黒田官兵衛と黒田二十四騎~竹森新右衛門次貞

2015-10-22 08:35:31 | Weblog

竹森家は平安時代出羽国の出で後に日岡神社(兵庫県加古川市)の宮司となり田畑数十町、家僕数十人を有する二千石ほどの神官武人であった。

司馬遼太郎の播磨灘物語では落ちぶれた黒田が頼ってきたが住居を貸した竹森家は気品あるその佇まいに大いに感銘し自分の屋敷を黒田に譲り自分はその家臣となったという件がありますが、勿論それは後世に作られた講談の世界である

永禄時代別所安治に攻められ逃亡、黒田職隆を頼り幼い新次郎(新右衛門次貞)は官兵衛の小姓となる。

天正5年(1577)秀吉の赤松氏の上月城攻めで高名し後に黒田家の旗奉行となり鳥取城攻め、備中高松城攻め、山崎の合戦、城井谷攻め、賤ケ岳合戦、朝鮮の役、九州西軍征伐で活躍し生涯21首を挙げた。

元和7年(1621)戦国の世を戦に明け暮れた72歳の生涯を福岡で閉じた。

 

 

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