「セブン」や「ソーシャル・ネットワーク」の監督として知られるデヴィッド・フィンチャーの「Mank/マンク」という映画が上映されている。観客を選ぶ映画だが、これは紛れもない傑作だ。でも、そんな映画は知らないという人が多いと思う。テレビや新聞などでは、ほとんど宣伝していないからだ。それもそのはず、これはNetflixで12月4日から配信される映画で、一部劇場限定で上映を行っている。「ROMA/ローマ」や「アイリッシュマン」「マリッジ・ストーリー」などと同様である。(「シカゴ7裁判」「ヒルベリー・エレジー」もNetflix製作映画で今劇場上映中。)

僕もよく知らなかったのだが、「マンク」というのはハーマン・マンキウィッツ(1897~1953)という脚本家のことだった。オーソン・ウェルズとともに「市民ケーン」の脚本にクレジットされていて、1941年のアカデミー賞脚本賞を受賞した。「イヴの総て」などで知られるジョゼフ・L・マンキウィッツの実の兄にあたる。映画は彼が「市民ケーン」の脚本を書く経過を、1930年代ハリウッドの大物たちとの交友をフラッシュバックさせながら描いていく。
(ハーマン・マンキウィッツ)
この映画は30年代ハリウッドの風俗、社会状況などを生き生きと再現している。しかも、まるで「市民ケーン」のような奥行きの深いモノクロ映像で撮られていて、かつてのハリウッド製アート映画を見るようだ。「異端の鳥」や「ROMA」、「COLD WAR あの歌2つの心」など、外国には今もあえて白黒で撮影した映画がかなりある。色彩が抜けていることで、かえって世界の美しさや醜さが際立つ感じがする。日本でも挑戦する若手があってもいいと思うが商業的に止められるのか。
オーソン・ウェルズ監督がわずか25歳で作った「市民ケーン」という映画は、まさに映画史上最大の伝説と言ってもいい。映画技法の革新(パン・フォーカス=前景と後景双方に焦点を合わせた撮影、ワンシーン・ワンショット、ロー・アングルなど)や脚本の新機軸(主人公の死から始まり、時系列を再構成して様々な視点から語る)などで、今見ても壮大な撮影やセットにうならされる。しかし、それ以上に大問題だったのは新聞王ハーストをモデルにしていたため、ハースト系新聞にたたかれ上映阻止運動まで起こったことである。
そのためアメリカでは極端に上映機会が少なくなったと言われている。制作したRKO映画は弱小で危機にあって、ラジオ番組「宇宙戦争」で大評判になったオーソン・ウェルズに全権をゆだねて映画を作らせたのだが、商業的にはペイしなかった。しかし、後に評価が高くなり映画史上ベストワンとまで言われるようになった。英国映画協会による「世界映画ベストテン」選出では、1962年から72年、82年、92年、02年と半世紀にわたってベストワンになっている。これは10年に一度行われるもので、最新の2012年版では監督投票では小津安二郎の「東京物語」に次ぐ2位になった。批評家投票ではヒッチコックの「めまい」に次ぐ2位になっている。
(ゲイリー・オールドマン演じるマンク)
そんな「市民ケーン」がいかにして書かれたか。ハーマン・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)は何と直前に交通事故に遭って「寝たきり」状態だった。ウェルズは彼のために専用の別荘と看護、タイプの担当を用意した。90日の予定のはずが、60日と時間を短くされ、なかなか進まない中を内容を漏れ聞いて心配した弟ジョーやハーストの愛人女優マリオン・デイヴィス(アマンダ・セイフレッド)が訪ねてくる。マリオンとはパラマウント映画で親しい間柄だったのだ。このマリオンは本人もとても興味深い人生を送ったようだが、映画でも「儲け役」だなと思った。
(映画のマリオン・デイヴィス)
執筆の合間に過去がフラッシュバックされる。タイプの音が鳴って、何年と画面に出るのが懐かしい感じだ。そこには有名な映画プロデューサー、ルイス・B・メイヤーやアーヴィング・タルバーグ、あるいは弟のジョゼフ・L・マンキウィッツなどはもちろん、ウィリアム・ランドルフ・ハーストやマリオン・デイヴィスも出てくる。撮影風景やスタジオの様子も再現されている。「市民ケーン」という映画やこういう人々の名前を全然知らないと、面白くないという以前に内容が判りにくいだろう。先に「観客を選ぶ」と書いたゆえんである。
特に興味深かったのが、1934年のカリフォルニア州知事選。共和党メリアム候補に対し、民主党から有名な社会主義作家のアプトン・シンクレアが立候補した。大恐慌下で「社会主義」への期待もあり、候補の知名度も高かった。ハーストや撮影所幹部は危機感を抱き、反シンクレアの映画を作らせる。ハーマンは関わらないようにしたが、周りには巻き込まれる人も多かった。投開票日にはパーティも開かれ、ハーマンも招かれる。次第に上層部に疎まれるようになったハーマンは、ハースト邸で泥酔してしまう。そんなハーマンはオーソン・ウェルズに頼まれて、クレジットに名前を載せない約束で脚本執筆を引き受けたのだ。
執筆が行き詰まったハーマンは、「支援装置」(酒)を秘かに取り寄せて最後の最後に大車輪で書き進み、一代の傑作を書いた。今度はオーソン・ウェルズと対決して、クレジットに名前を乗せさせる。その結果、歴史に名が残ったわけである。ハーストにケンカを売って、完全に干されたかのようなエンディングになっているが、調べてみると1942年の「打撃王」(ゲーリックを描く野球伝記映画)でアカデミー賞にノミネートされている。50代で亡くなったのは飲酒癖の影響だろう。主演したゲイリー・オールドマンはアカデミー賞を得た「ウィンストン・チャーチル」に匹敵する名演だと思う。この脚本は監督の父親ジャック・フィンチャーが書いている。

僕もよく知らなかったのだが、「マンク」というのはハーマン・マンキウィッツ(1897~1953)という脚本家のことだった。オーソン・ウェルズとともに「市民ケーン」の脚本にクレジットされていて、1941年のアカデミー賞脚本賞を受賞した。「イヴの総て」などで知られるジョゼフ・L・マンキウィッツの実の兄にあたる。映画は彼が「市民ケーン」の脚本を書く経過を、1930年代ハリウッドの大物たちとの交友をフラッシュバックさせながら描いていく。

この映画は30年代ハリウッドの風俗、社会状況などを生き生きと再現している。しかも、まるで「市民ケーン」のような奥行きの深いモノクロ映像で撮られていて、かつてのハリウッド製アート映画を見るようだ。「異端の鳥」や「ROMA」、「COLD WAR あの歌2つの心」など、外国には今もあえて白黒で撮影した映画がかなりある。色彩が抜けていることで、かえって世界の美しさや醜さが際立つ感じがする。日本でも挑戦する若手があってもいいと思うが商業的に止められるのか。
オーソン・ウェルズ監督がわずか25歳で作った「市民ケーン」という映画は、まさに映画史上最大の伝説と言ってもいい。映画技法の革新(パン・フォーカス=前景と後景双方に焦点を合わせた撮影、ワンシーン・ワンショット、ロー・アングルなど)や脚本の新機軸(主人公の死から始まり、時系列を再構成して様々な視点から語る)などで、今見ても壮大な撮影やセットにうならされる。しかし、それ以上に大問題だったのは新聞王ハーストをモデルにしていたため、ハースト系新聞にたたかれ上映阻止運動まで起こったことである。
そのためアメリカでは極端に上映機会が少なくなったと言われている。制作したRKO映画は弱小で危機にあって、ラジオ番組「宇宙戦争」で大評判になったオーソン・ウェルズに全権をゆだねて映画を作らせたのだが、商業的にはペイしなかった。しかし、後に評価が高くなり映画史上ベストワンとまで言われるようになった。英国映画協会による「世界映画ベストテン」選出では、1962年から72年、82年、92年、02年と半世紀にわたってベストワンになっている。これは10年に一度行われるもので、最新の2012年版では監督投票では小津安二郎の「東京物語」に次ぐ2位になった。批評家投票ではヒッチコックの「めまい」に次ぐ2位になっている。

そんな「市民ケーン」がいかにして書かれたか。ハーマン・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)は何と直前に交通事故に遭って「寝たきり」状態だった。ウェルズは彼のために専用の別荘と看護、タイプの担当を用意した。90日の予定のはずが、60日と時間を短くされ、なかなか進まない中を内容を漏れ聞いて心配した弟ジョーやハーストの愛人女優マリオン・デイヴィス(アマンダ・セイフレッド)が訪ねてくる。マリオンとはパラマウント映画で親しい間柄だったのだ。このマリオンは本人もとても興味深い人生を送ったようだが、映画でも「儲け役」だなと思った。

執筆の合間に過去がフラッシュバックされる。タイプの音が鳴って、何年と画面に出るのが懐かしい感じだ。そこには有名な映画プロデューサー、ルイス・B・メイヤーやアーヴィング・タルバーグ、あるいは弟のジョゼフ・L・マンキウィッツなどはもちろん、ウィリアム・ランドルフ・ハーストやマリオン・デイヴィスも出てくる。撮影風景やスタジオの様子も再現されている。「市民ケーン」という映画やこういう人々の名前を全然知らないと、面白くないという以前に内容が判りにくいだろう。先に「観客を選ぶ」と書いたゆえんである。
特に興味深かったのが、1934年のカリフォルニア州知事選。共和党メリアム候補に対し、民主党から有名な社会主義作家のアプトン・シンクレアが立候補した。大恐慌下で「社会主義」への期待もあり、候補の知名度も高かった。ハーストや撮影所幹部は危機感を抱き、反シンクレアの映画を作らせる。ハーマンは関わらないようにしたが、周りには巻き込まれる人も多かった。投開票日にはパーティも開かれ、ハーマンも招かれる。次第に上層部に疎まれるようになったハーマンは、ハースト邸で泥酔してしまう。そんなハーマンはオーソン・ウェルズに頼まれて、クレジットに名前を載せない約束で脚本執筆を引き受けたのだ。
執筆が行き詰まったハーマンは、「支援装置」(酒)を秘かに取り寄せて最後の最後に大車輪で書き進み、一代の傑作を書いた。今度はオーソン・ウェルズと対決して、クレジットに名前を乗せさせる。その結果、歴史に名が残ったわけである。ハーストにケンカを売って、完全に干されたかのようなエンディングになっているが、調べてみると1942年の「打撃王」(ゲーリックを描く野球伝記映画)でアカデミー賞にノミネートされている。50代で亡くなったのは飲酒癖の影響だろう。主演したゲイリー・オールドマンはアカデミー賞を得た「ウィンストン・チャーチル」に匹敵する名演だと思う。この脚本は監督の父親ジャック・フィンチャーが書いている。