吉田壱岐守長利は幼名六之助、後に六郎太夫、晩年壱岐と号す。天分16年(1547年)播磨の国飾東郡生。母は孝高(如水)誕生の時乳を参らす。始め如水の父黒田職隆に仕え九州平定や朝鮮の役等で武功あり。関が原の合戦時には中津より如水に従って九州征討に従戦した。一生の間合戦57度、討ち取りし首数37、されど豊前城攻めの時、左頬に受けた鉄砲傷1ヶ所のみという剛勇の士であった。
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