尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

傑作映画「燃ゆる女の肖像」、映像美とフェミニズム

2020年12月14日 22時16分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 セリーヌ・シアマ監督・脚本のフランス映画「燃ゆる女の肖像」は心をつかんで離さない傑作だ。2019年のカンヌ映画祭脚本賞クィア・パルム賞を受けた。クィア・パルム賞って何だと思ったら、コンペと別に「LGBTやクィアをテーマにした作品」から選出される賞だそうだ。2010年からあって、「私はロランス」「キャロル」「BPM ビート・パー・ミニット」なんかが選ばれてきた。

 冒頭で女性画家のマリアンヌノエミ・メルラン)が絵画塾で女性たちを教えている。生徒たちは先生の絵を見つけて由来を尋ねてくる。マリアンヌはその絵を「燃ゆる女の肖像」と呼び、絵を描いた若い時代を回想する。18世紀末、マリアンヌはフランス北西部のブルターニュの孤島に小舟で向かっていた。そこに住む貴族の娘の肖像画を頼まれたのである。女性画家はほぼいなかった時代である。マリアンヌは父に教えられ、時には父の名で絵を描いていた。
(ブルターニュの島で)
 肖像画のモデルは館の娘、エロイーズアデル・エネル)だった。彼女はミラノの貴族との結婚話があり、「お見合い写真」としての肖像画が必要だった。本来は姉が結婚するはずが、嫌がった姉は崖から落ちて亡くなった。(恐らく自殺。)代わって修道院にいたエロイーズが呼び寄せられたが、彼女も結婚を嫌がって前に来た男性画家には顔を見せなかった。そこでマリアンヌが呼ばれたのである。しかし母親は「散歩友だち」と紹介して画家であることは秘密にされた。荒涼たる島の自然を散歩しながら、マリアンヌは盗み見るようにエロイーズの特徴をつかみ取る。
(左=エロイーズ、右=マリアンヌ)
 マリアンヌは絵を完成させたが、罪悪感を覚えてエロイーズに真相を話す。彼女は絵を見て自分の本質をとらえていないと指摘する。マリアンヌは絵を破棄してしまうが、母親が本土へ行って留守にする間にエロイーズがモデルになることを承諾する。母親がいない間に、二人の絆が深まってゆく。女中ソフィーの妊娠が判って中絶の手伝いをする。またオルフェウスの神話を巡って三人で論議を交わした。村の祭りに出かけて、焚き火がエロイーズの衣装に燃え移ったのを見た夜、島の洞窟で二人は初めて口づけを交わした。 
(監督と主演の二人)
 母がいない数日間限定で燃え上がった二人だったが、絵は完成して別れの日はやってくる。(そこで描かれた絵は、フランスの画家エレーヌ・デルメールという人が描いたという。)お互いに記念の絵を残して去った後、マリアンヌは2回エロイーズに会ったという。一回は描かれた子連れのマリアンヌ、もう一回はマリアンヌが演奏するシーンがあったヴィヴァルディの「四季」(夏)の演奏会で、遠くから見つめただけだった。この終わり方は深い余韻を残す。結局実際には二度と会えなかったわけだが、心の中でお互いが生き続けたのである。

 前近代では女性の芸術家は文学者以外にほとんどいなかった。中でも画家は「技術」が必要で、父親に教えられた場合だけ葛飾北斎とお栄のように女性画家として活躍出来た。実際にはマリアンヌのような女性画家はフランスにいたのだが、歴史の中で抹殺されてきたのだという。この映画は「女性画家」「女性どうしの愛」「妊娠中絶」など、消されてきた歴史を再発見する。「フェミニズム史観」の見事な達成だ。しかし、18世紀の上流女性が自由に生きられるはずもない。結局エロイーズはミラノに嫁ぐが心の底の思いを映画が見せてくれる。

 ロケされた島が素晴らしく、風景の中でロングショットで捉えられた二人の映像美に息を呑む。たまたま手入れされなかった館が残っていたのだという。ブルターニュ半島西部には島が連なっているが、大西洋の波の荒々しさが印象的だ。セリーヌ・シアマ(Céline Sciamma、1978~)は「水の中のつぼみ」(2004)、「トムボーイ」(2011)という公開作があるが見ていない。もう一作未公開作があり、これが監督4作目。撮影のクレア・マトンも見逃せない。映画賞では現代を描いた「レ・ミゼラブル」に票が集まったが、これは韓国の「はちどり」と似た感じだ。しかし、今後ますます増えていくはずの女性監督の先頭をゆく傑作だ。
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