2020年10月の訃報で別に一回を使って書いたのは、作曲家の筒美京平と作家の大城立裕だった。大城立裕氏の業績は「本土」ではまだ全貌が評価されていないと思う。今回は作家や著述家を中心に、それ以外の人をまとめて。直木賞作家でルポライターの井出孫六が亡くなった。10月8日没、89歳。もう名前も忘れられているのか、ネットニュースでは見なかった。翌日の新聞にはある程度大きく掲載されていたから、やはり新聞は大事だと思った。
名前で判る人はもう少ないだろうが、評論家丸岡秀子、三木内閣の官房長官だった政治家井出一太郎の弟にあたる。中央公論に勤務した後、70年に退職した後ルポを書き始めた。ウィキペディアを見ると、永山則夫の獄中ノートを「無知の涙」として出版した人だと出ている。
(井出孫六)
最初の頃は秩父困民党事件をテーマにした本が多い。井出家の出身地である長野県佐久は困民党の最期の地でもある。そんな土地勘もあって「秩父困民党群像」に始まる10冊近い本を出している。だから僕は小説家というより歴史ドキュメント作家のように思っていたら、1975年に「アトラス伝説」で直木賞を受賞した。明治期の画家川上冬崖の評伝だが、物語的な作品ではないと思った。選評を見ると、松本清張、水上勉の強い推薦があった。半村良「雨やどり」と同時受賞。他の候補に素九鬼子「大地の子守歌」などがあった。
その後は歴史系のルポや評伝が多い。岩波新書の「抵抗の新聞人 桐生悠々」や大佛次郎賞を受けた「中国残留孤児」のルポ「終わりなき旅」などが代表作だと思う。どっちも一度は是非読むべき本。僕が好きなのは「ルポルタージュ戦後史」という本である。井出孫六は戦争に明け暮れた近代史を民衆の立場から鋭く見つめた硬派の歴史作家だった。桐生悠々、朝河貫一、石橋湛山など非戦・抵抗の人々を語り継いだ人でもある。大城立裕とともに、井出孫六も今こそ読むべき「抵抗の作家」だ。
作家の佐江衆一が10月29日死去、86歳。芥川賞候補に5回なったが受賞できなかった。70年代以後、社会派作家として一定の知名度を確立した。一番有名なのは「老人小説」とでもいうべきジャンルだろう。「老熟家族」は吉田喜重監督の「人間の約束」の原作。老老介護を描く「黄洛」は話題となって、ドゥマゴ文学賞受賞。他に時代小説も沢山書いていて、江戸の市井小説も沢山書いた。五代友厚が話題になると文庫化されたりしたが、僕はほとんど読んでない。田中正造に関する本も何冊か出していて、もしかしたら読んだかもしれないなあという気がするけど…。
(佐江衆一)
歴史学者の坂野潤治(ばんの・じゅんじ)が10月13日死去、83歳。近代日本政治史が専門だが、東大「国史」の出身である。東大でも法学部で学んだ人だと「政治学者」という呼び方がふさわしい人が多い。同じように近代日本政治を研究していても、方向性が少し違うことが多い。僕は明治期は専門じゃないので専門書はほとんど読んでない。ただ坂野氏がすごいと思うのは、東大、千葉大を定年後に一般向けの本を沢山書いたことである。だから一般の読書家には名前を知られていたと思う。若い頃から、史料を読み解いて、大胆に見通しを付けるような発想に秀でていた。それが最後に多くの本を書けた要因だろう。ただ判りやすいのはいいけれど、知ってることが多くて、そんなには読まなかった。
(坂野潤治)
話は少しそれるけれど、最近読んだ伊藤之雄「真実の原敬」(講談社現代新書)の後書きにこんな言葉があった。伊藤氏の学部生時代からの憧れ、目標だった松尾尊兌、三谷太一郎、坂野潤治の「三先生の御業績が忘れられない」というが、「史料状況の改善」もあって「少しずつ違和感を覚えるようになった」というのである。史料を読み解くことが歴史研究のすべてであり、その意味では研究の進展で歴史は書き換えられていく。しかし、坂野氏が「歴史のイフ」を恐れずに一般書も沢山書いたのは、敗戦に至る近代日本史に「オルタナティブ」はあったのかという痛切な反省のためだろう。それが一番歴史家に大切なものだと思う。
韓国のサムスン財閥の李健熙(イ・ゴンヒ)元会長が10月25日死去、78歳。サムスン財閥創業者の李秉喆の三男に産まれ、日本、アメリカに学んだ。1987年にグループの会長職を引き継ぎ、サムスン電子を世界的な企業に育てた。2009年に不正資金疑惑で有罪が確定したが、李明博大統領からピョンチャン五輪招致を理由に恩赦された。(IOC委員だった。)2014年に倒れて、以後は寝たきり状態だったという。韓国の財閥は規模が大きいだけに政界との癒着も多く、サムスンも何度も刑事訴追を受けている。韓国の輸出総額の3割近くがサムスンだという。
(イ・ゴンヒ)
・稲葉清右衛門、2日死去、95歳。元ファナック社長。産業用ロボット会社として世界的企業に育てた。
・林原健、13日死去、78歳。岡山のバイオ関連企業林原元社長。インターフェロンの開発など注目されていたが、2011年粉飾決算が発覚し引責辞任した。
・蓮田太二(たいじ)、25日死去、84歳。熊本市の慈恵病院理事長。「赤ちゃんポスト」創設者。
・宮田浩基(こうき)、29日死去、87歳。1985年に熊本県で起きた冤罪事件(松橋事件)で懲役13年の判決が確定したが、2019年に再審で無罪となった。国賠訴訟を起こしたが、それは家族に引き継がれる。
名前で判る人はもう少ないだろうが、評論家丸岡秀子、三木内閣の官房長官だった政治家井出一太郎の弟にあたる。中央公論に勤務した後、70年に退職した後ルポを書き始めた。ウィキペディアを見ると、永山則夫の獄中ノートを「無知の涙」として出版した人だと出ている。

最初の頃は秩父困民党事件をテーマにした本が多い。井出家の出身地である長野県佐久は困民党の最期の地でもある。そんな土地勘もあって「秩父困民党群像」に始まる10冊近い本を出している。だから僕は小説家というより歴史ドキュメント作家のように思っていたら、1975年に「アトラス伝説」で直木賞を受賞した。明治期の画家川上冬崖の評伝だが、物語的な作品ではないと思った。選評を見ると、松本清張、水上勉の強い推薦があった。半村良「雨やどり」と同時受賞。他の候補に素九鬼子「大地の子守歌」などがあった。
その後は歴史系のルポや評伝が多い。岩波新書の「抵抗の新聞人 桐生悠々」や大佛次郎賞を受けた「中国残留孤児」のルポ「終わりなき旅」などが代表作だと思う。どっちも一度は是非読むべき本。僕が好きなのは「ルポルタージュ戦後史」という本である。井出孫六は戦争に明け暮れた近代史を民衆の立場から鋭く見つめた硬派の歴史作家だった。桐生悠々、朝河貫一、石橋湛山など非戦・抵抗の人々を語り継いだ人でもある。大城立裕とともに、井出孫六も今こそ読むべき「抵抗の作家」だ。
作家の佐江衆一が10月29日死去、86歳。芥川賞候補に5回なったが受賞できなかった。70年代以後、社会派作家として一定の知名度を確立した。一番有名なのは「老人小説」とでもいうべきジャンルだろう。「老熟家族」は吉田喜重監督の「人間の約束」の原作。老老介護を描く「黄洛」は話題となって、ドゥマゴ文学賞受賞。他に時代小説も沢山書いていて、江戸の市井小説も沢山書いた。五代友厚が話題になると文庫化されたりしたが、僕はほとんど読んでない。田中正造に関する本も何冊か出していて、もしかしたら読んだかもしれないなあという気がするけど…。

歴史学者の坂野潤治(ばんの・じゅんじ)が10月13日死去、83歳。近代日本政治史が専門だが、東大「国史」の出身である。東大でも法学部で学んだ人だと「政治学者」という呼び方がふさわしい人が多い。同じように近代日本政治を研究していても、方向性が少し違うことが多い。僕は明治期は専門じゃないので専門書はほとんど読んでない。ただ坂野氏がすごいと思うのは、東大、千葉大を定年後に一般向けの本を沢山書いたことである。だから一般の読書家には名前を知られていたと思う。若い頃から、史料を読み解いて、大胆に見通しを付けるような発想に秀でていた。それが最後に多くの本を書けた要因だろう。ただ判りやすいのはいいけれど、知ってることが多くて、そんなには読まなかった。

話は少しそれるけれど、最近読んだ伊藤之雄「真実の原敬」(講談社現代新書)の後書きにこんな言葉があった。伊藤氏の学部生時代からの憧れ、目標だった松尾尊兌、三谷太一郎、坂野潤治の「三先生の御業績が忘れられない」というが、「史料状況の改善」もあって「少しずつ違和感を覚えるようになった」というのである。史料を読み解くことが歴史研究のすべてであり、その意味では研究の進展で歴史は書き換えられていく。しかし、坂野氏が「歴史のイフ」を恐れずに一般書も沢山書いたのは、敗戦に至る近代日本史に「オルタナティブ」はあったのかという痛切な反省のためだろう。それが一番歴史家に大切なものだと思う。
韓国のサムスン財閥の李健熙(イ・ゴンヒ)元会長が10月25日死去、78歳。サムスン財閥創業者の李秉喆の三男に産まれ、日本、アメリカに学んだ。1987年にグループの会長職を引き継ぎ、サムスン電子を世界的な企業に育てた。2009年に不正資金疑惑で有罪が確定したが、李明博大統領からピョンチャン五輪招致を理由に恩赦された。(IOC委員だった。)2014年に倒れて、以後は寝たきり状態だったという。韓国の財閥は規模が大きいだけに政界との癒着も多く、サムスンも何度も刑事訴追を受けている。韓国の輸出総額の3割近くがサムスンだという。

・稲葉清右衛門、2日死去、95歳。元ファナック社長。産業用ロボット会社として世界的企業に育てた。
・林原健、13日死去、78歳。岡山のバイオ関連企業林原元社長。インターフェロンの開発など注目されていたが、2011年粉飾決算が発覚し引責辞任した。
・蓮田太二(たいじ)、25日死去、84歳。熊本市の慈恵病院理事長。「赤ちゃんポスト」創設者。
・宮田浩基(こうき)、29日死去、87歳。1985年に熊本県で起きた冤罪事件(松橋事件)で懲役13年の判決が確定したが、2019年に再審で無罪となった。国賠訴訟を起こしたが、それは家族に引き継がれる。