尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

柳美里「JR上野駅公園口」を読む

2020年12月27日 22時05分04秒 | 本 (日本文学)
 柳美里(ユ・ミリ、1968~)の「JR上野駅公園口」(2014、河出文庫)が翻訳されて、全米図書賞の翻訳部門を受賞したことが大きく報道された。英語の題名は『Tokyo Ueno Station』になっている。候補になっているというニュースを聞いたときには、そんな本があったのかと驚いた。そう言えばずいぶんユ・ミリの本も読んでなかった。直後には売り切れていたが、今では帯に受賞とうたった文庫本が本屋に並んでいる。さっそく読んでみたので、その感想。

 柳美里はまず劇作家として知られ、1993年に最年少で岸田戯曲賞を受賞。その後、小説を書き始めて、1997年に「家族シネマ」で芥川賞を受賞した。僕も1999年の「ゴールドラッシュ」ぐらいまでは読んでいた。その後、子どもが生まれて「」4部作を書いた。「3・11」以後は東北に通ってラジオ放送を担当し、2015年には福島県南相馬市に転居し、2018年には書店を開業した。それらの話はマスコミを通して知ってたけれど、なんだか「作家」としては忘れていた感じだ。

 ということで、久しぶりに手に取って満を持して読み始めたが、そんなに長くない割には大変だった。それは「物語」ではなく、本質的には「民族誌」(エスノグラフィー)のような作品だからだ。資料も多く取り込まれていて、戦後を生き抜いた「出稼ぎ労働者」の「聞き書き」的な小説だった。だが、一人の人物ではなく多くの人の声を合わさって「小説化」されているんだと思う。

 福島県の「浜通り」、やがて原子力発電所が作られる前の時代、事実上の「国内植民地」に生まれたある男性が、ほぼ全生涯を「出稼ぎ」で暮らしてきたライフヒストリーが事細かに記録される。彼に対して祖母が述べたような「不運」の人生を歩み、最後は東京で「ホームレス」となって上野公園に住むことになる。上野駅は東北本線、上越本線の終点駅で、東日本の貧しい労働者が最初に東京に降りる駅だ。そこで「ホームレス」となるという人生最終盤の「アイロニー」(皮肉)がこの小説全体を象徴している。それは翻訳では解説があっても伝わるだろうか。
(ユ・ミリ)
 「」は昭和8年1933年)に生まれた。この主人公の名字はあるところで出てくるが、名前は最後まで書かれない。他の「ホームレス」と話すときも、自分のことは語らない。生年は現在の「上皇」(昭仁)と同じである。そして彼の長男が生まれたのは1960年2月23日で、「皇太子の長男」(今の天皇)と同じだった。彼は「浩宮」から一字取って長男を「浩一」と名付けた。

 もっと前、幼少期に「彼」は昭和天皇の戦後巡幸を見ていた。そして人生の終期になって、上野公園に住むことになると、皇族がよく博物館や美術館に来るから、そのたびごとに「山狩り」に合う。つまり警察によって、一時的に「ホームレス追放」がなされるのである。このように「彼」の人生は、「戦後天皇制」とリンクしていた。そこで「JR上野駅公園口」という小説のテーマを「天皇制」と考える人も出てくる。もっと言うと「反天皇制小説」だから日本では評価されなかったとする見方もある。だが、それはちょっと違うのかなと僕は思った。

 そういう読み方を否定するわけではないが、むしろ僕には「移民労働者」の「生活誌」のように感じた。そもそも彼の一家も福島には江戸時代後期に加賀から開拓者として移民した人々だった。加賀での信仰である「浄土真宗」を持ち続けた少数派だった。葬儀の様子も細かく記述される。真の地元民じゃないから、有名な「相馬野馬追」でも重要な役は果たせない。地元に大家族を養う産業はなく、弟妹のため、やがては妻子のため、地元を離れて働き続けた。

 そして「不運」が彼を襲うのである。しかし、「ホームレス」になったのは、書いてしまえば「孫」に迷惑をかけないようにと考えて、自ら家を捨てた。しかし、家にいたならば「3・11」で大津波と原発事故にあっていたのだから、ここでも彼の人生は「皮肉」というしかない。そういう彼の人生を描くときの「補助線」として「天皇制」が使われているが、それが最大のテーマではないように思う。アメリカでどこが評価されたのかはよく判らないが、「移民労働者」や「ホームレス」のライフヒストリーとして共感されたのではないかと思う。

 日本ではそれほど評価されなかったのは、柳美里がちょっと読まれなくなっていたのもあると思うが、端的に言えばあまり成功していないからではないか。資料的な部分が多く、小説としては「生煮え」感がある。「ホームレス」になった事情が納得しにくいし、「上野公園」にいる意味も判らない。歴史に詳しい「ホームレス」がいて、折々に「解説」が入ることにより、「彰義隊」「西郷像」の「歴史的意味づけ」が語られる。でもまあ知ってる話だし、日本人には新鮮な感じはない。

 このような「下層労働者」、もう家族に送金するだけのために生きている「移民労働者」に近いだろうが、細かなライフヒストリーを書いた小説は珍しい。小説じゃない本ではあると思うけど、読むのは大変だから、若い人にはまずはこの本を手に取って現代史を考える材料にして欲しい。小説的感興を求めるというより、日本を考えるときの基本という本じゃないかと思う。
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