は逃げる話ではなく、カジノの金を奪おうという犯罪小説になっていく。

 映画にあった「詩と政治」は原作にはもちろんない。しかし、圧倒的な疾走感は共通している。設定は最初の出発点、滑走路地点は明らかに似ているが、飛び立つと景色はどんどん違っていく。ゴダールは別れたばかりの妻アンナ・カリーナを悪く描きたくなかったのか、彼女の性格付けが謎めいている。そこが映画の魅力なんだけど、原作では17歳にして極悪である。それもまた魅力と思える人には面白いかな。ノワール小説の『ロリータ』という設定だが、女がすべてを引き回すところが凄い。まあ特に書くまでもないんだけど、あの『気狂いピエロ』の原作という点を珍重して書き残すことにした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ゴッドファーザー』『ゴッ... | トップ | 上島竜兵、白川義員、小塩節... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

〃 (ミステリー)」カテゴリの最新記事