尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「おらおらでひとりいぐも」

2020年12月01日 21時03分41秒 | 映画 (新作日本映画)
 若竹千佐子の芥川賞受賞作「おらおらでひとりいぐも」が、沖田修一脚本・監督で映画化された。もう上映も終わりつつあるが、今日見たらなかなか面白かった。こういうのは、一昔前ならミニシアター系で長くやる映画だと思うが、今は大手シネコンで公開されて2週目からは上映が極端に少なくなる。僕も時間が合わないままだったが、未だに通っている歯医者の時間の都合で日本橋に見に行った。今日は歯を削って緊張して疲れたから、軽く映画評を。

 僕は沖田修一監督とは相性がいい方で、特に前作「モリのいる場所」などどうしてベストテンに入らなかったのか疑問に思っている。今回も「老人映画」なので、田中裕子蒼井優がやっててもヒットは難しいだろう。でも沖田監督の「遊び方」は見事で感心してしまう。原作は一人暮らしの老女、75歳の日高桃子さん(田中裕子)の脳内で、話しかけてくる謎の東北弁が飛び交う様を描く。映画化に当たって、ナレーションじゃなくて「実体を持った脳内人格」を創作した。最後のクレジットに「寂しさ1」(濱田岳)、「寂しさ2」(青木崇高)、「寂しさ3」(宮藤官九郎)とあって笑える。
(桃子さんと3人の「寂しさ」)
 突然寂しい夕食がディナーショーになってりして、田中裕子が歌い出したりして、実に面白い。原作の「言葉遊び」的な部分を「脳内セッション」として描き出した。そういうやり方があるか。アニメになったり、いろんな工夫をしている。時々「過去」が出てくる。岩手県遠野に育った桃子蒼井優)は気に入らない縁談を蹴って、東京五輪の年に上京した。蕎麦屋で従業員募集の貼紙を見て働き、店を代わりながら働いた。定食屋で働いた時は山形出身の先輩と仲良くなる。そして岩手弁で大声で話している周造東出昌大)にひかれていく。
(若き日の桃子)
 2人の子を育て、埼玉県所沢に家を建てた。老後は夫と二人と思っていたら、55歳で夫が死んでしまった。子どもたちとは疎遠で、今は一人暮らし。そんな日々を描くだけでは芸がないわけだが、そこに「脳内セッション」が始まって過去と現在を往復する。原作も同じなんだけど、表現が面白いわりに設定と世界観は案外普通。そこが今ひとつで、親子関係、オレオレ詐欺、図書館通い、夫の墓参など予想通りみたいな展開になるのはやむを得ないか。

 しかし、映像で見ることにより、「独居老人」がくっきりとする。田中裕子は腰痛の湿布貼りなど、さすがにうまいもんだ。もっとも今65歳なので、設定よりも若々しいのも当然。走ったりするシーンもある。秋の紅葉、冬の積雪など美しく撮影したのは「万引き家族」の近藤龍人。その他、美術(安宅紀史)、照明(藤井勇)など技術スタッフのていねいな仕事ぶりも見応えがある。

 題名の「おらおらでひとりいぐも」は宮澤賢治の「永訣の朝」で妹がつぶやく言葉。(元はローマ字。)「私は私で一人で逝くから」といった感じらしい。桃子さんはそこまで死期を前にしているわけではないから「行く」「往く」でもいいのかなと思った。若い人が見て面白いのかどうか判らないけれど、僕はなかなか面白かった。
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