日本学術会議をめぐる問題は臨時国会が始まっても、首相答弁には理解出来ない部分が多い。その問題は改めて書くつもりだが、その前に「文化功労者」の選定にも大きな疑問があると野党が指摘した。実は僕も前からそう思っていたので、この問題を先に書くことにした。案外長くなったので、2回に分けて、最初は「文化勲章」と「文化功労者」の説明から。
毎年10月末になると、その年の「文化勲章」と「文化功労者」が発表される。文化勲章は基本は5人だが、文化功労者は基本が20人と人数が大分多い。「基本」と書いたのは、毎年10月第一週に発表されるノーベル賞受賞者に日本人がいた場合、それまでに貰ってなければ追加されるのが慣例なのである。2019年は吉野彰がノーベル化学賞を受賞したため、どっちも一人増えて6人と21人となった。(野依良治、赤松勇、本庶佑などは先に文化勲章を受けていた。)
(2020年の文化勲章受章者)
「文化勲章」の方が歴史が古く、1937年に第一回が授与された。その年は9人もいるが、横山大観、竹内栖鳳、藤島武二、幸田露伴、長岡半太郎、本多光太郎、木村栄など画家、作家、自然科学者などの「超有名人」が選ばれた。戦時中も選ばれていて、1943年に若き湯川秀樹が36歳で受賞しているのには驚いた。その程度の見る目は戦時下の文化行政にもあったのである。
「文化功労者」が作られたのは1951年だった。「文化勲章」は「文化に勲功あり」と国家が認定するわけで、11月3日(文化の日)に皇居で天皇による「親授式」が行われる。つまり、日本の慣行で言えば、「最高位の名誉」である。しかし、憲法14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、賞金などがない。そこで「文化功労者」制度を作って「終身年金」を授与することになった。現在年額350万円である。最初は式典もなかったが、現在は都内のホテルで「顕彰式」が行われ文科副大臣が授与している。文化勲章とは差があるのだ。
(2020年文化功労者顕彰式)
今は「文化功労者」は大体70歳以上が選ばれている。学者だともっと若いこともあり、今年は3人が60代で選ばれている。他は70代が8人、80代が7人、90代が2人の計20人である。そして、原則的に文化勲章は文化功労者の中から選ばれる。すでに70代、80代が多い「文化功労者」であるが、それから数年から10年程度後に「文化勲章」となる。となると、勲章を貰える前に寿命が尽きる場合が多いのもやむを得ない。2020年の場合、橋田壽賀子(95歳)を先頭に、近藤淳(90歳)、澄川喜一(89歳)、久保田淳(87歳)、奥田小由女(83歳)と「長寿勲章」に近い。
だから、最初の「親授式」の写真を見れば判るが、今年は5人の中で3人しか出席していない。健康に問題があって出席できない人がいても不思議ではないだろう。こうなると、日本の文化の最高峰を顕彰するという意味も薄くなってしまう。いや、若くして亡くなった人は「死後の追贈」をすればいいと思うかもしれない。過去にはそういう例もあった。1949年の六代目尾上菊五郎と1957年の植物学者牧野富太郎である。しかし、その後は例がなくなっていて、そこが没後受賞が多い国民栄誉賞とは違う。(国民栄誉賞は2人目の古賀政男以後、長谷川町子、美空ひばり、渥美清、森繁久弥、大鵬幸喜など計12人も没後受賞者がいる。)
ところで、「国家が優れた文化人に勲章を贈る」こと自体がおかしいという考えの人もいるだろう。僕も「明らかに偏向した選考」や「天皇の親授」には問題があると思っている。それに「晴れがましい場」は嫌だと思う人もいるだろう。ある意味、ホンモノの芸術家や学者だったら、そんなものは要らないというのかもしれない。実際に文化勲章を辞退した人はいる。河井寛次郎(陶芸)、熊谷守一(画家)、大江健三郎、杉村春子の4人である。
映画「モリのいた場所」で描かれた熊谷守一は、晴れがましい場に出る気がなかった。大江健三郎はノーベル賞受賞に伴って文化勲章にも選ばれたが、日本政府の賞は受けなかった。杉村春子は生涯現役の女優であり続ける意味で受けなかったらしい。「民藝」運動の陶芸家河井寛次郎はよく判らないけど、芸術院会員や人間国宝も受けなかったというから、「民藝」の理念を貫いたのかと思う。文化功労者で辞退した人がいたかどうかは発表されないので不明である。
僕は人間に等級を付ける叙勲制度には反対だ。まあ貰う可能性も皆無だから、あえて反対運動をする気もないけれど。でも科学者だったらノーベル賞を欲しいだろう。それを否定は出来ないと思う。スポーツ選手が五輪の金メダルを目指すのと同じで、そういう「名誉」を求めることを否定してはいけないように思う。ノーベル賞を認めるならば、芸術や学問に貢献した人に「名誉」を授けるという制度が国単位であってもいい。全世界に何かしらあるし、どの世界にも何らかの賞があるもんだ。でも、それは選考が大方の納得が得られるものじゃないといけない。その問題は次回。
毎年10月末になると、その年の「文化勲章」と「文化功労者」が発表される。文化勲章は基本は5人だが、文化功労者は基本が20人と人数が大分多い。「基本」と書いたのは、毎年10月第一週に発表されるノーベル賞受賞者に日本人がいた場合、それまでに貰ってなければ追加されるのが慣例なのである。2019年は吉野彰がノーベル化学賞を受賞したため、どっちも一人増えて6人と21人となった。(野依良治、赤松勇、本庶佑などは先に文化勲章を受けていた。)

「文化勲章」の方が歴史が古く、1937年に第一回が授与された。その年は9人もいるが、横山大観、竹内栖鳳、藤島武二、幸田露伴、長岡半太郎、本多光太郎、木村栄など画家、作家、自然科学者などの「超有名人」が選ばれた。戦時中も選ばれていて、1943年に若き湯川秀樹が36歳で受賞しているのには驚いた。その程度の見る目は戦時下の文化行政にもあったのである。
「文化功労者」が作られたのは1951年だった。「文化勲章」は「文化に勲功あり」と国家が認定するわけで、11月3日(文化の日)に皇居で天皇による「親授式」が行われる。つまり、日本の慣行で言えば、「最高位の名誉」である。しかし、憲法14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるため、賞金などがない。そこで「文化功労者」制度を作って「終身年金」を授与することになった。現在年額350万円である。最初は式典もなかったが、現在は都内のホテルで「顕彰式」が行われ文科副大臣が授与している。文化勲章とは差があるのだ。

今は「文化功労者」は大体70歳以上が選ばれている。学者だともっと若いこともあり、今年は3人が60代で選ばれている。他は70代が8人、80代が7人、90代が2人の計20人である。そして、原則的に文化勲章は文化功労者の中から選ばれる。すでに70代、80代が多い「文化功労者」であるが、それから数年から10年程度後に「文化勲章」となる。となると、勲章を貰える前に寿命が尽きる場合が多いのもやむを得ない。2020年の場合、橋田壽賀子(95歳)を先頭に、近藤淳(90歳)、澄川喜一(89歳)、久保田淳(87歳)、奥田小由女(83歳)と「長寿勲章」に近い。
だから、最初の「親授式」の写真を見れば判るが、今年は5人の中で3人しか出席していない。健康に問題があって出席できない人がいても不思議ではないだろう。こうなると、日本の文化の最高峰を顕彰するという意味も薄くなってしまう。いや、若くして亡くなった人は「死後の追贈」をすればいいと思うかもしれない。過去にはそういう例もあった。1949年の六代目尾上菊五郎と1957年の植物学者牧野富太郎である。しかし、その後は例がなくなっていて、そこが没後受賞が多い国民栄誉賞とは違う。(国民栄誉賞は2人目の古賀政男以後、長谷川町子、美空ひばり、渥美清、森繁久弥、大鵬幸喜など計12人も没後受賞者がいる。)
ところで、「国家が優れた文化人に勲章を贈る」こと自体がおかしいという考えの人もいるだろう。僕も「明らかに偏向した選考」や「天皇の親授」には問題があると思っている。それに「晴れがましい場」は嫌だと思う人もいるだろう。ある意味、ホンモノの芸術家や学者だったら、そんなものは要らないというのかもしれない。実際に文化勲章を辞退した人はいる。河井寛次郎(陶芸)、熊谷守一(画家)、大江健三郎、杉村春子の4人である。
映画「モリのいた場所」で描かれた熊谷守一は、晴れがましい場に出る気がなかった。大江健三郎はノーベル賞受賞に伴って文化勲章にも選ばれたが、日本政府の賞は受けなかった。杉村春子は生涯現役の女優であり続ける意味で受けなかったらしい。「民藝」運動の陶芸家河井寛次郎はよく判らないけど、芸術院会員や人間国宝も受けなかったというから、「民藝」の理念を貫いたのかと思う。文化功労者で辞退した人がいたかどうかは発表されないので不明である。
僕は人間に等級を付ける叙勲制度には反対だ。まあ貰う可能性も皆無だから、あえて反対運動をする気もないけれど。でも科学者だったらノーベル賞を欲しいだろう。それを否定は出来ないと思う。スポーツ選手が五輪の金メダルを目指すのと同じで、そういう「名誉」を求めることを否定してはいけないように思う。ノーベル賞を認めるならば、芸術や学問に貢献した人に「名誉」を授けるという制度が国単位であってもいい。全世界に何かしらあるし、どの世界にも何らかの賞があるもんだ。でも、それは選考が大方の納得が得られるものじゃないといけない。その問題は次回。